表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
89/186

3.42. ラクリモサ(涙の日)

 ヨハン君に連れられて、教会の通路を歩き続ける。男声の荒々しい旋律と女声の美しい旋律の掛け合いが聞こえてきた。どうやら、「レクイエム」第三曲第五部の「コンフターティス(呪われたもの)」が始まったのだろう。だが、オレがこの曲を最後まで聴くことはなかった。


 やがて、ヨハン君がある分厚いドアを開けた。ドアの向こう側は、真っ暗な空間だった。ヨハン君がランプを点けると、オレをその空間に導き、自身も中に入るとドアを閉めた。

 「コンフターティス」の妙なる旋律が消えると、代わって、あちらこちらから水が滴る音が聞こえてきた。ここは、冷たくてジメジメした空気に包まれている。まるで洞窟だ。ヨハン君のランプで足元は照らされているが、闇は奥へと続いている。手探りで100m位進むと、そこで行き止まりになった。

 暗がりで、ヨハン君の表情が判らない。だが、彼がオレに対してやろうとしていたことは、悪魔的だった。

「おじさん、立ったまま、その壁に背中を付けて。」

ヨハン君の命令に、オレの身体はオレの意思に逆らってでも従う。心で抵抗したが、結局、彼の言う通りになった。

 すると、上方から何かが降りてきて頭に被せられた。それを手で外そうと思ったが、手もオレの思い通りに動かない。やがて、両手と両足も何かで縛られたようだ。間も無く、オレは両膝をついた。

 すると、ヨハン君が言った。

「これで良いでしょう。おじさんは、これで完全に動けなくなりましたね。この世界は現実の世界ではないから、食べなくても飢えず、死ぬこともありません。だから、ここで永遠に囚われていてください。これで、この世界を『睡眠学習装置(仮)』全体に拡張すれば、この装置を制御することができるようになるでしょう。」


 その後、彼が歩き去り、やがてドアが開く音が聞こえた。その刹那、啜り泣くような弦楽器の響きに続いて哀切な合唱が聞こえた。「レクイエム」は、第三曲第六部の「ラクリモサ(涙の日)」に入ったのだろう。

 オレは絶望した。身体は自由に動かせないのに、永遠にこのまま囚われて生き続ける…地獄だ。モーツァルトの絶筆の曲である、この「ラクリモサ」こそ、今のオレの心境にふさわしい。だが、その「ラクリモサ」もドアが閉じる音と同時に、聞こえなくなった。


 きっと、ヨハン君もこの真っ暗な空間から去ったのだろう。何も見えず何も聞こえない。やがて、オレの心は時間感覚を失い、何も感じられなくなった。

 その時だ。

「お兄ちゃん!」

一瞬、心の奥に、なつかしい女の子の声が聞こえたような気がした。だが、その声の主を思い出せない、いや…。我に帰ったオレは、この場所にそんな女の子がいるはずもないことに気づいて、また絶望した。

 だが、やがて何かが見えてきた。何かを被せられ、何も見えないはずなのに…。

 最初は、ぼんやりとした光のかたまりだった。その光に意識を集中していると、やがてそれは貫頭衣を着た少女の姿に形を変えた。ゲーム「神々の記憶」のキャラクター、璃凪姫だ。


 開口一番、彼女は言った。

「旦那様、このままでは危険なので、思考加速してください。」

言われるがままに、久しぶりに心の中で思考加速のフレーズ

「set quantumcomputertime 5」

を念じて、オレ自身と璃凪姫に「思考加速」をかけてみた。この世界で、「思考加速」ができているのかよく分からないのだけど…。

 すると、璃凪姫は語り始めた。

「今『フォンノイマン博士の世界』が存在する記憶領域には、もともと旦那様の妹『里奈様』についての記憶が保存されていました。里奈様を記憶した領域は、もっと中心付近に配置されるべきだったと思いますが、何らかの問題で周辺に配置されてしまったようです。」

そう話す璃凪姫の姿は、少し寂しそうだ。

 しかし、「里奈」という妹の名前は、現実世界のオレから聞き知っているだけに過ぎない。その「里奈」の記憶が「睡眠学習装置(仮)」にあるというのか?それに、「璃凪姫」と「里奈」は別人ではないのか?

