3.15. リチャードソンの夢
フォンノイマンはアインシュタインとの話を続けた。
「実は、俺も見たことがあるんですよ、予知夢。」
オレは耳を疑った。AIでも夢を見るのか?ましてや「予知夢」を?
だが、すぐに気がついた。AIのフォンノイマンが史実と違う道を選択してしまうので、彼に時々強制力をかけて修正するようにしたのは、この世界を創ったオレだ。その強制力を、フォンノイマンのAIの意識は「予知夢」による警告と捉えたのだろう。
フォンノイマンは続けた。
「最近も、所長に怒られる夢を見たんです。EDVAC関連の予算がオーバーしてるって。あれの開発費はペンシルベニア大学で管理してるんだし、プリンストン高等研究所の役目はコンサルティングでしかないから、金額は大したことないと思うんですが。」
あれで大したことないと思っているのか…。だとすると、ペンシルベニア大学には、相当この件で予算がついたんだろうなあ。いや、そんなことを考えること自体、何故かオレも事務員の役に流されているような気がする。
フォンノイマンの話はまだ続いた。
「でも、別な日に見た夢の中では、俺たちが開発したEDVACは、統計局でも使われていました。やがて、民間のメーカーからその後継機が作られて、気象予測や宇宙開発等でも使われる日が来ると。それが実現するならば、こんな予算の10倍位使っても、全く問題無いでしょう?」
あれっ?フォンノイマンやアインシュタイン等のAI達には、どんな形で後の時代の情報が入力されているのだろうか?
さっき話題に出たIUT理論は、歴史上、彼らが亡くなってかなり経ってから提案されたハズだ。それなのに、2人とも普通に理解していた。そのくせ、コンピュータが社会でどう利用されるようになったのかについては、その生みの親の1人であるフォンノイマンですら、夢で見たと言う程度の理解だ。
AI達は、それぞれが「存在」する社会と矛盾しないように、学習した情報をうまく整理・構成して「理解」しているのかもしれない。だったら、それは人間の「理解」と同じと考えて良いのだろうか?
フォンノイマンの発言からあれこれ読み取ろうとしているオレにはお構い無く、フォンノイマンとアインシュタインは議論を続けていた。
「それなら、君は軍だけでなく統計局や気象局なんかにも、EDVACの売り込みをかけているのかい?」
と言ったのは、アインシュタインだ。
それに対して、フォンノイマンは、
「仰る通りです。と言うか、統計局には大分前から話しをしていて、彼らはもう予算化を検討しているところですよ。」
と返す。
「ハハハ。君は精力的なビジネスマンだなあ。」
アインシュタインは、やや呆れているようだ。
だが、フォンノイマンは大真面目だ。
「でも、気象局への売り込みは、もっと学術的だし夢がありますよ。」
「『夢』って、『予知夢』のことかい?」
アインシュタインの反応は、少しずれているかもしれない。
だが、フォンノイマンはこのアインシュタインの反応をスルーして、話を続けた。
「予知ではあるけど、少し違いますかな?気象局の連中…と言うよりも、彼らの先達にリチャードソンと言う気象学者がいて、200 km間隔で大気の動きを計算すれば天気を予知出来ると主張したそうです。」
「それはうまく行ったのかい?」
「リチャードソン自身の実験は、失敗したそうです。だから、気象学者達は、計算による天気予報を『リチャードソンの夢』と呼んでいるとか。実現不可能な『夢』の一つとして…。」
この時代の天気予報は、予報者の主観で大きく変わってしまうものだった。今でこそ、スーパーコンピュータで物理現象を計算して天気を予知するのは当たり前だが、この時代には不可能とされていたのだ。そして、その「夢」を実現した立役者の1人は、間違いなくフォンノイマンだ。
それで、アインシュタインはフォンノイマンに尋ねた。
「でも、君の夢の中では、君のEDVACを使えば天気の予知が可能になったの?」
「リチャードソンが失敗した理由は、圧縮性流体の計算を扱ってきた私には、予想がついています。だから、計算式を修正して計算機のプログラムが作れれば、苦戦するかもしれないけどいずれは可能になると思います。それを、今度プリンストン高等研究所に来るチャーニーっていう若い人と、すでに稼働しているENIACを使って確かめてみようと思っているんです。」
ジュールグレゴリーチャーニー。知る人ぞ知る、「気象学」の世界に聳え立つ智の巨人だ。この時代のプリンストン高等研究所は、一体どうしてこんなにVIPが揃っていたのだろうか?それに、フォンノイマンが口走ったENIACというのは、大学の授業でも習った「世界初の実用的なコンピュータ」だ。ここには、この時代の最先端が揃っている。
ジョッキをグッと飲み干したフォンノイマンは、そこでオレの方を向いて笑顔で言った。
「そんな訳だから、あと一カ月くらい、何とか所長をごまかして欲しい。そうすれば、今の数倍は予算がつくから、赤字も解消するさ。」
「オッペンハイマー所長は、今日も大分グチグチ言ってましたが…。」
「そこを頼むよ。」
アインシュタインはまたしても笑っている。
やれやれ、仕方が無い。オレはため息をつきつつ、久しぶりにあの言葉を呟いた。
「Que sera sera。」
だが、アインシュタインは少し怪訝そうな顔をして言った。
「君は何故、『Que sera sera』なんて言ったのかね?」
「だって、『なるようになる』っていう、諦めの言葉ですよね?」
「時々そういう人がいるが、それは誤解だ。その言葉は本来『人生は自分が切り開く』という意味だ。だから、この場合は君がなんとかしてくれるっていう意味かな?」
オレはさらに深いため息をついた。だが、確かに「なるようになる」なんてことは無い。自分で切り開かなければならないのだ、いつも。今回のムーコの件でも、きっとそうだ。「Que sera sera」なのだ。
深いため息をついたオレを見て、フォンノイマンは今度は、真面目な顔で言った。
「恐らく、現実世界の君の彼女に何か問題が起こるか、それが回避出来れば、君という人工意識体が創る世界の彼女の意識は戻るだろう。だから、現実世界の君をサポートして、現実世界の彼女を守ることだ。」
アインシュタインもオレの方を向いて言った。
「多分、それはそんなに遠くないだろう。早く元の世界へ戻った方が良い。」
オレが2人に礼を告げると、「シュバルツワルドヒュッテ」いや「黒い森のあばら屋」での会議、いや飲み会は終了した。
それにしても、現実世界のムーコに一体何が起ころうとしているのだろうか?オレが戻るはずのない現実世界のことではあるが、早く現実世界のオレに伝えなければ。




