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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第2章 人工意識体の世界
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2.2. 世界の始まり

 この世界の始まりは、確かこんな感じだったはずだ。


 「睡眠学習装置(仮)」の実験中に、とてもエロい夢を見たような気がする。そうだ、木田に見せられたエロ動画の世界に、ムーコをコラージュしたような夢だった。あの時のムーコは…艶っぽかった。でも何故か、最後に誰かにしこたま怒られて…。あれっ? 誰に怒られたのか思い出せない。夢なんてそんなものかな?

 そして淫夢から覚めたと思ったら、そこも非現実的な世界だった。真っ暗で、何も無い世界。そこに、オレとオレのPCだけが存在していた。ここは新しい夢の世界なのか?それにしても、何と殺風景な世界だろう。どうせ殺風景なら、せめてオレの部屋位にならないか?

 そう思いつつまばたきしたら、次の瞬間にはオレはオレの部屋の中にいた。いや、ここは本当にオレの部屋の中なのだろうか?そう思って、本棚に並んだ本を眺めると、タイトルがちゃんと読める本もあるが、読めない本もある。さらに、本を開くとほとんど字が読めない。これは一体どういう事だろう?


 そう言えば、時宮准教授が、

「ポズナー分子のリン原子スピン分布の測定結果と睡眠学習装置(仮)の推定結果は、約99.8%一致した。今回の実験で、目標の99.9%に到達するだろう。」

と、言ってた。それは、あの実験で人工意識体(AM)が構築されると想定していたという事だ。

 だから、つまりは…

「このオレが、AMって事かよ!!」

「我思う故に我あり」とは、デカルトの言葉だと聞いた。この言葉の重みが、その時のオレには良く解った。このAMのオレと、きっと今この瞬間に存在して何かを考えているであろう現実世界のオレは、全く別の存在なのだ。思う「我」こそが主体であり、それ以外の存在とは異なるのだ。たとえそれが、「別の」自分自身だとしても。

 この考えは突飛だが、しかし、そう考えると辻褄が合う。多分、オレ自身がしっかり記憶しているものは明確に、記憶が曖昧なものは曖昧に見えるのだろう。しかしそれなら、オレはずっとこの曖昧な世界で生きて行かなければならないのだろうか。睡眠学習装置(仮)が再現する、オレの意識が創り出しているこの世界で。

 オレ自身が創り出している世界だからこそ、オレがハッキリ覚えている物はハッキリと、曖昧に覚えている物は曖昧に見えるのだろう。では、オレが知らない物はどのように見えるのだろうか?


 まあ良いか。”Que sera (なるように)sera(なる)”だ。ちょっと混乱してるけど、こんな時は、頭を冷やして身体を動かすのが良い。つまりは、プールでひと泳ぎするのだ。オレは「オタク」と呼ばれるが、身体を動かすのは嫌いじゃない。高校では陸上部だったが、小学生の頃にはスイミングスクールへ通った事もあるのだ。

 この世界を創り出しているのがオレ自身ならば、住み慣れた現実世界が再現されているに違いないと予想した。事実、部屋から一歩出たら現実世界の我が家そっくりであり、その外には住み慣れた街が広がっていた。ただし、行き来する人やクルマの姿は、遠くにぼやけて見える。

 それは、駅に着くと衝撃的だった。よく存在感の無い群衆を「顔の見えない人々」なんて言うが、正に輪郭や表情がよくわからない「のっぺらぼう」の群れがそこには居た。だが、プール近くの駅までわずか2駅乗っている間に、「のっぺらぼう」の集団には慣れてしまった。そもそも、この世界の「のっぺらぼう」達は現実世界のオレが興味を持たなかった人々なのだから、その人達がどんな姿だろうが気にならないのだろう。


 プールでも「のっぺらぼう」が泳いでいた。でも、もう気にしないで泳ぎ出した。アップで個人メドレーを200 m泳いで、一息つく。ふと、プールサイドを見回すと、場違いなピンクのビキニを着た女性の姿が遠くに見えた。ここに泳ぎに来る人達は、男女を問わず競泳水着が普通なんだが。でも、おかしい。オレの常識とは異なる「映像」が見えている。

 でも、まあ良いかと、気にしないで泳ぎ続ける事にした。

 しかし、100 m泳いだところで、今度はアクシデントに見舞われた。ターンしようとした瞬間に、何かが上から落ちてきて、避けられずにぶつかった。立とうとして水中で体勢を整えていると、ピンクの布地がヒラヒラと水中で舞い、目の前にはモザイク?! 何だこれは!

