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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
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3.13. 黒い森のあばら屋

3.13. 黒い森のあばら屋


 オッペンハイマーは帰って行った。しかし、お昼休みが過ぎても、フォンノイマンは出勤して来ないようだった。

 お昼頃に、アインシュタインとクルトゲーデルが、議論しながら歩いているのを見た。少し議論が白熱しているのか、喧嘩しているようにも見えるが、実は仲が良かったらしい。

 アインシュタインの一般相対性理論について、クルトゲーデルがゲーデル解という厳密解を示している。これによれば、時間を繰り返す宇宙というものが存在する可能性があるということだ。

 そんな話にも興味はあるが、昨日のアインシュタインの話や今朝のオッペンハイマーの話も含めて、オレが直面している問題について直接的な回答とはならないだろう。やはり、量子物理学と情報システムの両方についての巨人、フォンノイマンの意見が聞きたい。


 だが、そうしている内に日が暮れた。結局、今日は待ち人来たらずか。あきらめて宿舎に戻ろうとしていると、見覚えのある男から声をかけられた。

「やあ、この世界を創った方よ。」

お昼過ぎにクルトゲーデルと歩いていたアインシュタインだ。

 アインシュタインはオレに用事があるようだ。

「アインシュタイン博士、昨日は失礼致しました。」

「今日は、フォンノイマン博士に会えなかったのでしょう?」

「そうなんです。オッペンハイマー所長もフォンノイマン博士を探してましたが、今日はフォンノイマン博士は出勤されなかったみたいでして…。」

 すると、アインシュタインは笑い出した。

「ハッハッハ。フォンノイマン博士なら、ちゃんと研究室にいましたよ。」

「えーっ、なんですって?」

 アインシュタインは、笑みを浮かべながら言った。

「だって、所長は何て言ってましたか?」

「フォンノイマン博士が研究費を使い過ぎるって、ぼやいてましたが…。」

「でしょう。フォンノイマン博士は、『所長に捕まるとお説教される』って言ってましたよ。」

…全くこの人達は。超天才なのに、まるでイタズラっ子だな。

 それでは、フォンノイマンは所長の目が届かないところで何をしていたんだろう?オレがそれを問うと、アインシュタインは答えた。

「クルトゲーデル博士は、今日の午後、フォンノイマン博士の研究室でシステムの不完全性について議論していたそうですよ。」

「えっ、そんな…。フォンノイマン博士は、所長や私たちに気が付かれないうちに、一体どうやって研究所の中に入って来られたんでしょう?」

「『秘密の抜け道』があるらしいですよ。私もまだ教えて貰ってませんが。」

そう言うと、アインシュタインはニヤッと笑った。『秘密の抜け道』なんて、まるで子供の会話だ。でも楽しそうだ。


 笑いを収めたアインシュタインは、話題を変えた。

「それでなんですが、これから軽く一杯飲みに行こうと思っているんですが、貴方も一緒にいかがかと。」

「私なんかがご一緒して、宜しいんですか?」

「フォンノイマン博士がご指名ですよ、世界を創った方。」

「それは光栄ですが、何故アインシュタイン博士がおいでになったのですか?」

 すると、アインシュタインは吹き出した。

「フォンノイマン博士は、もうしばらく所長に捕まりたく無いそうですよ。いくら彼が抜け道を使っても、ここに来れば捕まりそうだからね。オッペンハイマー博士に。」

 あのオッペンハイマーのにがりきった表情を思い出して、オレも笑いそうになった。

「わかりました。是非伺いたいと思います。それで、何時、何処に行けば良いのでしょう?」

「今から、私と一緒に行きましょう。『シュバルツワルドヒュッテ』でフォンノイマン博士が待ってますよ。」

 「シュバルツワルドヒュッテ」なんていうと格好良さそうだが、ドイツ語を直訳すれば「黒い森のあばら屋」だ。レストランというより、酒場を連想させる。


 こうしてアインシュタイン博士と向かった先は、小さいが洒落たドイツ料理店兼ビアホールだった。そう言えば、アインシュタインもフォンノイマンも、ドイツ語圏の出身だ。ただし、アインシュタインはドイツ生まれ、フォンノイマンはオーストリア=ハンガリー帝国生まれ。

 店内に入ると、歓声とビールのジョッキがぶつかり合う音が聞こえてきた。

「よう、来たか。この世界の創造主さんよ。」

精悍だが少し頭の禿げた、40歳台後半のフォンノイマンの姿がそこにあった。彼は既にビールジョッキを手にして、テーブルにはドイツ料理が並んでいた。

 ようやく、ジョンフォンノイマンに会えた。

「本日は、お招きいただき、ありがとうございました。」

すると、アインシュタインが間に入って言った。

「こんな場所なんですから、無礼講で行きましょう。」

 長老格でほぼ70歳のアインシュタインがそう言うので、こんなVIP達を前にして、気楽に飲ませてもらうことにした。アインシュタインとオレ自身のジョッキをカウンターで購入すると、フォンノイマンとアインシュタインの待つ席についた。

 

 3人で乾杯すると、早速ソーセージにかぶりつく。ビールはヴァイツェン。うまい!オレはこんな美味しいビールを飲んだことは無いのに、何故この世界でこの味を感じとれるのだろう?もしかすると、この味の記憶は過去ではなく未来のオレの記憶なのだろうか?


 少し空腹がおさまった頃に、やや赤ら顔になったフォンノイマンが話を切り出してきた。

「それで、俺に聞きたいのは、君の恋人の意識を戻す方法だったかな?」

「恋人…じゃなくて同居人です。それに、私自身は人工意識体で、彼女は私の心の中の存在なんです。」

「そうだったな。話は聞いているぞ。『心の中の存在』ってことは、夢の中の登場人物みたいなものなんだろうな。それが意識を失うってことは…どう言うことだろう?」

 あらら…。頼りにしていたフォンノイマン先生に、あっけなく白旗を上げられてしまったのだろうか?彼は『人類最恐の頭脳』と言われた男…のハズなのだが。たとえ今は赤ら顔でも。

 少しガッカリしていると、フォンノイマンは何やら頷くと、何処からかノートと鉛筆を取り出した。すると、アインシュタインがつぶやくように言った。

「始まりましたね。」

「どう言うことですか?」

「彼の頭脳が、本気で活動を始めたと言うことです。大抵の問題は、彼の頭の中だけで結論が出るのですが、それでは済まない難解な問題が含まれているのでしょう。」

「はあ。」

 目の前でオレとアインシュタインがそんなやりとりをしていても、フォンノイマンは全く何も聞こえていないようだった。一心不乱なフォンノイマンが、猛烈なスピードでノートを数式で埋めていく。その数式をチラ見しても、オレには意味がサッパリわからない。

 だが、アインシュタインは目を輝かせた。

「なるほど。繰り込みをうまく使って、エンタングルメントの連鎖を数学的に表現している。これなら…。」

「『これなら』どうなるんですか?」

だが、アインシュタインは笑っているだけで、答えてくれなかった。


 10分位数式を書き綴っていたフォンノイマンが、手を止めて顔を上げた。

「これで、現時点で分かる範囲ではあるが、君の問いに答えられるぞー。」

赤ら顔で少しテンション高めのフォンノイマンが、ジョッキを片手に笑顔で宣言した。


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