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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
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3.12. ロバートオッペンハイマー

 こちらの世界に来てから2日目。昨日はその後もプリンストンの街をぶらついて、夜は酒場で飲んできた。活気のある酒場は騒々しかったが、楽しかったので飲み過ぎてしまった。「のっぺらぼう」の団員ばかりではあったが、ジャズの楽団の生演奏もあった。いや、顔が見えた団員も1人か2人いたような気がする。

 今日、プリンストン高等研究所にフォンノイマンが帰ってくるハズだ。だが、一応オレの立場は研究所の事務員。しっかり遅刻せずに出勤しないと、余計な混乱を引き起こしてしまうかもしれない。ムーコの意識を取り戻す方法を、今日、フォンノイマンから聞き出すのだ。

 2日酔い気味の身体に鞭打って、宿舎を出た。


 いつもの「のっぺらぼう」の事務員に挨拶すると、自分のデスクについた。ここでのオレの仕事は 研究費の管理だ。仕事はいくらでもある。高名な研究者が集うプリンストン高等研究所のことだし、まだ軍関係の予算も潤沢にある。収入は莫大だったが、出ていくお金も多い。科学の実験にしろ様々な機器の開発にしろ、とにかくお金がかかる。

 デスクについて1時間くらいすると、オレのデスクにやってきた人がいた。ロバートオッペンハイマー、その人だ。研究者の出勤は遅いと思っていたが、この人は違うらしい。原爆の父とも言われ、マンハッタン計画の立役者。そして、今やこのプリンストン高等研究所の所長でもある。


 彼は、デスクの前に来ると、すぐに声をかけてきた。

「フォンノイマン博士は、今日帰ってくるんだよな?」

「そう聞いてます。」

「彼が来たら、話し合わなければならん。君にも入ってもらうぞ。」

「はあ。」

「彼の進めているEDVACの開発、流石にお金がかかりすぎだ。とっくに予算を超えていると思うが、どうだろう?」

 実はこの時既に、予算の2倍を超えていた。何しろEDVACは世界初の、フォンノイマン型のコンピュータとなるはずだった。興味があったので、今朝デスクに着くと、真っ先に開発状況を確認していたのだ。

 当代きっての天才技術者であるエッカートとモークリーがEDVACの開発から離脱して、効率が格段に落ちたのだろう。あの敗戦後の日本で、糸川英夫が僅かな資金で世界で4番目の人工衛星を打ち上げたように、天才は物事の核心を見抜き時間と資金の不足を超えて物事を成し遂げる。

 結局この世界でも、大天才フォンノイマンは、この状況を乗り越えてEDVACを完成させるのだろう。その過程も見守れると面白そうだが、今はムーコの意識を回復させる方が先だ。フォンノイマンはいつ来るのだろうか?


 とは言え、目の前にいる所長様の問いに、答えないわけにはいかない。

「実は…もう予算をオーバーしてます。」

武士の情けだ。嘘はついてないが、「予算の2倍を超えた」とは言わないでおいた。

 それでもオッペンハイマーの表情は暗い。

「彼と関わっていると、いつもこうなる…。まあ、今回の『計算機』は、直接人を殺戮する兵器でないだけずっとマシだが。」

そう言って、頭を抱えた。

 オッペンハイマーは「原爆の父」の異名で有名になってしまったが、理論物理学者として素晴らしい実績を持つ研究者だ。むしろ、彼は原爆投下の後、原爆開発を終生後悔する。そしていずれ、アメリカに吹き荒れる風「レッドパージ」が、彼を直撃することになるのだ。


 そう言えば、オッペンハイマーの専門は理論物理学の中でも「ブラックホール」だ。昨日、アインシュタインは言っていた。オレの記憶や意識が時間を超えたかもしれない、と。もし、タイムマシーンを作ろうとするのであれば、ブラックホールが重要な役割を持つと聞いたことがある。この世界随一の「ブラックホールの専門家」は、昨日のアインシュタインの話をどう思うだろうか?

 そこで、オレはオッペンハイマーを宥めつつ、話題を変えることにした。

「フォンノイマン博士なら、結局ご本人がなんとかすると思いますよ。」

「それもそうだな。今もきっと、上手いこと言って、軍以外からもスポンサーを募っているんだろうな。」

 さすがはオッペンハイマー。彼の予想が正しい事は、後でわかった。しかし、ここは話題を変えるチャンスだ。

「それでですね、オッペンハイマー博士に、教えていただきたいことがあるんですが?」

「何だ?」

「昨日、アインシュタイン博士と雑談しているうちに、私の意識や記憶が時間を超えたのかもしれないって言われたんです。量子エンタングルメントがどうとかって。でも、そんなこと可能なんでしょうか?」

 オッペンハイマーは、少し沈黙してから言った。

「アインシュタイン博士が、確かにそう言ったのか。」

「ええ。」

「でもなあ。私は量子力学のことはアインシュタイン博士ほど詳しくないが、ブラックホールの構造を考えると、現時点では『無理』と言わざるを得ないな。」

 その結論で終わりにされてしまうと、オレが経験した「時間のループ」はあり得ないということになる。それでは、振り出しに戻ってしまう。「時間のループ」について説明がつけば、ムーコの意識を取り戻す方法の手がかりになるかもしれないのに…。

 そこで、オレは食い下がった。

「それは、どういうことですか?」

「相対性理論では、時間旅行をするためには、光よりも速く動かねばならない。そのためには、ブラックホールが必要だ。」

 オッペンハイマーはそこまで言ってから、何かを思い出したような表情で、話題を切り替えた。

「ところで、君はブラックホールをどんなものだと思っているのかね?」

「星が自分の重力に負けて、限りなく小さくなっていったもの…でしたよね?」

「そうだ。そうして出来た『点』が特異点だ。この場合の『点』は数学的な意味とほぼ同じ、全く体積を持たないのだ。そこを何かの情報が通過できると思うか?」

「いいえ。」

「直感的にもそうだが、ちゃんと数学的に解いても同じ答えになる。」

 理詰めのオッペンハイマーの結論は、オレの常識とも一致する。やはり、昨日のアインシュタインの発言は、一種の「ご愛嬌」なのだろうか。少しがっかりして、オッペンハイマーに答えた。

「それでは、やっぱり無理なんでしょうか?」

 ところが、ここから先のオッペンハイマーの話には夢と希望があった。

「特異点が面積を持てば良いのだ。そのためには、ブラックホールが超高速回転していなければならない。今の所、ブラックホールそれ自体も見つかっていないのに、それが超高速回転しているなどと大胆なことを言うのが難しいのだ。」

「それなら、その『超高速回転ブラックホール』が存在すれば、情報が時間を遡ることも可能なんでしょうか?」

 少し考え込んだオッペンハイマーは、それでも少し楽しそうだ。

「情報が時間を遡るためには、他にも仕掛けが必要だと思うが…例えばエンタングルメントとか。」

「そのあたりの説明がつけば、もしかするとタイムマシーンも作れるようになるのでしょうか?」

「そう言う話は楽しそうだな。だけど、まだ人間は成層圏を超えて宇宙へ行ったことすらないのだ。」

「そうですね。」


 その頃、ドイツからアメリカへ亡命していたロケットの天才フォンブラウン博士が、「人間は宇宙へ行ける」とあちらこちらで吹聴していたはずだ。かのウォルトディズニーとも手を組み、ディズニー社の映画の監修も手がけた。その彼がNASAでアポロ計画の中心となるサターンV型ロケットを開発するのは、この世界ではまだ先の話だ。


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