3.10. フォンノイマンの世界へ
今は少彦名命にオレの複製体を作ってもらって、ログアウトすることにしよう。
「少彦名命、オレはそろそろログアウトしなければならない。さっきの話の通り、オレの複製体を作ってもらえないか?」
「承知しました。」
こうして、少彦名命の「無限複製」で、オレの小人10人と通常サイズの複製体1人が現れた。少彦名命も娘の父親。やはり娘には勝てないらしい。
その後、璃凪姫と口付けを交わすと、ベッドに横になった。そこで、二人に別れを告げると、システムからログアウトした。
「真っ暗でコンソールしか無い空間」に意識が戻って来た。さらにそこからもログアウトしてAM世界に戻ると、「睡眠学習装置(仮)」のシェルが自動的に開いた。
前回「神々の世界」からログアウトした時と同様に、シェルの外も真っ暗だった。予定していたよりも、長くログインしていたらしい。手探りでシェルから出て研究室の照明を点けると、時刻は午後9時を回っていた。
ムーコがいるはずの仮眠室は、今も真っ暗だ。変化は無いようだ。そこで、預かっている鍵を使って中に入る。ムーコは寝ているのではなく意識が無いだけなので、遠慮なく照明を点けた。
眩しくて目覚めてくれるなら…。そうなってくれると良いのだが…残念ながらそうはならなかった。目の前のムーコは、明るい照明の下で、ヘッドセットをつけたままピクリとも動かない。ムーコの寝息だけが、彼女が生きていると主張している。
「神々の世界」では、ムーコのキャラクターであるミュウは見つかっていない。まだ探索は続けているが、オレの次の手は、今度こそフォンノイマンのAIを完成させてムーコの意識を取り戻す方法を聞くことだ。
でも、今日はなんか疲れた。もう気力が持ちそうにない…それはAMのオレには気のせいなのだろうが。そういうわけで、今日は帰宅して、明日フォンノイマンの世界へ転移することにした。
就寝前、いつものようにPCから現実世界のムーコの護衛ドローンにアクセスした。すると…、ムーコの寝息が聞こえて来る。そして、彼女の寝姿がディスプレイに映し出された。顔にヘッドセットの無い、健康そうなムーコ。
このAM世界で、こんな健康そうなムーコを取り戻す手掛かりを、もうすぐ掴めるはずだ。ドローンへのアクセスを切ってPCをシャットダウンすると、オレも眠ることにした。全ては明日だ。
今朝は気合いが入っているのか、7時前には目覚めた。…いや、現実世界で真面目に大学生活を送っていた頃には毎日そうだった…。
大学ではオレ自身が知らない知識を学べないから、授業に出ない。オレに都合良く、食料もお金も無くなることがないから、頭脳工房創界へも顔を出していない。これが幸せなのか不幸なのか、今のオレには良くわからない。
ただ、一人で生活をしているのは、どこか寂しい。だから、この世界に来て早々に、ムーコを同居人にしたのだった。朝食を終えたオレは、同居人を取り戻すべく、大学に向かった。
時宮研究室に着いたのは、まだ8時前だった。もちろん、誰もいない。「ゲート」を使って「フォンノイマン博士の世界」に入るために、いつものようにつなぎに着替えて睡眠導入剤を飲んでから、「睡眠学習装置(仮)」のベッドで横たわった。すると、自動化されたオペレーションで「睡眠学習装置(仮)」のシェルが閉じられ、「ゲート」が自動的に起動する。
真っ暗でコンソールしか見えない世界に意識が転移し、コンソールから「フォンノイマン博士の世界」を1万倍速にした後、ログインする。こうして、「フォンノイマン博士の世界」へ意識が転移していく。
「フォンノイマン博士の世界」では、オレはプリンストン高等研究所の事務員となっていた。何度も似たような世界に来ていたので、研究所のマップを含めて状況はしっかり頭に入っている。
予定通りなら、40歳代後半にさしかかったフォンノイマンは、この研究所に在籍しつつ、様々なプロジェクトに関わる重要人物になっているはずだ。オレは、これまでの経験から、同僚のはずの「のっぺらぼう」の事務員を探した。
すると、いつものように事務室で執務中の彼を見つけた。早速、尋ねてみる。
「この研究所には、フォンノイマン先生がおられると聞いたのだが、どこに居られるのだろう?」
すると、彼の反応は前回と全く同じだった。
「フォンノイマン?誰のことですか?そんな方は存じませんが。」
またダメだったか。しかし、これ以上どうすれば良いのだろう。オレは頭を抱えた。
だが、ふと振り返ってオレの顔を見た彼は、
「ん、ニコルか。君には、フォンノイマン先生の居所を秘密にする必要は無かったね。何しろ、フォンノイマン先生は今やVIPだからさ。よく新聞記者なんかが、我々の同僚に紛れて入ってきて、彼の動向を聞き出そうとする。…それに、某国のスパイも潜入してるなんて噂まであるしな。」
「えーっ、そうなんですか!」
と答えながら、オレは少し安心した。
今この世界は、第二次世界大戦が終了し、冷戦が勃発した時代にさしかかっていた。原爆開発の立役者で、EDVACと言うほぼ世界初の汎用コンピュータ開発にも関わるフォンノイマンは、軍事的な意味でも重要人物だった。
今でも暗号の作成と解読にはコンピュータが欠かせないが、当時はそれに加えて、砲弾の弾道解析がコンピュータ開発の主要な目的とされていたのだ。
EDVAC開発の技術面を主導してきたエッカートとモークリーが開発チームから抜けたため完成が遅れ、結局、世界初の汎用コンピュータの座はENIACに奪われてしまった。
だが、CPUとメモリ、それにこれらを結ぶバスからなる「ノイマン型コンピュータ」の基本理論は、まさにこの頃フォンノイマンにより発明されたのだ。今もほとんどのコンピュータは、ノイマン型に分類されるものである。
さて、EDVAC開発から抜けたエッカートとモークリーはコンピュータメーカーを設立したのだが、共産主義者を雇ったとして、折角アメリカ軍と取り付けたコンピュータの販売契約を失って苦境に立つことになる。歴史的には、そう言う時代なのだ。




