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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
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3.37. 分岐点

 人生にはさまざまな分岐点がある。一般的には、高校、大学、就職、結婚なんかが分岐点といわれるが、もちろん、それだけではない。

 昼食に何を食べるか?そんな選択だって、人生を大きく変えてしまうかもしれない。たまたま選んだメニューで食中毒になって死んでしまうこともあるし、偶然同じメニューを選んだ人と意気投合して生涯を共にすることだって無いとはいえない。

 そして、オレの「人生」は、まさにこの「分岐点」に差し掛かっていた。今生きているこの時間の直後から、幾つもの未来へ分岐していたのだった。それは、後になってから分かったことだが…。


 「上泉先生の世界」に転移すると、そこはこの世界でのオレの家の中だった。人里離れた山中の小屋。そこを拠点として行商人をやっているというのが、この世界でのオレの姿だ。

 オレがこの世界を離れてから、どれほどの時間が経ったのだろう?だが、参考になる情報は何も無かった。やむを得ない。そのまま旅装を整えると、上泉先生の邸宅へ向かった。

 上泉先生の邸宅の前に立った時には、陽が落ちてからかなり時間が経過していた。天を仰ぐと、満月が中天に差し掛かっている。どうやら、深夜になってしまったらしい。

 そういえば、この世界では上泉梨奈がオレの帰還を待っているはずだった。この世界にいる間には、梨奈は毎日のように夜這いをかけてきた。だから、今度は逆襲してやろう。この深夜に彼女の部屋に潜り込んで、オレのいなかった期間に何が起きたのかを尋ねてみようと思った。


 月の光に導かれて邸宅の中へ忍び込むと、梨奈の部屋に向かった。庭に面した廊下から扉をそっと開けると、射し込んだ月の光を身にまとうように、女性の立ち姿が皎く輝いていた。梨奈…白無垢の花嫁姿だ。

 彼女のあまりの美しさに圧倒されて、目が離せず声も出ない。無形の糸に心まで縛られたようだ。だが、オレの意識の奥には赤信号が点っている…なぜか凶事が起こりそうな予感がする。

 これは多分デジャブだ。この梨奈はAIだが、現実世界でも梨奈に良く似た美しい女性を見たことがあったような気がする…。しかし、その記憶はあまりに曖昧だ。思い出そうとすればするほど、記憶の中の女性の顔はぼやけていき、ついには全身の姿も光の中に溶けてしまった。


 梨奈はオレの姿を認めると静かに座り、三つ指をついて頭を下げた。

「祥太様、この日をお待ちしておりました。」

 美しい梨奈に魔法をかけられたように、オレは記憶を辿るように話し行動し続けた…。そう、オレは梨奈をこの家から連れて行くことになっていたのだった。

「貴女を盗むために奇襲したのに、奇襲されたのはオレの方みたいですね。待たせたけど、オレのものになってくれますか?」

顔を上げた梨奈の顔は、真っ赤に染まっていた。小さくうなずいた梨奈を抱きしめて、唇を奪った。瞳の潤んだ梨奈から、力が抜けていく。

 成り行きではあるが、この美しくて優しく明るい梨奈を、オレは好きだ。オレ自身が創った世界の中のことではあるが、美しい梨奈と愛を確かめ合えて嬉しい。…そのハズなのに、意識の奥に取り残された「オレ」には全く実感がない。映画かドラマを見ているような気分だ。漠然とした不安に圧倒されて、幸福を感じられずにいた…のだろうか?


 その直後、突然上泉先生が現れて、いきなり一喝した。

「おうおう、人様の大事な孫娘を盗んで行こうたあ、太え野郎だなあ。」

芝居がかって大声を張り上げてはいるが、眼は笑っている。梨奈に白無垢を着せたのは、上泉先生に違いない。

 オレは、上泉先生に答えた。

「梨奈は、きっと私が幸せにするので、お目こぼしください。」

この世界でのオレの立場について記憶をたぐりながら、意識の奥ではこの世界に何をしに来たのかを思い出そうとしていた。

 すると、上泉先生は首を振った。

「庭に降りろ。梨奈を連れて行くなら、俺を倒して行け。」

まあ、上泉先生ならこうなるかな? 想像通りの展開ではあった。

 だが、この時、オレはこの世界に来た目的を思い出した。そうだ、「転」を極めるためにこの世界に来たのだった。これはチャンスだ!


 あれっ?…この展開も既視感がある。えっと、実は上泉先生は体調がすぐれない…ということだったかな?


 オレは心の奥で漠然とした不安を感じつつ、3年ぶりに上泉先生と真剣で対決することになった。上泉先生と真剣で戦う以上、手加減はできない。今は集中するしかない。

 上泉先生が吠えた。

「行くぞ!」

3年前とは違って、こちらの攻撃を待たずに、いきなり下段から薙ぎ払って来た。

 飛び退いてこれを避けると、着地と同時に踏み込んで上段から斬りつけた。さらに、上段からの攻撃を受けられるのを予想して、直後に高速の突きに変化して、これを受けられても反撃させないための籠手斬りまでの3連撃の技だ。

 ところが、上段からの攻撃に対しての上泉先生の受けが弱い。やはり、上泉先生の身体に何か異変が起きている。そこで、オレは無刀取りで、上泉先生の懐に入って素手で押さえ込んだ。

 すると、上泉先生は笑顔で言った。

「合格じゃ。梨奈を連れて行くが良い。」


 だが、オレが手を離しても、上泉先生はなかなか起き上がれない。やはり上泉先生は、体調を悪くしていたのだ。そこで、オレが上泉先生を抱き抱えて廊下に横たわらせると、梨奈が先生の足を洗った。

 上泉先生は、心配する梨奈の頭を撫でながら、言った、

「儂の心配は無用じゃ。桜井殿は見込みがある。幸せになるんだぞ。」

 そこへ、弟子たちがやってきた。梨奈が、祖父の体調が稽古中に悪くなったと説明すると、弟子たちの1人がオレに小声で言った。

「先生の体調は、ここ数日優れない。だが、先生のご希望でもある。貴殿は梨奈殿を連れて、早く行くが良い。先生のことはまかせられよ。」

「済まぬが、宜しく頼む。」


 こうして、オレが梨奈の手を取り上泉先生の邸宅から一歩足を踏み出そうとした瞬間、梨奈が叫んだ。

「祥太様、アレを見て下さい。」

何か巨大な光がこちらに向かって来る。隕石だろうか?

 そして次の瞬間、視界が真っ暗になった…。

 闇に囚われて、ようやく思い出した。これはデジャブなんかじゃない。夢で見た通りだ。オレは予知夢で見て、こうなることを「既に知っていた」のだ。


 「上泉先生の世界」から真っ暗でコンソールしかない世界へ、強制的にログアウトされた。「上泉先生の世界」を創ったオレは、この世界に隕石が落下したり、オレが強制ログアウトされるようには設定していない。

 こんなことが起こったのは何故か?…「上泉先生の世界」が破壊されたのだろうか?そこで、コンソールから「上泉先生の世界」に再び転移しようとしたが、その存在は確認できなかった。「上泉先生の世界」は消滅してしまったのだ。

 あの剛毅な上泉真先生…そして美しい梨奈に、二度と会えない。真っ暗な世界で、手の甲に温かいものを感じた。


 この時のオレは、「上泉先生の世界」が消滅したことの意味を正しく理解していなかった。だがそれは、AMとしてのオレの存在を脅かす問題と、深く関係していたのだった。


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