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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第2章 人工意識体の世界
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2.11. 上泉伊勢守真

 オレは思わず梨奈の顔をじーっと見た。そして、恐る恐る尋ねた。

「もしかして、上泉伊勢守真先生をご存知ではありませんか?」

すると、梨奈の答えはオレの予想を超えていた。

「伊勢守真は私の祖父です。」

「えーっ、そうなんですか?」

オレは狼狽しながら、やっと答えた。

 すると梨奈は、まだぎこちないものの、クスッと笑って言った。

「ええ。でも祖父に何かご用事ですの?」

「実は、上泉真先生に憧れておりまして、いつか新陰流をご教授いただける機会があればと祈念しておりました。」

「それなら、祖父に会わせてさしあげましょうか?」

落ち着いてきた梨奈の声は少し明るくなり、笑顔も自然になって来た。

 梨奈が元気になって良かった。そう思いつつ答えた。

「是非、お願いしたい。」

「それなら、私も桜井様にお願いがあります。」

そう言うと、梨奈は俯いた。

「なんでしょう?」

「あの男に体の自由を奪われた時、私は全ての希望を失いました。純潔を奪われ慰みものにされたら、自害しようとそればかり…。」

 そして、俯いたまま話を続けた。

「そして、桜井様に傷の手当をして頂いていた時も、私をどこかに高く売りつけるために治療しているのだろうと思っておりました。」

そうか。あの時、言葉も無く身動きもしなかったのは、生きることを諦めていたからだったのか。

「でも、桜井様は違いました。そんなことを思っていた私に、優しく接してくださいました。…私はとても恥ずかしいです。」

そう言って、梨奈は両手で顔を覆った。

 そこで、オレは言った。

「あんな目に会ったんだから、仕方無い。気にしてませんよ。」

梨奈はブンブン横に首を振った。だが、すぐに肩を落とした。

「私も15歳、大人の女です。武家の誇りにかけて償いたい…のですが、我が身以外、差し上げられるものは何もありません。」

オレは、梨奈の頭を撫でながら言った。

「心意気は受け取りました。だから…。」

 だが、梨奈はオレの言葉をさえぎると、怒ったような泣き出しそうな真っ赤な顔で、真っ直ぐにオレを見た。

「だから、私自身を差し上げます。…本気ですよ。」

 衣服は男に襲われた時に傷めたのかボロボロ、顔や髪は土にまみれている。だが、よく見ると目鼻立ちが整っていて、ボディラインも美しい。きっと美しい女性になるだろう。梨奈は気性も真っ直ぐで、気立ての善い娘だと思った。

 しかし、梨奈はまだ幼いし、オレにロリコン属性は無い。それでも、ここは肯定しておくしかあるまい。梨奈に気を悪くされると、上泉先生に会うチャンスは無いだろう。だが、梨奈の提案を受け入れたオレは、一体どうなるんだろう? ”Que sera(なるように) sera(なる)”だ。流れに身を任せよう。

 そこで、オレはこう答えた。

「上泉先生に認めて頂ければ、私は修行を開始することになります。修行中は、他のことを考える余裕は無いでしょう。だから、修行を終えたら貴女を貰い受ける。それで、いかがでしょうか?」

すると梨奈は、恥ずかしそうに、

「わかりました。お待ちしております。」

と消え入るような小声で言った。


 それにしても、梨奈にはどこか懐かしさを感じる。あの時代劇の娘を反映しているから? いや、「時代劇の娘によく似た誰か」に対するかすかな記憶が、オレをそういう気分にさせるのだろうか? だが、それは一体何者なのだろうか…? それに何故、オレはその人を思い出せず、オレのAM世界にも現れないのか。


 そこから上泉村までは、歩いて30分ほどであった。こんな近くに上泉村があるとは。これまで、この辺りも随分歩いたはずだが、いくら探しても見つからなかったのが嘘のようだ。

 梨奈は上泉真先生の邸宅、すなわち彼女の家に着くと、オレに庭で待っているように告げて、邸内に入っていった。


 やがて、上泉真先生が縁側に現れた。「武道家達の宴」の上泉真とネットで見た上泉信綱の絵を合成したような姿だった。梨奈からオレに救われた話を聞いた上泉先生は、上機嫌のようだ。

