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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第3章 メメントモリ
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3.6. 昼下がりのお茶会

 作業を終えて、ふと辺りを見回すと、ここは時宮研究室だった。集中していると周りが見えないのは、現実世界で過ごしていた頃と同じだが、AMになってより激しくなったような気がする。

 少し離れたソファーでは、高木さんと豊島、それに新庄が、いつの間にかお菓子を囲んで歓談していた。時宮准教授の姿は見えない。昼下がりのお茶会と言ったところだろうか。

 時宮准教授がいてもいなくても、ここはいつもこうだ。「のっぺらぼう」の先輩達は、あまり見かけない。ちゃんと卒論や修論を書けるのだろうか?他人事ながら、心配になる。なお、時宮研究室に博士後期課程の先輩はいない。


 ふと、目が合った高木さんに呼びかけられた。

「桜井君も、こっちに来たら?」

 高木さんに出会った頃は、コミュ障を拗らせた人だと思っていた。だが現実世界でも、オレや木田に対してだけでなく、後輩の豊島や新庄とも快活に話が出来るようになっていた。AM世界でも、現実世界を反映して、コミュ障をほとんど感じさせ無い。


 女子ばかりのお茶会にお邪魔するのは少し躊躇したが、このメンツは皆顔が見える…仲間だ。「遠慮」と言う言葉を呑み込んで、オレも参加させてもらうことにした。

 豊島から、声をかけられた。

「平山さん、まだ起きないんだって?」

「そうなんだ。それで、どうやったら彼女の意識が戻るのか、いろいろ試しているんだ。」

 すると、今度は高木さんから問われた。

「桜井君は、どんなことを試しているの?」

「現実世界の時宮先生に相談したり、フォンノイマンのAI作りをしてます。出来たら、フォンノイマンのAI にも相談しようと思って…。それと、『神々の記憶』世界での仲間に、ムーコがプレイヤーとしてログインしていないか、探索してもらってます。」

探索を頼んだ相手が、『神々の記憶』世界で結婚した璃凪姫とその父親であることは、事態をややこしくするので言わなかった。


 そこに、ゲームオタクの新庄が話に入ってきて、

「『神々の記憶』で平山さんを探索って、桜井君、あのゲームにログインしてもすぐに死ななくなったんだ?頑張ったね。よしよし。」

と言って、オレの頭を撫でた。

 新庄の手から、何か甘〜い香りがする。彼女に限って、男心をくすぐる類いの香りでは無い。きっと、お菓子を触ってベタベタな手を、オレの頭に擦り付けているのだろう。新庄のことだ。決して、わざとでは無い。ゲーム以外には、諸々頓着しない奴なのだから。…現実世界でもそうだった。

 そこでオレは涼しい顔で、

「『神々の記憶』で生き残れるようになったのは、新庄のおかげだよ。ありがとう。」

と応えたが、正にその通りなのだ。新庄には少しだけ恩がある。でもそう言いながら、チョコレートを摘んだ直後の、ちょっとベタついた手で新庄の頭を撫でたのは、わざとだ。

 それを見て勘違いした豊島が、意地悪そうに、

「恋人の平山さんの意識が戻らないのに、浮気か、桜井?」

と言って、軽くオレを睨む。すると新庄は、感情を感じられない言い回しで、

「私、今のところ、桜井君に貞操を捧げる気は無い。」

と言って、逃げるようにしてオレから離れた。


 それを見ていた高木さんは、苦笑いしながらオレに尋ねた。

「フォンノイマンのAIって、どうやって作るの?」

そう言われても、いきなりそれを説明するのは難しい。やはり、「劉老師の世界」と「上泉真先生の世界」を創った時の考え方を、先に説明するべきだろう。

 そこで、オレは話し始めた。

「その前に、新庄に言われたことをヒントにして、歴史上実在した2人の武道家達のAIを作った時のことを説明しましょう。」

豊島と新庄もリケジョだ。興味があるようで、眼が輝いている…かもしれない。

「基本的な言語や性格、能力等のデータベースでそれらしいAIを作り、それを『子供』とします。それを、各武道家が成長したであろう環境の中で、成長させるのです。AIが成長した時点で、その世界に時宮研の『睡眠学習装置(仮)』で『プレイヤー』として入って、武術を教わりました。」


