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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第1章 プロローグ
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1.8. 病気

 それから3週間、実験の呼び出しは来なかった。その間に変わった事と言えば、台風が時々接近してニュースを賑わせていた事と、木田の様子がおかしい事位だろうか?何かいつもボーっとしているように見える。そう、「睡眠学習装置(仮)」の見学で時宮研究室へ行った後から、こんな感じになってしまったのだ。一緒にいたのに気付かなかったが、木田は時宮研究室で何かに衝撃を受けたのだろうか?


 放ってもおけないと思ったので、バイトの無い日に夕食に誘った。木田は一浪なので酒が飲める歳のはずだから、席に着いて直ぐに飲み始めたのは、まあ良いだろう。しかし、それから間も無く、ほとんど何も話さないうちに酒に呑まれていた。

 木田が時宮研に見学に来た時の話をして、少しずつ聞き出そうと思っていたのに。こちらから話を振る前に、自ら蓄積していた想いを吐き出した。

「高木さん…。」

「高木さんがどうかしたのか?」

「いいよな…。」

「どこが?」

「あの清純な乙女の恥じらい。」

いや、あれは恥じらいと言うより、コミュ障もしくは人間恐怖症。つまりは、オレと同類だ。

 でも、木田がおかしくなった原因はわかった。何とかしてあげたいのはやまやまだが、オレはこういうのは苦手だ。酔った木田は、その後も彼の心の中の高木さんへの賛辞を続けた。曰く、()()()()()()()()とか、()()()()()()とか、()()()()()()()などなど。高木さんが()()()()()()なのはオレも同意するが、他のはどうかと思う。

 自分の言いたい事を言ってしまうと、オレにも酒を勧めてきた。こいつは絡み酒かも知れない。

「そう言えば、お前は平山ちゃんとどうなっているんだ?」

木田はムーコこと平山美夢のことを、平山ちゃんと呼ぶ。

「いや、何も無いけど。」

オレは3ヵ月位前にようやく酒が飲める歳になったが、酒にとても弱い事は既に経験済みだ。今だって、少し付き合って飲んだだけで、早くも感情の自制が効かなくなって来たような気がする。

「でも、お前と平山ちゃんはいつも仲良さそうにみえるぞ。」

「確かに、人付き合いの苦手なオレにとって、普通に話ができる数少ない存在だけど…。」

「それなら、付き合っちゃえよ。」

「可愛いんだけど、一緒にいて何か落ち着かないんだよな。違和感があるというか…。恋人とは、家族みたいに信頼しきった関係でいたいんだよなあ…。」

「お前が言う家族って、妹さんの事だろう?シスコンごちそうさま。でも、いくらシスコンのお前でも、妹さんを意識するのは不毛だぞ。」

「そんな事はわかってるさ。」

 しかし、そう言いながらも、

「里奈とは血の繋がっていないから、いつか結婚する事だってあるかもしれないんだぞ!」

と木田の言葉を否定したいという想いが、心の奥底に眠っていた事を自覚した。あれ、「結婚」だって…?心の中の言葉に驚いたが、そんな事は木田には言えない。

「それなら、やっぱりお前は平山ちゃんと付き合うべきだな。」

木田が言った事は、多分正しいのだろう。


 夕食を終えて外に出ると、大雨だった。そういえば、明日の未明にも台風が上陸しそうだと、ニュースで気象予報士が言っていたのを思い出した。既に全ての交通機関が運休してしまったらしいので、自宅から遠距離通学している木田は帰る所がない。うちに泊めてやるしかなさそうだ。里奈に、今晩友人を家に泊めたいと連絡した。


