6.23. 観念
八神圭伍はオレの反応を待たずに、言葉を継いだ。
「これで、三笠さんが頭脳工房創界の次期社長になって、いずれレゾナンスはこれを吸収することが確定した。次のターゲットは…PECだ。」
八神圭伍、三笠さん、平山現咲、白銀さん、それにフォンノイマンのAI。「八神圭伍の言葉」…どういうことなのかは解らないけれど、こいつらにとって里奈は頭脳工房創界を牛耳るための「道具」…ということらしい。
オレは絶対にこいつらの仲間になんてならない!
そう思ったけど、オレは怒りを抑えて尋ねた。
「それで、何故、オレにこんなものを見せたんだ?」
すると、八神圭伍は薄笑いを浮かべて応えた。
「まさか…桜井君はまだ解らないと? これをネットに公開すればどうなる?」
「だってこれは事実じゃ無い…」
「事実かどうかは関係無い…ということは桜井君も判るだろう?」
ようやく、オレにもこの状況が理解できた。こんなものがネット上に流出すれば、里奈は普通の生活が送れなくなる。
たとえそれが真実では無かったとしても…。
昨日助けた玉置由佳だって、里奈から離れてしまうだろう。イジメられていつも一人ぼっちだった、小学生の頃の里奈の姿を思い出した。オレが八神圭伍に膝を屈しなければ、里奈はまた一人になってしまうのか?
それに、叔母にもこれを見せて脅迫したのだ…八神圭伍は。だから、叔母から何の連絡も来なかった。いや、それどころか、叔母はあの映像を見せられて、本当にオレが彼女を襲ったと思っているのかもしれない。
八神圭伍はオレの表情が変わっていくのを確認するかのように、間を空けて言った。
「だから、結局、君は私たちに従うしか無いんだよ。まあ、私は君が白銀のおもちゃにされても良かったんだけど。腐れ縁の白銀は、一応私の言うことは聞いてくれるが、完全にはコントロール出来ない。リア子の妹が廃人にされてしまったのは、痛かった。君も知っているだろう?」
それは、ムーコとオレが襲撃された事件のことか? 確かに、八神圭伍と平山現咲も、ムーコを邪魔には思っていても「眠り姫」にしてしまうつもりは無かったのだろう。
それなのに、そうはならなかった。高坂和巳に襲われたムーコは冬眠中…。高坂和巳は白銀さんの部下たちと行動していたのだろうか?
つまり、八神圭伍も白銀さんとその手下たちをコントロールできている訳では無いということなのか…。いや、それどころか、この連中に仲間意識も無いのかもしれない。
それぞれの都合が一致したから、一緒にいるだけ…。白銀さんは八神圭伍のガーディアンではなく、三笠さんは頭脳工房創界を欲しいだけ。彼らは…里奈を一体どうするつもりなのだ。
そして、八神圭伍は結論を求めてきた。
「それで、どうする?」
この非道な連中、八神圭伍、白銀さん、三笠さん、それに平山現咲…。彼らがオレを手下…いや奴隷にする…という筋書きは、この連中のものでは無い。フォンノイマンのAIによるもの。この連中にとってむしろ不本意かも知れない。オレは必死に自分自身に言い聞かせた。
里奈のあられもない姿をネット上に晒される訳にはいかない。
もちろん、オレも彼女を襲っている映像を公開されるのは困る。
そんな映像を見てもなおオレを信じてくれるのは、木田くらいだろう。もしかすると、高木さん、豊島、それに玉置姉妹は、事実では無く生成画像だと認めてくれるかもしれない。しかし…心のどこかでは疑いは晴れないだろう。
八神圭伍たちは信じられないが、ここは「フォンノイマンのAIのシナリオ」を受け入れない訳にいかない…。 その間にも、白銀さんと「SWATもどき」たちは階段を駆け上っているようだった。時間が無い!
映像の公開を一時的に妨害する方法が無い訳ではないけど、相手はあの八神さんだ。まだ手札を残しておくべきだ。
オレは観念した。
「分かった。八神さんに従うから、その映像の公開は止めてください。」
と言って頭を下げた。ハラワタは煮えくりかえっていたが、今はやむを得ない。…敗北だ。
このやりとりを見ていた平山現咲は言った。
「これで、めでたしね。あなたが怖がっていた頭脳工房創界は、完全に掌握できたわね。」
そんな平山現咲に、八神圭伍は突き放すように言った。
「はは、そうだね。でも、本当に怖がっていたのは僕じゃ無い。君だろう、リア子? 高坂和巳を怖がり、ムーコを怖がり、頭脳工房創界を怖がり。でも、高坂和巳は刑務所、ムーコは冬眠。頭脳工房創界も、『姫』を餌にNo.3を釣り上げた。この2人に加えて、強敵になると思っていた『女王』も『姫』の守護者も、これで奴隷だ。恐ろしい女だよ。」
この2人は普通の恋人だと思っていたが、どうも雰囲気がおかしい。今までの2人のイメージとはまるで違うようだが、一体どんな関係なのだろう…?
平山現咲は八神圭吾の「毒舌」を蹴り返した。
「よく言うわね。確かに2人で話し合って計画したけれど、最終的にその計画を実行したのはほとんど圭伍さんじゃない?」
会話の内容にはイライラさせられるが、この2人の間の緊張感が理解できた。オレの前でこんな会話をするってことは、オレに対する警戒レベルがかなり下がったからだろう。
今のうちに、スナイプナビのドローン画像を確認する。白銀さんと「SWATもどき」たちは、何故か2階を駆けて行き、奥の部屋へ入って行った。
彼女たちが何をしているのか気になった。しかし、この部屋でも状況が変わりつつあったので、オレは意識をこの部屋に戻した。
フォンノイマンのAIが、突然、2人の会話に割り込んだのだ。
「まあ落ち着きなさい。計画通りに進んでいるのだから、良いだろう?」
そして、不思議なことを口走った。
「そうだ、ここで私が作曲した究極の音楽を披露すれば、この雰囲気も良くなると思うが?」
…だがそれは、フォンノイマンのAIが創られた目的「フォンノイマンのレクイエム」に則っている。父がこのシステムで実現しようとしたことは、「モーツァルトのレクイエムを超える最高の音楽を創るAI」を構築することだったのだろうから。
八神圭伍はフォンノイマンの話に乗った。
「フォンノイマン先生が作曲?」
そうか。八神圭伍はオレの父のプロジェクト…いや研究、それとも遊び…とも言える「フォンノイマンのレクイエム」の本当の目的を知らないらしい。
八神圭伍が「フォンノイマンのレクイエム」実現のために造られたこのAIを知って、そこにアクセスしようと考えたのは何故か? それは、三笠さんが八神圭伍に教えたからなのだろう。
それでは、三笠さんは父とともに「フォンノイマンのレクイエム」を創ったのだろうか? 弟子か共同研究者として。
だが、八神圭吾が「フォンノイマンのレクイエム」の本当の目的を知らない…ということは、恐らく、三笠さんもそれを知らないハズだ。そもそも、この2人は「フォンノイマンのレクイエム」にアクセスすることすら出来なかったではないか?
ということは、三笠さんは時宮准教授と違って父の弟子では無かったのだろう。もちろん、共同研究者という可能性はもっと低い。それでもフォンノイマンのAIの存在は知っていた。三笠さんは頭脳工房創界で諸々のシステムをメンテナンスしているうちに、「フォンノイマンのレクイエム」の存在を知ったのだろうか?