 その直後、新庄が手を挙げて、

「私も、桜井君が創った武道家達の世界に入りたい。そのためなら、桜井君に私の貞操をあげても良いかも。」

なんて言うから、それを聞いた豊島が今度は本気でオレを睨んだ。だが、オレは面倒なので、2人の反応をスルーした。


 オレは紅茶を一口啜ると、説明を続けた。

「今回も同じ方法で、『フォンノイマンの世界』を創り、『フォンノイマンのAI』を成長させようとしたんです。成長した『フォンノイマンのAI』に、量子コンピュータや人の意識についての最新の知識を吸収してもらえば、ムーコの意識を取り戻す方法がわかるのではと思ったのですが…。」

「今のところは、上手くいって無いと言うことね?」

高木さんが後を続けてくれたので、頷いた。

 少し落ち着いた豊島が、不思議そうに聞いてきた。

「でも、何で上手くいかなかったのかしら?」

「フォンノイマンのAIが、史実通りに行動してくれなかったんだ。史実ではナチスのユダヤ人迫害を逃れてアメリカへ移住して、科学者としての人生を送るんだけど…AIのフォンノイマンはアメリカへ移住しないでナチスに殺されたり、アメリカへ移住しても科学者じゃなく軍人になっていたり…。」

 すると今度は、新庄からの質問だ。

「でも、前に作った2人の武道家のAIは、史実通りに行動してくれたんでしょ?」

「そうなんだよ。だけど、フォンノイマンはねぇ…。頭が良いせいか、性格も複雑なのかも知れない。それに、現実世界の時宮先生は、フォンノイマンは『数奇な運命を持っている』って言ってたよ。」

 このオレの言葉に対して、

「数奇な運命って?」

と、今度は豊島が聞いて来た。

「軍人になったフォンノイマンのAIの世界に行った時には、史実と全然違うから、とても奇怪な感じがしたのさ。だけど、史実上のフォンノイマンも、確かに軍隊に志願しているんだ。」

「何か意外。でも、それで『数奇な運命』っていうのはちょっと違うと思うけど。」

「もちろん。史実では、ちょっとした手続きの問題で却下されたらしいんだ。だけど、もし志願が通っていたら、科学者ではなく軍人になっていたんだろう。オレは『フォンノイマン大将』の世界を見て来た。アメリカ軍は原爆を開発していなかったし、多分あの世界にはコンピュータも生まれないだろう。」

「桜井君が言いたいのは、バタフライエフェクト…『蝶の羽ばたき』…程度のことで、フォンノイマンの運命が大きく変わってしまうということ?」

「そうなんだ。それに、大天才である彼の行動は、世界をも大きく変えてしまう。さらに、変わってしまった世界が、彼の行動を変えてしまうことにもなる。」

「なるほどね…。」

豊島は考え込んでしまった。


 静けさを破ったのは、高木さんの言葉だった。

「それで、桜井君はどうするつもりなの?」

そこでオレは、

「現実世界の時宮先生の助言から、フォンノイマンのAIの選択に強制力を加えて、史実と同じ選択をさせようと考えてます。それに、彼の性格については、外面と内面を分けて学習させたデータベースを作って使おうと思ってます。」

と応えた。時宮准教授が送ってくれた、「フォンノイマンの箱」の情報を使うことについては、黙っていた。

 すると、豊島から、

「フォンノイマンのAIが上手く作れなかったら、どうするの?」

と聞かれた。それは、オレも不安だった。しかし、その不安を押し殺して、笑顔で応じた。

「現実世界の時宮先生は、ムーコはそのうち起きて来るだろうって言ってくれたから、大丈夫だと信じてるよ。」


 結局、確定していない未来に進むためには、理屈だけでは動けなくなってしまうこともある。そんな時は、信じて進むしか無い。そんな当たり前のことに、今さら気がついた。




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