 夜11時過ぎ、ずぶ濡れになって家に着くと、里奈がタオルを二枚持って出迎えてくれた。オレと木田が服やバッグを拭いている間に、里奈が木田に挨拶した。

「いつも兄がお世話になってます。桜井里奈です。」

「木田仁です。深夜に押し掛けてしまって済ませんが、お世話になります。」

木田は里奈に普通に挨拶した。

 しかし、木田はかなり酔っていて、自制できたのはそこまでだった。オレにこっそり話しかけているつもりなのだろうが、耳元で結構大きな声で言った。

「良く出来た妹さんだな。お前がシスコンになるのも分かる気がする。それに二人で並んでいるのを見てると、兄妹と言うより夫婦みたいだな。」

 十分すぎるほどその声が聞こえた里奈は、顔を真っ赤にしつつも何とか堪えて、お風呂の準備が出来ていると告げて自室に戻った。

「こら。里奈をからかうと、許さんぞ。」

オレは軽く木田の頭をこずき、水を飲ませると、先に風呂に入るよう勧めた。


 木田が風呂に入ると、里奈の部屋へ行って謝った。

「木田は悪い奴じゃ無いんだけど、かなり酔っているからタチが悪くて。本当にゴメン。」

「いいよ。お兄ちゃんが友達連れてくるなんて滅多に無いし、木田さんは親友なんでしょう?」

オレはうなづいた。木田に暴言を吐かれた直後なのに、意外に里奈の機嫌は良い。

「それより、お兄ちゃんもお酒くさいけど、大丈夫?」

「酒を飲めって、勧められたからね。だけど、量を抑えたから大丈夫。あと、今晩は木田がいるから、一応部屋に鍵かけといてね。」

と言うと、引き返そうとして、足元が滑った。

 そのまま、里奈を押し倒してしまいそうになった。里奈を下敷きにすると、怪我をさせてしまうかもしれない。とっさに、里奈を抱きしめると身体をひねって、里奈を上にして背中から落ちるように倒れた。床に激突した背中から衝撃が伝わって来て、思わず眼を閉じる。すると、抱きしめた里奈からシャンプーの香りがして…やがて頬に唇を重ねられたような感触を感じた。驚いて眼を開くと、里奈もオレを見ていた。魔法をかけられたように、里奈を見つめて抱き合ったまま動けなくなった。里奈以外何も見えず、里奈の鼓動以外何も聞こえないまま、時間が過ぎて行くのを感じた。

 しかし、その魔法はスマホの通知音で突然破られた。我に帰ると、兄妹としては少し行き過ぎた行動に、ばつの悪さを感じた。多分、オレの顔は照れて真っ赤だろう。里奈を立ち上がらせると、顔を外らせたまま尋ねた。

「大丈夫か?」

里奈はうつむいたまま、うなずいた。

「お兄ちゃん…。」

「何だ?」

「ありがとう…。」

と言って部屋のドアを閉めた里奈のうなじは、ほんのり赤くなっていた。


 間も無く鍵をかけた音がしたので、オレは安心してリビングに戻り、テレビを見ながら木田を待った。木田が風呂から上がって来ると、今度は木田を待たせてオレがシャワーを浴びた。浴室から出て来た時には、既に木田は寝息を立てていた。風邪をひかれても困るので、無理矢理起こしてオレの部屋へ連れて行き、布団に寝かせると、速攻でいびきが聞こえてきた。


 木田の「病気」の正体はわかったが、問題はその治療方法だ。これはやはり、ムーコに相談するしかない。ムーコは、コミュ障の高木さんとも仲が良いみたいだし、頼りになるだろう。

 むしろ、オレの「病気」、すなわちシスコンの方が問題かも知れない。当面は里奈には保護者が必要だから、オレは里奈の「兄」であり続けなければならない。だが、いつか里奈が自立する時、里奈に血の繋がりが無いと告げる日が来るだろう。その時、里奈は「兄」でなくなったオレを、どう思うのだろうか?「兄妹」という絆を失ったオレと里奈は、結局、赤の他人になってしまうのだろうか?そんな関係になってしまうのは、耐えられそうに無い。オレは里奈の保護者だと思っていたが、むしろ、オレが里奈に依存してしまっているのだ。


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