 立ち上がると、女性の顔が間近にあった。この世界に来て、初めて人の顔がハッキリと見えた。平山美夢、ムーコだ。目の前のムーコは、泣いていた。右手は…下半身…本来水着が隠している部分へ伸びているように見えた。すると、先程のモザイクは…オレが木田に散々エロ動画を観せられたからそう見えたのか?

 目の前にいるのがオレだとわかると、ムーコは左手で顔を隠して言った。

「桜井先輩でしたか。助けてください。その…水着が外れて無くなってしまって…。」

周りを見渡すと、3 m位離れた所にピンクの布地が沈んでいた。それを手にとって、ムーコに手渡す。

「ありがとうございます。…でもその、とても恥ずかしいので、こちらを見ないでくださいね。」

ムーコは顔を真っ赤にしている。そこに、「のっぺらぼう」の男が1人、オレとムーコの方へ泳いで来る。仕方がないので、ムーコを背に隠すようにして、反対を向いた。

 

 しばらくして、感謝の気持ちの表現なのか、ムーコが後ろから抱きついてきた。薄い水着の生地を挟んで、ほぼ裸同士でムーコと接触している。オレにはそんな経験は無く、その感覚も記憶に無いはずなので、「睡眠学習装置(仮)」が頑張って創り出した感覚なのだろう。それでも、ムーコの胸の弾力と体温を感じて、ドキドキした。

「お待たせしました。お陰様で水着を整えられました。」

「ところで、ムーコはどうしてビキニを着てるの?」

「私、水着はこれしか持っていないので。」

でも、そのビキニは木田のエロ動画で見たような気がする。ここでは場違いだ。

「ここは、泳いで身体を鍛えるためのプールだから、競泳用の水着を着た方が良いと思うよ。」

 すると、ムーコは少しはにかんで言った。

「えっと、先輩にビキニ姿を見せたくって。」

いやいや、その…水着の中も見てしまったのだが。それに、オレがここへ来たのは思い付きで、ムーコに教えていないのに。

 しかし、このプールにビキニを着て来ると言うことは、このムーコは泳げない設定なのかも知れない。そういえば、ムーコが泳いでいるのを見た記憶が無い。そこで、

「ムーコは泳げるの?」

と聞くと、

「2m位なら泳げるんですが、それ以上泳ぐと身体が沈みます。」

と悲しそうに答えた。

 高校時代に体育会系だったオレが、その事を知っているはずのムーコに、泳ぎ方を教えた。すなわち、「脳筋」=「スパルタ式」の特訓だ。ムーコは時に水に沈み、時にゲホゲホしながらも、オレの指示通り泳ぎ続けた。そして、特訓が終わる頃には、プールの端から端まで立たずに泳ぎ切るようになっていた。


 プールから出た後、現実世界でもそうしていたように、ムーコと夕食を共にした。食事中にムーコが、

「先程は、泳ぎ方を教えて頂き、ありがとうございました。でも…桜井先輩には、見られてしまいました。もう、お嫁に行けません。」

と言って、顔を真っ赤にした。

 おかしい。現実世界のムーコだったら、平然と

「責任取ってください!」

とか言いそうなのに。やはり、この世界のムーコは、オレが創り出したムーコの理想像なのだろうか?それとも、現実世界のムーコから言われた通り、「オレのものになったムーコ」なのだろうか?

 そこで、オレからムーコに切り出した。

「オレに見られたから嫁に行けないと思うなら、いっそのこと、オレのものになるか?」

「私が先輩のものになるって、彼女ですか?それとも、奥様にして頂けるんですか?」

ムーコの積極的な態度にうろたえたオレは、少し引いて横を向いて答えた。

「まずは、同居人からだな。」

顔を赤く染めてうなずいたムーコの手を引き、そのまま連れ帰った。


 帰宅後、先にムーコを風呂に入れて、オレの部屋で待たせた。しかし、オレが風呂から部屋に戻ると、「同居人」になったムーコはオレのベッドで寝ていた。泳ぎ疲れたのだろう。しばらく寝顔を見ていたが、現実世界のムーコより何故か可愛い気がした。疲れて寝てしまったムーコを起こすのは気が引けたので、かけ布団をかけて部屋を出た。

 リビングのソファーで、毛布をかけて眠りかけたオレは、ふと我に返った。オレは何をしにプールに行ったのか?気分転換?今日は楽しかったから、それで良しとしよう。今後、この世界でどう生きて行くべきか? そんな事は明日考える事にして、今は心地良い疲労感に任せて、眠りについた。



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