 これならすんなり弟子にしてくれるのではないかと期待していると、上泉先生から声をかけられた。

「若者よ、名をなんと申す?」

「桜井祥太と申します。」

「そうか。桜井殿、孫を救って頂き礼を言う。」

(おとこ)として当然のことをしたまでです。」

「梨奈から聞いたが、儂の弟子になりたいのか?」

「是非、お願いします。」

「ふっ。桜井殿は面白い技を使われるとか。先ずは、それを見せてほしいのう。」


 上泉先生は、不敵にそう言い放つと、裸足で庭に降り立った。上泉先生は満面の笑顔だ。未知の誰かと立ち会うのが、楽しくて仕方ないのだろう。

「得物は何が良い?」

と聞いてきた。

 ここまで来たら、やる気満々な上泉先生に、全力でぶつかって行くしか無い。

「槍を頂きたい。」

そう答えると、上泉先生は長さ4m位の槍を放り投げて来たので、それを受け取った。刃の長さは40cm位あり、刃紋が美しい。まさか、こんな真剣で上泉先生といきなり相対することになるとは。

 すると、上泉先生は少し長めの刀を鞘から抜くと、

「儂はコレで行く。さあ来い。」

と静かに声を発した。上泉先生も真剣だ。

 穏やかな日差しの中、時折強い風が庭を吹き抜け、山桜の花びらが舞う。だが、上泉先生は刀を後ろに引いたまま微動だにしない。自然体なのに、全く隙が無い。オレが槍の間合いからフェイントをかけながら軽く突くと、無駄の無い動きで対応されてしまった。このまま時間が過ぎて行くと、不利なのはオレの方だと直感した。

 やむを得ず少し踏み込んでやや強く突くと、予想外の方向へ槍が弾き飛ばされた。コレが噂に聞く新陰流の技なのだろう。この世界に来る前にネットで調べた情報から推察すると、「(まろばし)」と言われている技ではないだろうか?

 だがオレはこれをなんとか堪えて、槍を叩きつけた。だが、槍が振り下ろされた時には、上泉先生は既に間合いから遠く離れた所にいた。上泉先生を追って槍でなぎ払おうとした次の瞬間、何か嫌な予感がして後ろに飛び退くと、一瞬前にオレがいた場所を凄まじい速さで刀が死角から真一文字に走った。一体どうやってオレの攻撃をかわして攻撃に転じたのか、全く分からなかった。

 間一髪助かったが、形勢は相当悪い。間合いが、槍の間合いから刀の間合いに変わっている。槍を引きつつ、身体を中心として回転させるように振り回して、防戦した。

 すると、今度は下段から刀を振り上げてきた。腕を斬られそうになったのは紙一重で避けたが、槍は刀で巻き取られるように持っていかれた。飛び退きつつ、槍の行方を目で追うと、上泉先生が落ちてきた槍をキャッチしていた。

 そこで、オレはその場で頭を下げて言った。

「参りました。」

上泉先生は、笑いながら答えた。

「桜井殿もなかなかやるのう。これほどとは。それに、そなたの技は今まで見たことが無いぞ。」

 実は、劉老師から教授して頂いた八極拳と六合大槍は、上泉信綱の時代にはまだ成立していない。だから上泉先生が、オレが劉老師から学んだ技を見たことが無いのは当然だ。

 でも、そんなことは説明できない。そこで、やむを得ず、

「行商で博多に行った時に知り合った支那人から、護身術を少し教わりましたが、その後も自分でいろいろ試しました。何しろ、時々盗賊に襲われましたので。」

と答えた。

 すると、上泉先生は、

「おおむね自己流ということだな。大したものだ。」

と感心されてしまった。あの劉老師から教授して頂いた六合大槍を、自己流と言ってしまって良心が痛んだが、やむを得まい。

 気持ちを切り替えて、

「では、入門をお許し頂けるのでしょうか?」

と尋ねると、上泉先生は頷きつつ言った。

「良かろう。」

これで、ようやくこの世界に来た目的が果たせそうだ。

 ところが、その後の上泉先生の言葉は、少し意外だった。

「ただし、条件がある。梨奈の両親は既に亡く儂が親代わりじゃ。最近、儂のところに梨奈を許嫁にしたいという話しがあって、許可してしまったんじゃ。当家としてはむげに断れない事情があってのう…。」

上泉先生は頬をかいて、目線をオレから外した。

 梨奈が幸せになるなら、そのまま丸く収まれば良いのに。そう思っていると、上泉先生は話を続けた。

「ところが、梨奈は桜井殿に懸想してしまったようで、先ほどその話をしたら断られてしまった。当家としては困っておる。だから、梨奈のことは今しばらく放念しておいて欲しい。そのうち、状況が変わるかも知れんが…。」

 オレとしては、どうしても弟子入りしたいので、上泉先生に同意する他は無い。だが、梨奈を裏切りたくも無い。上泉先生が言うように「状況が変わる」ことを期待しよう。


 それにしても、劉老師はオレがこの世界を創ったことを知っていて八極拳を教えてくれたのに、上泉先生は知らないようだ。それに、梨奈との出会いもそうだが、この世界は修行の場としては純度が低い気がする。同じAIに世界を構築させたのに、この違いは何だろう?


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