 そこで、オレは彼女に尋ねた。

「その…『里奈』と貴女は、一体どういう関係なの?」

 すると、彼女は答えた。

「私は、里奈様の一部なんです。里奈様の要素の一部を、『神々の世界』に合わせて表現した存在…それが私です。」

「貴女は、『リアライズエンジン(改)』が創り出した存在だと思っていたけど、そうではないのか?」

「『リアライズエンジン(改)』と旦那様の記憶領域の中心部分は、里奈様を記憶した領域を経由して通信していたんです。だから、その通信に干渉して、私という存在が挿入されたんです。それは、『上泉先生の世界』の梨奈さんも、同じです。」


 ようやく、璃凪姫と梨奈が存在した理由が分かった。オレの記憶から何らかの問題で欠落した、「妹」の「里奈」を反映した存在だったのだ。だから、出会った時から、どこか懐かしさや親しさを感じたのか…。

 だが、まだオレには分からないことがある。そこで、

「貴女の説明は解ったよ。でも、なんで貴女がここに現れたの?」

と尋ねた。すると璃凪姫は、答えた。

「それは、旦那様の苦境を知って、黙っていられなかったからです。私は旦那様に救っていただきました。だから、今度は私が旦那様をお救いする番です。」

「それなら、この状況からどうやって脱出できるのか、教えて欲しい?この世界に入って来れた貴方なら、出る方法も知っているのでは?」

「私とキスしてください。そうすれば、旦那様の意識は私が記憶されている領域を通って、この世界から脱出できるでしょう。」

 そうなのか?しかし、オレがログアウトすれば…

「でも、そんなことをすれば、ヨハン君に気付かれてしまうかもしれないよ?」

「そうですね。私は消されてしまうかもしれませんが、仕方ありません。でも、あのヨハンが『睡眠学習装置(仮)』を我が物にするのは耐えられないし、どうせそうなったら私もいつか消されてしまうでしょうから。」

そう言って、璃凪姫は涙を見せた。

 そこでオレは、開口一番に璃凪姫が思考加速するように頼んで来たことを思い出した。こうやって彼女がこの世界にいて、オレと話しているこの瞬間も、彼女にとって決して安全ではない。何時ヨハン君が気付くか…。そうなれば、全てが終わる。オレの目にも、自然に涙が溢れてきた。

 オレは璃凪姫を抱き寄せると、言った。

「オレは貴女も梨奈も、決して忘れない。それに、どうしたら良いのか分からないけど、きっと、いつか妹の「里奈」のことも思い出す。」

 すると、璃凪姫も感極まって、

「私は…いや、私たちは、旦那様にお会いできて幸せでした。」

と応えて眼を閉じた。


 そして、オレも眼を閉じると唇を重ねた…。


 …再び眼を開くと、「真っ暗でコンソールしかない世界」に転移していた。そこで、すぐに「フォンノイマン博士の世界」を消去した。これで「ヨハン君」も消滅したハズだが、それを確認することはできず、どこか気持ちが悪い。

 それに、璃凪姫と梨奈はどうなったのだろうか?「フォンノイマン博士の世界」を消去したことで、復活してくれれば良いのだが…。しかし、コンソールで梨奈が存在した「上泉先生の世界」を探したが、その存在を見つけることはできなかった。

 「上泉先生の世界」が表示されないディスプレイを眺めながら、璃凪姫との約束を守らなければ、と強く思った。「里奈」の要素を一部反映した璃凪姫と梨奈があれほど素晴らしい女性だったのだから、「妹」の「里奈」本人も素敵な女性に違いない。

 それにしても、どうしてオレは「妹」の存在を忘れてしまったのだろうか?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] お大事に。 次回も読みます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