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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
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3.38. 高木さんの研究成果

 オレはその後、真っ暗でコンソールしかない世界からログアウトした。自動的に「睡眠学習装置(仮)」のシェルが開くと、まだ陽の光が差し込んで来た。研究室の時計は、まだ11時前を指している。

 少し離れたところに、険しい顔をしてディスプレイを見つめている高木さんの姿があった。そうだ、オレはオレ自身の煩悩が高木さんの研究対象になってしまいそうだったので、「睡眠学習装置(仮)」に逃げ込んだのだった。

 でも、高木さんにもシェルの動作音は聞こえたハズだ。高木さんにとっては、オレが「睡眠学習装置(仮)」に逃げ込んでから、まだ数分しか経っていまい。ところが、オレの心からムーコの艶姿は、とっくに消えている。それどころか、上泉先生や梨奈との突然の別れで、悲しみの中にいる。

 今なら、高木さんに心を見られても恥ずかしくはない。多分、高木さんとも、落ち着いて話せそうだ。


 だが、高木さんに一体何があったのだろう?


 そこで、少し緊張しつつ、高木さんに声をかけた。

「高木さん、戻って来ました。えっと、さっきはお話の途中で失礼しました。何のお話でしたっけ?」

 すると、オレの顔を見た高木さんは、さっきよりもずっと真剣な表情でオレを見た。そして、震えるような声で言った。

「もう、さっきの話はどうでも良いわ。それより、もっと大変なことが起こってしまったみたいなの。」

 オレは少し不安を感じつつ、尋ねた。

「それは一体…?」

高木さんはディスプレイに向き直って、言った。

「この桜井君のAM世界は、得体の知れない何かに急速に侵蝕されているかも…。」


 それを聞いたオレは、高木さんの言葉が理解できず、固まった。オレのAM世界は、現実世界の「睡眠学習装置(仮)」が作り出したものだ。この「睡眠学習装置(仮)」は、いわゆるフォンノイマン型のコンピュータではない。人体内の情報伝達系を模擬した量子アニーリング/イジング回路、制御/情報処理するコンピュータークラスターで構成されている。

 その中心部分である量子アニーリング/イジング回路は、現実世界のオレの神経反応を模擬するように量子状態を設定されている。言ってみれば、量子ビットそれぞれの状態こそがプログラムでありデータでもある。それをどうやって「侵蝕」したというのか?

 コンピュータクラスター部分はフォンノイマン型のコンピュータであり、ハッキングが不可能とは言えない。しかし、この部分には、現実世界の時宮准教授の設計に現実世界のオレが手を加えており、容易に侵入できるとは思えない。それでも、ここをハッキングしないと、AM世界にアクセスすることは不可能だ。

 それに、高木さんはどうしてこのAM世界が「侵食」されたことに気付いたのだろう?


 少し心が落ち着いてきたオレは、高木さんに尋ねた。

「どうして、このAM世界が何かに侵食されていると思ったんですか?」

 すると、高木さんは答えた。

「これを見て。」

高木さんが指し示したものは、先ほどオレが逃げ出す前にも見せてきた、人工意識体の構造を図示したマップだ。

「さっき説明した、パーセプトロンの感度の異常な上昇は、今は落ち着いたみたいだわ。」

 そう言われて、ディスプレイに映されたマップのアニメーションを見ると、確かに赤く示されていた領域が青くなってきていた。

「でもね、もっと大きな問題があるわ。ここら辺を見て。」

そこは、人口意識体の端の方。意識の中心から離れた記憶領域ということだろうか?

