2.20. 海の要塞
オレは少彦名命に向き直って言った。
「これから、貴方の娘さんを助けに行こう。」
少彦名命は喜色満面、笑顔で頷いた。オレは続けて言った。
「だけど、解決しなければならない問題がいくつかある。」
「それは何ですか?」
「先ずは、ここからどうやって出たら良いのか?だな。通路を戻れば出られるのだろうか?」
すると、少彦名命は、
「少し待ってください。」
と答えて、システムで何か操作を始めたようだ。やがて、明るかったドーム型の天井が少し暗くなり、マップを映しだした。真ん中に円形の部屋があり、扉が部屋と通路を隔てている。その通路はクジラの口と肛門、それに噴気孔へと伸びているように見えた。
システムからマップを映し出す操作を終えた少彦名命が、説明し始めた。
「この円い部屋が、今、私達がいる場所です。そして、その扉の出口からクジラの口へ進む通路を、私達は逆に通って来たようです。」
「じゃあ、やはり来た通路を戻れば良いのか。」
すると、少彦名命は首を横に振って答えた。
「このクジラは、常に前に進んでいます。今の私ならシステムからクジラの口を開けられますが、そうすると大量の水が入ってきてしまいます。もし、口の近くまで行って口を開けると、きっと水と共に内部へ流されてしまうでしょう。それに、この部屋ではフライングシャークの出現は手動ですが、通路では常に自動で出現するようです。主人殿がいるから負けないとは思いますが、群れが出てくるとなかなか面倒だと思います。」
「それなら、肛門か噴気孔への出口は?」
「肛門はおススメしません。」
「何で?」
「生き物のクジラと同じですよ。この要塞の廃棄物は、自動的に肛門の方へ移動させられて行くようですので、そちらは汚いモノだらけだと思います。」
「そうか。肛門から出るのはやめるとして、そこから外敵は入って来ないのか?」
「普段は自動的に開閉されておりますが、常に大量の水が廃棄物と一緒に肛門から放出されているので、無理でしょうね。」
「それでは、噴気孔から出られないのかな?」
「噴気孔から出るには、狭くて長い階段を登る必要があります。でも、登ってしまえば、私がシステムから噴気孔を開けられます。」
「出られそうだけど、面倒くさそうだな。それに、噴気孔から出た後はどうなるんだ?」
少彦名命は、
「そうですね…。」
と言いながら、またシステムを呼び出して、何やら操作している。
そのうち、少彦名命は一瞬何かに驚いたような表情をした後、オレの方を向いて言った。
「まあ、おかけください。」
「…って、何処に?」
と言いかけて、既に自分の手が柔らかいソファーに触れていることに気付いた。
少彦名命に目で問いかけると、答えてくれた。
「この海の要塞の機能として、丸い部屋の中ではベッドやソファー、ダイニングセット、それに飲食物を自由に出したり消したりできるようです。」
いい加減な設定だ。ベッドもソファーも「神々の世界」で設定された先史時代には無かったものだぞ。だけど、この世界で戦った後で一時的に休憩したり、ログインやログアウトするには良い空間だ。
少彦名命に、
「それは便利だな。」
と応えると、なぜかお腹が空いてきたような気がする。確か、「神々の記憶」は視覚と聴覚だけしか提供しないハズだから、これは「リアライズエンジン(改)」が作った感覚なのだろうか?
この要塞の機能を確認するには良い機会だ…ということにしておこう。少彦名命に、
「鰻重が食べたい。」
と告げると、
「こちらへどうぞ。」
と案内された。ソファーとは少し離れた場所に、いつのまにかダイニングセットが出現し、その上に鰻重が二膳置かれていた。少彦名命も鰻重が食べたかったらしい。
しかし「神々の記憶」には、こんなグルメイベントがあるなんて、聞いたことがない。これも「リアライズエンジン(改)」の仕業なのだろうか?しかし、「リアライズエンジン(改)」は、ゲームのような電脳世界での装着者の感覚を、現実的なものに拡張するだけだ。ゲームの設定やシナリオを変えることは出来無いハズなのだが…。
まあ良い。”Que sera sera”(なるようになる)だ。
「それでは、頂くぞ。」
…ちゃんと鰻重の味がした。山椒の香りもする。
鰻重を食べながら、少彦名命が話し始めた。
「上をご覧下さい。」
すると、先程まで「海の要塞」のマップが示されていたドーム型のスクリーンには、今度は青空と海、それに入道雲が映されていた。陸影は見えない。
この景色が何なのか?オレは頭に浮かんだ答えを言葉にした。
「これは、この要塞の上の景色なのだろうか?」
少彦名命は頷いた。
そこで、少彦名命に重ねて質問した。
「ここには舟は無いのか?」
すると、少彦名命は答えた。
「先程からシステムで探しているのですが、見つかりません。どうやら、存在しないようです。」
「それなら、噴気孔から出たら、泳いで上陸するしかなさそうだな。それなら、この『海の要塞』を陸に近づける必要がある。」
「私もそう考えて、その方法を探しておりました。」
少彦名命がシステムを操作すると、海上の景色の一部が地図になり、そこに可愛いクジラのキャラクターが1匹表示された。
「これを操作すれば、海の中なら好きな場所へ移動出来ます。」
地図を見ているうちに鰻重を食べ終えたので、オレは少彦名命に言った。
「今度は、コーヒーが飲みたいのだが。ケーキもあると、ありがたい。」
今度は、さっきまでいたソファーの前のテーブルの上に、コーヒーカップとケーキのセットが2つ現れた。芳ばしい香りがして、落ち着く。「リアライズエンジン(改)」の頑張りに、少し感謝した。
ゲームの中で、オッサンと2人でケーキを頬張る。しかも、2人とも貫頭衣を着ているのだ。違和感ありありだが、ここは心地良い。しかし、いつまでもこうしてはいられない。早く少彦名命の集落へ行かなければ。彼の娘を助けたら、ログアウトして、ムーコが「神々の記憶」のどこに現れたのかを早く確かめたいし…。
コーヒーを飲みながら、オレは少彦名命に告げた。
「さあ、この『海の要塞』を貴方の集落の近くまで移動させてくれ。近づいたら、噴気孔から外に出て陸まで泳ぐぞ。」
すると少彦名命は、
「それよりも、もっと良い方法を見つけましたよ。」
と言いながら、あご髭を撫でた。




