2.5. AM世界で実験する
朝起きると早速、頭脳工房創界のクラウドにアクセスした。
目的はもちろん、「リアライズエンジン」だ。「リアライズエンジン」は、ゲームに臨場感を与えるシステムだ。あらかじめゲームの世界観を反映した土地や気象等の環境変数を設定しておくと、量子コンピュータにより瞬時に再計算した現実的な画像や音響に置き換えて出力する。
一方、この世界の「睡眠学習装置(仮)」は、AMとしてのオレの全感覚を直結したインターフェースになり得る。しかも、これまでの経験から、現実世界の「睡眠学習装置(仮)」は、ゲームプログラムやそれを補う「リアライズエンジン」で欠落した感覚…例えば味覚、嗅覚、それに触覚なんかの情報を補ってくれそうだ。
この二つのシステムを改良して結合させる。するとどうなるか?良くゲームの世界に「没入する」とか「体感する」等と表現されるが、そんなレベルでは無く、ゲームの世界に「転生」出来るのではないか?
それに、AMのオレが存在する「睡眠学習装置(仮)」のコンピュータとしての能力は、量子コンピュータとしてもかなりのレベルだ。こんなものを、ゲームで使っている奴なんて、他にいる訳がない。しかも、それが大学の高速ネットワーク回線に接続されている。
この環境からゲームをすると言うことは、ゲームの世界で生活すると言って良いくらいの体験が出来て、反応速度は他のユーザーとは比較にならないくらいに早い。つまり、リアルタイムで対戦するゲームでは、チートと言えるくらいに有利だ。
まずは、「リアライズエンジン」のプログラムを自分のフォルダへ移動した。しかし、「リアライズエンジン」は、短い試用の時間でも違和感を感じた。このままリアライズエンジンを使うと、おそらくクセのある感覚で「酔って」しまうだろう。改良が必要だ。
勝算はあった。試用の時には、どう改良すれば良いのか見当もつかなかったが、オレはAMになって気付いたことがあった。感覚とは相対的なもので、絶対的なものでは無い。だから、「リアライズエンジン」で「感覚」を絶対値として扱っていることが、違和感をもたらしているという確信だ。
そして、相対値で「感覚」が与えられるのなら、パラメータを固定値で設定してもムダだ。瞬間ごとに感覚に最も近い値に調整していく。「睡眠学習装置(仮)」で量子状態を決めていったようなアルゴリズムが必要なのだろう。
方針さえ決まれば、あとはプログラムを改良するだけだ。それは、バグ取りを含めて、2日で終わった。このプログラムを「リアライズエンジン(改)」としておこう。何か、時宮准教授の悪いネーミングセンスがうつったみたいだが、名前はどうでも良い。
プログラムを改良している間、ムーコが毎食作って、甲斐甲斐しく部屋まで運んでくれた。これは、「同居人」から「嫁」に昇格か、なんて一瞬思った。だけど、すぐに現実世界のムーコが裏から操っている気がして、首を振った。
次は、この世界の「睡眠学習装置(仮)」をどうにかすることだ。AMとなったオレの感覚全てのインターフェースとはなるものの、それがどんな出力なのかがわからない。
こうなったら、この世界の「睡眠学習装置(仮)」からどんなデータが得られるのか確認して、インターフェースプログラムを検討するしかなさそうだ。そこで、この世界の時宮准教授に協力を求めることにした。それに、ムーコに高木さん、木田にも声をかけてみよう。
こうして、声をかけたその日の午後には、「睡眠学習装置(仮)」実験のレギュラーメンバーが時宮研究室に集った。
そうそう、二階堂先生に声をかけるのを忘れていた。しかし、呼んでいないのに何故か二階堂先生は来ていた。さすが、二階堂先生もレギュラーメンバーだ。いつものように、オレ自身が「当たり前」と思ったことが、この世界では実現するからだろうか。
メンバーが集まると、いつものように、なんとなくお茶して、なんとなく時宮准教授の話を聞いた。
しかし、後から振り返ると、時宮准教授が何を話したのか、ほとんど覚えていない。覚えていたのは、
「今回の実験では、現実世界でやった刺激反応調査だけを行う。」
と言われたことだけだ。
話していた時間を考えれば、他にも何か語ったと思うのだが。反面、この世界でオレが「忘れる」とは考えられないから、きっと時宮准教授の話には「意味が無かった」のだろう。この世界では、オレが知らない物がクリアに見えないのと、同じ理由だ。
そして、最初に始まった実験は、現実世界の第一回目の刺激反応調査と同様だった。あの、木田にくすぐられまくったやつだ。
これが始まってみると、AMのオレにも現実世界と同じように触感やくすぐったい感覚はあることが、良〜くわかった。そして、現実世界での実験と同じように、いくらオレが悶絶してやめて欲しいと懇願しても、木田と高木さんのコンビは手を緩めてくれない。
すると、木田と並んで、ムーコが参入して来た。
「お前はダメだ、ムーコ。」
「何でですか?」
「だって、お前は女の子だし…。」
「良いんです。だって、現実世界の私から言われましたよ。」
ヤバい。この後の言葉は聞きたくなかった。でも、間も無く聞こえてきた。
「この世界の私は、桜井先輩のものだから、尽くすようにって。」
いやいや、尽くして無いし。特に今は、やめて欲しいって言ってるのに…。
そこに、高木さんとラブラブの木田が突っ込んだ。
「おっ、お前らも進展したのか?」
「3日前から桜井先輩と同棲してます。」
と、ポッと頬を染めて答えるムーコ。そんな顔を赤らめるようなことは、まだ何もしていないのだが。
やはり、ムーコと同居するのはやめておけば良かったか。でも、「のっぺらぼう」に囲まれたこの世界は、とても寂しかったのだ。あの、空虚だったオレの隣の部屋のように。現実世界のオレが言っていたように妹がいたのなら、あの部屋は妹の部屋だったのだろうか?
それにしても、あの時、ムーコの顔を見つけて、どれ程嬉しかったか。だから、妙にテンションが上がって、「同居しよう」なんて言ってしまったのかも知れない。
続けて、「クラシック音楽を聞く刺激」、「料理下手な高木さんの手料理を食べる刺激」、「エロ動画を見る刺激」に対するオレの脳波の変化を調べる実験を行った。「高木さんの手料理」以外は、意外に鮮明だった。すなわち、オレの曖昧な記憶を反映したものでは無いようだ。察するに、この世界の時宮准教授が現実世界の時宮准教授に相談して、ソースデータを現実世界の「睡眠学習装置(仮)」にアップロードしてもらったのだろう。
それにしても、現実世界で「睡眠学習装置(仮)」の実験は全部で6回やったはずだ。そのうち初回は刺激反応調査をしなかったが、残り5回は何かしらやった。すると、1回分の刺激反応調査が抜けているようだが、内容が思い出せない。まあ、”Que sera sera”さと、その時は思った。
実験が終わったのは午後10時。少し遅い時間だったが、ここはAMのオレの世界。問題が起こるはずも無いが、高木さんは木田が、ムーコはオレがエスコートして帰った。




