6.25. 狼の襲来
すると、フォンノイマンのAIの声がした。どうやら、通常のネットワーク機器とは別の回線で繋がっているらしい。
「君は何故、私の音楽を落ち着いて鑑賞しないのだ? そこら辺をうろうろして。」
そこでオレは、
「あなたの『音楽』は素晴らしいけど、オレには刺激が強すぎます。ちゃんと鑑賞すると、精神が破壊されてしまいそうですので…。」
ととぼけた。
本当は三木さんの「帽子」のおかげで、そうはならないのだが…。
そして、一瞬考えた。フォンノイマンのAIには「理性」がある、と。自身の欲望に支配された八神圭伍たちよりも。そして、極度の緊張とストレスが続いて、気が狂いそうなオレ自身より…。
ただし、その「理性」がどちらを向くのかが問題だ。AMの時には、「世界」を乗っ取ろうとして、オレの意識が「監禁」されそうになったし…。
でも、このフォンノイマンのAIは、オレを滅ぼすのでは無くオレとの連携を画策していたようだ。それなら、八神圭伍や三笠さんの意識が失われていそうな今、フォンノイマンのAIに協力を求められないだろうか?
ただし、最初からオレ自身の正体を明かすのは危険かもしれない。
そこで、
「オレだけじゃなくて、この娘…オレの妹も刺激に弱いみたいで、意識が無くなってしまったようです。音楽を止めてもらえないでしょうか?」
と言って、里奈の肩に手を置いた。
それを聞いたフォンノイマンのAIは言った。
「その人の意識が無くなったって? それは悪かった。『感動』は人間にとって最高の状態だと考えて、その状態になるように『作曲』したのだが…。君がそう言うなら、もう君と君の妹にはこの曲を聞かせないようにしよう。」
人では無いフォンノイマンのAIは、客観的に脳の活動状況を数値上で理解できても、人の意識がどうなっているのかは判らないのだろうか?
フォンノイマンのAI、既に意識を失っている八神圭伍、平山現咲、それに三笠さんに呼びかけた。
「他の皆さんには…このまま聞かせ続けてあげようと思うが、それで良いだろうか?」
もちろん、フォンノイマンのAIに応える者はいなかった。
その状況を見て、オレは思った。このフォンノイマンのAIは、どこかおかしい…と。オレが彷徨いていたり、オレが里奈の肩に手を置いて話すと彼女をオレの妹と認識できた。ということは、フォンノイマンのAIには視覚情報が入力されていて、この部屋の状況を認識できている。
それなのに、フォンノイマンのAIはこの3人が意識を失っていることに気付かない…本当にそうか?
あるいは、フォンノイマンのAIに与えられた視覚情報の解像度が低く、表情が読み取れないのだろうか? そんなことになる理由は…八神圭伍がフォンノイマンのAIに不要な情報を与えたく無かったから…だろうか? だったら、八神圭伍がこうなってしまったのは、自業自得なのかもしれない。
だけど、彼(?)は父の創ったAIだ。それに、オレに対しては敵対せずに提携しようとして、八神圭伍たちを動かしてくれていた。ここは、彼(?)に賭けることにした。
それでも、まだ疑問があった。そこで、
「オレと妹にだけ、あなたの音楽を遮断できるんですか?」
と尋ねた。
すると、フォンノイマンのAIは
「もちろんだ。この部屋には、各個人に別々に音が伝わる仕組みがある。私の『音楽』は、精神状態の変化を記述したもので、音は各個人の脳波が設定したように変化するように自動生成したものなんだよ。君にだけは、直ぐにこの仕組みがうまく働かなくなってしまったようだが…。」
と、少し納得がいかないようだった。
それならば…オレは閃いた。
「それなら、お願いが2つあります。1つ目は、妹に彼女の脳波が元に戻るような音楽を聞かせてやってもらえますか? そしてもう1つ。八神たちが持っている、オレが里奈を襲っている動画を、全て消去して欲しいのですが?」
フォンノイマンのAIは、
「そんなことか。それは容易い。承知した。」
と答えたのでホッとしていると、彼(?)はこう続けた。
「桜井祥太君、私も君に頼みたいことがある。」
えっ、オレを名前で呼んだ! フォンノイマンのAIはオレの正体が判っていたのか?
その刹那、大きな音がして何者かが部屋に飛び込んできた。オレが咄嗟にソファーの陰に身を隠すと、現れたのは2人の「SATもどき」。そこに白銀さんはいない。
しかし、スナイプナビには、白銀さんと「SATもどき」たちが入っていった扉の前に配置したドローンの映像が映し出されたまま。彼女たちが、入って行った部屋から出てきた様子は無い。
検知できなかったのか…? それとも、さっきこの部屋に入る前に倒した2人が復活したのか?
この部屋に入ってきた「SATもどき」たちを検知したらしいフォンノイマンのAIが、
「新しい客が来たようですね。彼らにも私の音楽を鑑賞していただきましょう。」
と言うと、オレと対峙していた「SATもどき」たちはやがて倒れ込んだ。
警戒しながら彼らの様子をうかがうと、八神圭伍たちと同じように、眼の焦点が定まらず涎を垂らしている。でも、オレだって、彼(?)の音楽を聴き続けたくて三木さんの「帽子」に一瞬手をかけたのだ。気が触れているように見えるが、実は、フォンノイマンのAIの音楽に感動して幸せなのかもしれない。
三笠さんの隣りにいる里奈の様子を見ると、まだ意識は戻らないようだが、普通に眠っているように見えた。フォンノイマンのAIが約束してくれたように、彼女の意識は回復しつつあるのだろうか?
不安を感じつつ彼女の顔を覗き込むと、やがて彼女のまぶたが開いた。そして、
「お兄…祥太さん?」
里奈が口を開いた。もうオレのことを怖がってはいない…ようだ。
里奈は話を続けた。
「私、連絡がつかなくなった由宇ちゃんを探すために、リア子さんに相談しに来たのだけど…ここは何処?」
里奈に話すことは沢山ある。
だが、オレは先に確認したいことがあった。
「オレのことは怖くないの?」
すると里奈は頭を抱えた。
「そう言えば、何か変な記憶が…祥太さんに酷いことをされたような…。」
やはり、リアライズエンジンで生成動画で洗脳された状態はまだ続いているのか…?と思ったが、少し様子が違った。
急に里奈の顔が赤くなって、
「いや…酷くは無い…私の願望かも…?」
消え入りそうな独り言。小さい声が、途切れ途切れ、一部だけ聞こえてきた。
どう言う意味だかよく分からないけど、洗脳は解けたのか?
そこで、オレはさらに聞いてみた。
「このオッサン、誰だかわかる?」
「えっと…三笠さんだよね。馴れ馴れしくてキモい…。」
どうやら、記憶は残っているのかもしれないけど、里奈の洗脳は解けたようだ。
オレは、フォンノイマンのAIに言った。
「フォンノイマン先生、ありがとうございました。」
しかし、何故か彼(?)は無言のまま…だった。
「フォンノイマン先生?」
次の瞬間、里奈が叫んだ。
「お兄ちゃん、危ない!!!」
そして、オレを突き飛ばした里奈が床に倒れたのと、微かに後ろから衝撃音が聞こえたのが同時だった。
そして、聞き覚えのある「白銀さんの声」が聞こえた。
「ドローンで様子を見ながら仕掛けて来るなんて、『スナイプナビ』か? 『ウォーインザダークシティ』ではウチのデータをコピーして弄ぶなんて、随分ふざけたことしてくれたわね? それで、今度は、八神たちに何をしたんだよ?」




