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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第1章 プロローグ
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1.19. 最後の実験

 10月29日の夕方、()()()()()()へ行こうとしたら、プログラミングチーフの三笠さんから電話がかかってきた。オフィスでは無く先日の喫茶店に、夕方5時半に集合との事だった。


 喫茶店に入ると、今日は加賀さんはおらず、三笠さんがオレを待っていた。

「また来てもらって、悪いね。」

「いえいえ。今回も、三笠さんの奢りを期待してます。」

「まあ、しゃーないな。」

そこで、ナポリタン、それにコーヒーとショコラケーキを注文した。

 その後の三笠さんの話は、先日の()()()()()()のLANへの不正侵入の顛末だった。あの後、()()()()()()とレゾナンスの2対2の会談があったそうだ。どちらも、社長と技術トップの組み合わせで、()()()()()()の技術トップはもちろん加賀さんだ。

 加賀さんがレゾナンスからの不正侵入を訴えると、意外にも、レゾナンス側から即座に謝罪された。そして、最近レゾナンスと提携している複数の会社で、データを知らないうちに消去される事件が起こっていた事が伝えられた。三笠さんは、

「そう、それが桜井君が聞いてきたと言う、『量子コンピュータのソフトウェア会社』なんだろうね。」

と言った。

 でも、オレは疑問を感じて質問した。

「それじゃあ、レゾナンスに被害は無いんですか?」

「どうも、そうらしい。」

「それは不思議ですね。」

「その会談で議論して、レゾナンスの連中も含めて、『犯人はレゾナンス側にいる』という結論で一致したらしい。」

「でも、それが誰かはわからない?」

「そうなんだ。」

 三笠さんの話では、レゾナンスとの共同開発は実質的に終わったので、双方のデータは共有サーバーから引き上げ、八神さんにも帰ってもらう事になったそうだ。でも犯人探しに協力するため、共有サーバー自体はそのまま()()()()()()で稼働させて、レゾナンスで通信状況を監視し続けるとの事だ。()()()()()()のネットワークは新たにネットワークを構築し直し、その費用はレゾナンスが提供する。オレの管理下のサーバーも、新しいネットワークに繋ぎかえるように、三笠さんから言われた。


 しっかりショコラケーキを頂いた後、6回目の「睡眠学習装置(仮)」実験のため、時宮研に向かった。今回の実験には、前回参加しなかった木田を含めて、レギュラーメンバー全員が参加した。…もちろん、里奈は今回も来なかったが。

 ただし、高木さんが明日の朝早くから外出する予定があるとかで、実験終了後は深夜でも木田に家まで送ってもらうらしい。そのために木田は自家用車で学校に来ており、木田も高木さんを送った後、そのまま帰宅するそうだ。

 時宮准教授と二宮先生も、実験終了後にはいつも通り帰宅されるから、オレとムーコが二人きりで研究室に残る事になる。…と言っても、オレは睡眠導入剤で眠らされた状態となるのだが。

 実験開始前の、時宮准教授による前回までの実験結果の説明によると、

「ポズナー分子のリン原子スピン分布の測定結果と睡眠学習装置(仮)の推定結果は、約99.8%一致した。今回の実験で、目標の99.9%に到達し、恐らくは人工意識体(AM)を睡眠学習装置(仮)で確立出来るだろう。もう少しだから、みんな気を引き締めて最後の実験を完遂しよう。」

との事だった。

 「睡眠学習装置(仮)」の実験も、これで最後かもしれないと思うと、少し感傷的な気分になる。特に高木さんとは、今後は会える機会はほとんど無くなるはずだし。


 刺激反応調査の前に別室へ行き、いつも通り睡眠学習装置(仮)専用の全身を覆う()()()を着た。続けてヘッドギアを装着しようとしたのだが、構造が今までとは少し違う。かぶるのでは無く、半分ずつに分かれたパーツで頭を挟み込むようになっているのだが、なかなか装着できない。