 高木さんに聞いてみた。

「ここは、オレの意識の中心から離れていますよね。ってことは、普段意識しない記憶領域なんでしょうか?」

「まあ、大体あってるかな。中心部分では、パーセプトロンの感度が高かったり変化が激しかったりして、情報の伝達量が大きかったり量子状態の変化が激しいのよ。そこから、情報伝達の経路をツリー状に示して、枝の先が周辺領域と言えるでしょう。現実世界の桜井君の神経系と、どう関係するのかは分からないんだけどね。」

「中心部分と滅多に情報伝達しないのなら、どうやって周辺領域の構造を調べたんですか?」

「ごくまれに、情報伝達が活発になることがあるのよ。多分、桜井君の関心がその記憶領域に向かう時に、そうなるんだと思う。そんな時に、データを録っておいて、周辺領域のマップを構築しているのよ。」

 「なるほど」と思いつつ、どこか気持ちが悪い。今は、逃げ出した時とは違って後ろめたいことは無いが、自分の心の中を他の人に覗かれて、しかも説明までされるとは…。オレ自身にも良く分からないのに…。不思議な気がする。


 だけど、高木さんに示された辺りの領域は、素人目に見てもどこかおかしい。中心部からツリー状に伸びているのは他の周辺領域と同じだが、独立した中心があって、そこから多数の枝が伸びている。

 高木さんのマップを眺めると、そんな独立した大きな中心が3つ、それに少し小さい中心が1つあった。オレがそのことを高木さんに言うと、彼女は頷いて、ディスプレイ中の動画のスタートボタンをクリックした。

 高木さんが、変化していくマップのうち、ある独立した中心を指差した。

「ここを注目して。」

 すると、隣の領域が急速に拡大してその部分を囲み、やがてその領域と中心部を結ぶ枝も吸収してしまった。次の瞬間、突然、その領域が変色して消えてしまった。

 高木さんが、消えてしまった領域を指し示して言った。

「私には、これが何だかさっぱり分からないわ。でも、こうなったのは、桜井君が『睡眠学習装置(仮)』から出てくる直前だったのよ。何か、心当たりは無いかな?」

 ほとんど独立した4つの「領域」。そのうち1つが、たった今「侵蝕」されてしまって、それが高木さんの観察に引っかかったって?


 う〜ん…。


 待てよ。4つの「領域」とは、「劉老子の世界」、「上泉先生の世界」、「フォンノイマン博士の世界」、そして「廃墟の街の世界」ではないだろうか?「廃墟の街の世界」は他の世界と比べて情報量が少ないから、小さい領域として観測されたと考えると、辻褄は合う。

 そして、「上泉先生の世界」が侵蝕されてしまったのを高木さんが観測できたのは、たまたまオレがそこに転移していたからなのだろう。…とすると、「上泉先生の世界」を侵食したのは、他の3つの世界のいずれかなのだろうか?

 だが、どの世界も他の世界を侵蝕するとは、にわかには考え難い。それに、このマップに示された「侵蝕」とは、一体何だろう?

 そこで、高木さんに尋ねると、

「私にも良く分からないわ。でも、基本的にこのマップに示されたものは、記憶とその関係性と言って良いと思うの。その領域が隣り合っていれば、隣の領域に自らの領域の記憶を書き込んでしまうと、それが『侵蝕』になってしまう…のかも?」

と回答してくれたが、どうも自信が無さそうだ。


 高木さんと話しているうちに、気付いたことがある。高木さんのマップを見ていると「侵蝕」という言葉を使いたくなるが、システム上の記憶領域に管理者の意に反して情報を書き込むことを、オレは普段なら別の言葉で表現する…ハッキングだ。

 そう、このオレのAMを実現している「睡眠学習装置(仮)」は、内部からハックされているのだ。そして、その「内部」とは、「劉老子の世界」、「フォンノイマン博士の世界」、そして「廃墟の街の世界」のいずれかの住民…。

 それなら、オレが思いつく容疑者はただ1人…フォンノイマン…その人だ。だが、「フォンノイマン博士の世界」のフォンノイマンは、そろそろお亡くなりになりそうな状況だ。それに、そうでなくても、彼がそんなことをするとは思えないのだが…。


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