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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第2章 人工意識体の世界
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2.10. 上泉先生の世界

 翌朝、気力が回復したオレは、早くも上泉真先生の元で新陰流の修行を早く始めたくてうずうずしていた。

 劉老師の八極拳と六合大槍は最強の技だが、間合いは短距離と遠距離で、中距離が無い。それに、武器としては、鍛えた鋼で作る日本刀は強力だ。日本刀を武器として扱う技術は、日本の剣術が最適だろう。その中でも最強とうたわれる新陰流は、やはり極めて強力な武術だろう。


 上泉先生の世界は、「お子様上泉先生」に上泉伊勢守信綱の人生を経験させるため、西暦1574年頃の上野国(こうずけのくに)(群馬県)と設定した。その頃、北条氏政(ほうじょううじまさ)が上野国に侵攻するが上杉謙信に撃退されて、その後しばらくこの地は平穏になる。上泉伊勢守信綱は64歳位で、諸国流浪の末に郷里に戻っていた頃だ。

 劉老師の世界と違って日本国内ではあるが、織田信長が台頭し始めた戦国時代末期。大規模な戦争が無くても、武器を持った危険な連中がウロつく治安の悪い時代だ。それに、近代的な物が全く無い。劉老師の時代よりも、死んでしまう危険性が高く、便利な物に慣れたオレには辛い時代だろう。

 それでもオレは「上泉先生の世界」へ危険を冒してでも訪れて、どうしても新陰流を身につけたかった。


 そこで、朝食を食べた後、ムーコと時宮研へ行った。時宮研には、のっぺらぼうさんが1人来ていた。いくらのっぺらぼうでも先輩だし、オレ達と違って正式な時宮研のメンバーだ。しっかり挨拶して、献上品のお菓子を差し上げた。

 だが、ここはオレの世界だ。挨拶さえすれば、あとは気にせず「睡眠学習装置(仮)」を勝手に使わせてもらうだけだ。「睡眠学習装置(仮)」のオペレーションをムーコに頼むと、「上泉先生の世界」を20万倍速にして、睡眠導入剤を飲んだ。


 この世界では、オレは武士に憧れる行商人という設定にした。上泉信綱は赤城山で修行していたとされるから、上泉真先生もきっとその辺りにいるに違いない。そう思って、春の赤城山周辺の集落を数日巡っていたが、なかなか見つけられなかった。

 ある朝、野宿後にたき火の始末をしていると、女の悲鳴が聞こえてきた。考えるより早く身体が動いて、悲鳴の聞こえた方へ走り出した。しかし、上泉先生とは一見関係無さそうなイベント発生に、走りながら首を傾げた。

 悲鳴はすぐに聞こえなくなったが、数百m先に声の主であろう女を見つけた。女は兵士らしい身なりの男に、組み伏せられていた。男の片手は女の両手を押さえつけ、もう片手には何か刃物を持ち、女を脅しているように見えた。女の抵抗が弱まったのか、男は力づくで女をうつ伏せにすると、女の帯を解き始めた。

 男がオレの足音に気づいたのは、女を帯で後ろ手に縛り、服に手をかけたその時だった。

「なんだ、テメエ!」

男は不機嫌そうな声を発しつつオレの方を振り返ったが、のっぺらぼうなので、表情が読めない。男は小柄だが、がっちりした体格のようだ。

 のっぺらぼうの男に、オレは静かに言った。

「私は旅の商人ですが、あなたの不埒な行いは看過できない。」

すると男は立ち上がって、

「ならば、テメエから金と命を奪って、女を啼かせて楽しむとするか。」

と言うと、躊躇なくオレを槍で突いてきた。

 だが、相手が悪い。劉老師の修行を受けてきたオレだ。突かれた槍をかわして接近すると、猛虎硬爬山(もうここうはざん)の一撃を喰らわせた。劉老師ほど威力はないが、それでも5m程度は弾き飛ばせただろうか。

 男が落とした槍を拾うと、よろけながら立ち上がった男に向けて構えた。すると、今度は刀を抜いて、斬りかかって来た。この男は、兵士として戦国時代を生き残ってきただけあって、力は強い。だが、技は自己流なのだろう。槍を一閃すると、男の刀を弾き飛ばした。さすがに技量の差に気づいたのか、オレが六合大槍の技で打ちかかる前に、男は逃げていった。


 襲われていた女に近づくと、顔が見えた。なんと、彼女はのっぺらぼうでは無かったのだ。中学生くらいの少女に見える。この少女の顔、どこかで見たような気がする。

 そうだ、祖父が入院する少し前、オレが高校生だった頃、家族で一緒に見ていた時代劇のヒロインだ。悪漢に襲われそうなところをヒーローに助けられるという、陳腐なストーリーだったが。

 だから、そのヒロインをはっきり記憶していたわけでは無い。うつらうつらしていた祖父を横目に見ながら、オレの隣に座っていた家族に、

「この女優、お前に似てないかな?」

なんて言ったのを覚えている。要は、その家族に似ているのだろう。

 あれっ、高校生だった頃には、祖父以外に家族はいなかったはずだが…。それに、女性の家族は、オレが小学生の頃に亡くなった母だけだが? おかしい。オレの記憶には何かが欠けているような気がする。


 でも今は、オレの記憶のことよりも、この少女を安心させることが優先だ。少女の顔は土と涙で汚れ、帯を奪われ衣服ははだけている。男がいなくなったのに、目を閉じてうつ伏せのまま動かない。まさか絶命しているのでは、と思って少女の口と鼻の近くに耳を近づけると、呼吸の音が聞こえる。オレは少し安心した。

 少女の両手の縛を解くと、彼女の腕に刃物で刺されたような深い傷があった。男に刺されたのだろうか? 薬を塗って治療してあげたが、その間、ピクリとも動かなかった。

 そこで、

「大丈夫ですか?」

と少女に声をかけて抱き起こすと、一瞬ビクッと震えて、オレに抱きついてきた。そのまま、顔をオレの胸に押し当てて、泣き出した。声を押し殺してはいるが、嗚咽が聞こえる。相当怖かったのだろう、可哀想に。娘を抱きしめて頭を撫でてやった。

 乗りかかった船だ。最後まで面倒を見てあげよう。この少女は近隣の村からさらわれたか、村から出たところを襲われたのだろう。だから、少女を村まで帰してあげることだ。

 少女に尋ねた。

「娘さん、あなたはどちらの村の方ですか?」

彼女はしばらくオレに抱きついたまま何も語らなかったが、やがて落ち着いたのか、オレから離れて、帯を拾い上げて衣服を整えた。

 オレに一礼すると、オレの問いに答えた。

「上泉村の梨奈(りな)と申します。どちらの方か存じませんが、助けて頂きありがとうございました。」

そう言ってオレを見上げた梨奈の目は、まだ泣きはらして赤らんでいる。

「どういたしまして。私は行商人の桜井祥太と申します。お助けしたのも何かのご縁です。上泉村まで、お送りしましょう。」

梨奈の手を取り、そう答えた。


 しかし、すぐに自問自答した。上泉村だと?


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