 ヘッドギア装着に手間取っていると、ノックする音がした。ドアを開けると、外にはムーコがいた。

「桜井先輩がなかなか戻って来ないから、心配して来ちゃいましたよ。」

「このヘッドギア、今までと違ってうまく装着出来なくってさ。」

そう言ってヘッドギアを見せると、

「うわぁー、二つに分かれているんですか。これは、装着が難しそうですね。」

と言って装着を手伝ってくれた。

 二つのパーツをオレとムーコで一つづつ持って装着したら、一発でうまくいった。

「良かった。ありがとう、ムーコ。」

「どういたしまして。」

 少し間をおいて、ムーコは話題を変えた。

「ところで、先日の話ですが…。」

「何のこと?」

「先輩に『オレのものになれ!』って言われたことです。…とても情熱的だったので、あの時は怖気づいてしまいましたが…。」

「いや、ムーコに『私のものになれ』って言われたから、そのまま言い返してみただけだけど?」

「良いんです。覚悟を決めました。私、先輩のものになります!」

「へっ?」

 想像もしてなかった展開に、クラクラしてきた。しかも、こんな時に、こんな場所で。

「でも…睡眠学習装置(仮)内の先輩の人工意識体(AM)の中だけのことです。現実世界では、先輩が私のものになって下さいよ?」

「訳がわからないから、断らせてもらう。」

オレは少し強く言ったが、ムーコには通じず、

「なんだ、残念。」

と言って、舌をペロッと出して見せた。

 そして、続けて言った。

「それでも、睡眠学習装置(仮)内の先輩の人工意識体の中の私は、先輩のものです。先輩の好きなようにしてくれて良いので、忘れないで下さいね?」

「…うん?」

よくわからない展開だったが、これが現実世界のムーコとの、実質的に最後の会話になってしまった。 


 グローブを着用してから別室を出て、「睡眠学習装置(仮)」に近づくと、高木さんと木田が刺激反応調査の準備を終えて待っていた。

「今日は、刺激反応調査も睡眠学習装置(仮)のシェルを閉じて行うので、横になって下さい。」

と高木さんに言われて、シェル内のベッドに横たわった。高木さんの表情は少し赤くなっていて、隣ににやけた木田の顔があった。どうもおかしい。

 しかし、そのままゆっくりシェルが閉じて行く。

「シェルが閉じたあと、数分で始まるから、眠らないで真上を見てろよ。もっとも、始まったら眠くなる事は無いだろうが。」

と木田が言う。そこで上を見ていると、まもなく長方形の画面状に明るくなって、3D映像が始まった。

ヘッドギアから何やら人の声が聞こえてくる。映画だと思ってストーリーを追った。

 ヒロインらしき女性が、暗い夜道、家路についていた。だが、路駐していたワンボックス車から男が出てきて、何かを嗅がされて失神し、車内に連れ込まれる。その後は…一言でいうとただただエロい展開だった。これは、映画ではなくエロ動画。木田のチョイスだろう。だけど、以前に時宮准教授も、刺激反応を見るためにエロ動画を見せようとか言ってたし。

 その後も、エロ動画のオンパレード。オレも男だから嫌いじゃ無いが、このエロ刺激に対する脳の反応を高木さんやムーコに見られるのは抵抗がある。しかし、もう手遅れだ…。


 刺激反応調査が終わるとシェルが開き、起き上がったオレは、時宮准教授に苦情を言った。時宮准教授は今回の「刺激」の内容を事前に知らされていなかったらしく、最初はキョトンとしていた。しかし、二宮先生と共に、木田から説明を受けると、

「これは、被験者である桜井君のキャラクターを明確にするためには、意義がある刺激だったんじゃ無いかな?」

と言い出した。二宮先生も頷いている。

「刺激の細かい内容や、データの時系列は公開しないから、今回の刺激反応調査のデータも解析させてもらえないだろうか?」

二宮先生も、またまた頷くので、

「くれぐれも、データの取り扱いに注意して下さいね?」

と言って、データの解析を渋々了承した。


 刺激反応調査が終わると、これまでと同様、「睡眠学習装置(仮)」の学習実験が開始された。その前に、学習実験用のヘッドギアは従来通りとの事なので、またムーコに手伝ってもらって交換した。

 手伝ってもらいながら、この状況に今更ながら驚いた。人見知りで、異性とはさらに距離をとっていたオレだ。里奈以外の女性にここまで近付かれたり触れられたりすると、カチコチに緊張するはずなのだが、全くそうならない。何だかんだ言っても、ムーコはオレにとって特別な存在だったのだ。


 いつものように睡眠導入剤を飲み、シェル内のベッドに横になると、まもなく眠くなって来た。

 エロ動画がフラッシュバックして、淫夢を見た。赤みがさした女性のやわ肌と漏れる息づかいが、薄れて行く意識の中で浮かんでは消えていく。いつしか、女性はムーコになっていた。

 が、次の瞬間には、見ていた映像は家のリビングのテレビが映し出していて、後ろから殺気が…。里奈が腰に手を当ててオレを睨みつけていた。やれやれ、夢の世界は落ち着かない。

 夢の中で、里奈に怒られながら、別な事を考えていた。ムーコは可愛い女性だと思って来たし、劣情を抱いていなかったといえばウソになる。しかし、オレがムーコに抱いていた感情が何だったのか?と。

 現実世界でムーコを失った後も、ずっと悩み考え続けたが、今もなお解らない。


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