2.13. 夢とインターフェース
深夜、上泉先生の邸宅に忍び込み、梨奈の部屋に向かった。庭に面した廊下から扉をそっと開けると、射し込んだ月の光を身にまとうように、女性の立ち姿が皎く輝いていた。梨奈はオレが来ることを知っていたのか、白無垢…花嫁衣装だ。神々しい美しさに、声もかけられず、しばらく見とれてしまった。
梨奈はオレの姿を認めると静かに座り、三つ指をついて頭を下げた。
「祥太様、この日をお待ちしておりました。」
「貴女を盗むために奇襲したのに、奇襲されたのはオレの方みたいですね。待たせたけど、オレのものになってくれますか?」
顔を上げた梨奈の顔は、真っ赤に染まっていた。小さくうなずいた梨奈を抱きしめて、唇を奪った。瞳の潤んだ梨奈から、力が抜けていく。
その直後、もう1人に「奇襲」された…上泉先生だ。そう、上泉先生こそ、オレが来ると確信して弟子に監視させていたに違いない。だから梨奈もオレが来ることを知っていたのだろう。
上泉先生は部屋に入って来るなり、いきなり一喝した。
「おうおう、人様の大事な孫娘を盗んで行こうたあ、太え野郎だなあ。」
芝居がかって大声を張り上げてはいるが、眼は笑っている。声には出さないが、大体、梨奈に白無垢を着せたのも上泉先生ではないのか?と思ったオレは、上泉先生に答えた。
「梨奈様は、きっと私が幸せにするので、お目こぼしください。」
すると、上泉先生は首を振った。
「庭に降りろ。梨奈を連れて行くなら、俺を超えて行け。」
まあ、上泉先生ならこうなるかな? 想像通りの展開ではあったが、少しため息をついた。
こうして、3年ぶりに上泉先生との真剣対決となった。上泉先生が吠えた。
「行くぞ!」
3年前とは違って、こちらの攻撃を待たずに、いきなり下段から薙ぎ払って来た。
これを刀で受けると、弾かれる。そこで、飛び退いてこれを避けると、着地と同時に踏み込んで上段から斬りつけた。だが、これで終わらない。上段からの攻撃を受けられるのを予想して、直後に高速の突きに変化して、これを受けられても反撃させないための籠手斬りまでの3連撃の技だ。
ところが、上段からの攻撃に対しての上泉先生の受けが弱い。何かおかしいと思ったオレは、剣戟を避けるべく上泉先生の懐に入り込んで、素手で押さえ込んだ。そう、無刀取りだ。
すると、上泉先生は笑顔で言った。
「合格じゃ。梨奈を連れて行くが良い。」
だが、オレが手を離しても、上泉先生はなかなか起き上がれない。そこで、オレが上泉先生を抱き抱えて廊下に横たわらせている間に、梨奈が先生の足を洗った。上泉先生は、心配そうな梨奈の頭を撫でながら、言った、
「儂の心配は無用じゃ。桜井殿は見込みがある。幸せになるんだぞ。」
そこへ、例の堀三太夫らしきのっぺらぼうを含む弟子達が、物音を聞きつけてやってきた。彼らに梨奈が、祖父の体調が稽古中に悪くなったと説明した。堀が近づいて来て、小声で言った。
「先生の体調は、ここ数日優れない。だが、先生のご希望でもある。貴殿は梨奈殿を連れて、早く行くが良い。先生のことはまかせられよ。」
「済まぬが、宜しく頼む。」
こうして、オレが梨奈の手を取り上泉先生の邸宅から一歩足を踏み出そうとした瞬間、梨奈が叫んだ。
「祥太様、アレを見て下さい。」
何か巨大な光がこちらに向かって来る。隕石だろうか? そして次の瞬間、視界が真っ暗になった…。
…オレは目が覚めた。夢を見ていたようだ。AMになってからも時々夢を見てはいたが、これ程リアルな夢は見たことが無い。上泉先生の世界から戻って来てから、ずっと梨奈のことが気になっていたから、こんな夢を見たのだろうか?
あの世界に戻れば、今見た夢のように梨奈と駆け落ちする展開が待っている。それにしても、隕石が降って来るとは唐突な展開だ。現実世界でもAMでも、夢だから不思議な展開になるのも仕方がない。この時は、そう思っていたのだが…。
梨奈については、他にもずっと気になったままのことがあった。それは、オレの記憶の中に居るはずの梨奈のオリジナルが、一体何者かという問題だ。それが判らないと、どうも気持ちが悪い。
あの世界の時間は、この世界の100万分の1で進むように設定してある。梨奈にひと月以内に迎えに行く約束したのだから、こちらの世界で8万年経ってから行っても間に合う。だから、しばらく梨奈のオリジナルについて、時々記憶を辿ってみることにした。
…いや、言い訳をしてすぐに梨奈を迎えに行かないのは、この世界の「同居人」ムーコに対して後ろめたさがあるからかも知れない。
このところ、「同居人」ムーコには「睡眠学習装置(仮)」の操作や家事などで、世話になりっぱなしだ。もう一度「神々の記憶」にアクセスする前に、ムーコのご機嫌を取らなければ…。一緒に朝食を食べながら、そんなことを考えてムーコに話を切り出した。
「ムーコ、たまには一緒にどこかへ出かけないか?」
「良いですね。」
「どこへ行きたい?」
と聞いた。
実は、オレにも腹案はあった。現実世界にいた時にムーコとデートした「ビーンストーク@ベイ」に行くことを考えていた。そこからなら、AM世界を一望出来る。高所から見渡したこの世界がどんな世界なのか、気になっていたのだ。
しかし、ムーコの返事は意外なものだった。
「私は、桜井先輩と一緒に『神々の記憶』の世界で遊んでみたいな。だって、先輩は最近ずっと『神々の記憶』で遊ぶための準備ばかりしてましたよね。それなのに、先輩は喧嘩が弱いから、またすぐにゲーム内で死んでしまうでしょうし…。それなら、私も一緒にログインしてパーティーを組んで、いろいろお手伝いしたいなあと。」
そう来たか。この世界のムーコは随分しおらしくて、それがムーコの魅力を引き上げている。元々可愛いのに、性格がアレだから距離を取っていたのに、こんな風だと惹かれてしまうではないか。そうで無くても、オレのことを思って言ってくれるのは嬉しい。ただし、オレが喧嘩が弱いとか言うのは、余計なお世話だ。
だが、どうすればムーコの言ったことを実現出来るのだろうか?これは難問かもしれない。そこでムーコに答えた。
「ムーコ、ありがとう。少し考えてみるよ。」
「期待してますよ。先輩のお手伝いを口実にしましたが、私もリアルなゲーム体験をしてみたいと思ってますから。」
ムーコは笑顔で言った。
オレは朝食を食べ終えると、1人で部屋にこもってベッドの上で思いを巡らせた。ムーコにリアルなゲーム体験をさせるためには、インターフェースをどうしたら良いのか?しかし、この問題を検討して行くうちに、オレの思考は当初想像していなかった方向へ進んで行った。




