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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
6. パズルの絵
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6.20. 城主の間

 その時、とっさにあの呪文が脳裏をよぎった…set braintime 5…。すると、川辺と玉置由佳が時宮研究室に現れた時のように、突然時間の進み方が遅くなった…ような気がした。

 それでも、このままではオレは撃たれる。どうしたら良いのか、何も考えられない。パニックになったオレは…結果的にどうやら「無心」の境地に至ったのかもしれない。

 無心…オレの意識は何もしようとしていないのに、オレの身体は音がした方向に神速で「棒」を打込み、さらに突き込んでいた…。

 この動きは、上泉先生から教授していただいた新陰流の「転ばし撃ちからの突き込み」そのものだ。AM世界では会得していたが、まさか現実世界でオレにそんな技が繰り出せるとは…。

 オレ自身、びっくりした。

 「SATもどき」は最初の打ち込みを躱したものの銃を巻き取られ、2撃目の突き込みをまともに喰らった。突き込んだ「棒」が青白い光を放つと、目の前で「SATもどき」がゆっくり倒れていく。

 オレの意識はその動きを客観的に見ているだけだ。5分の1の速さで…。


 だが、「棒」で巻き取った銃が何処へ飛んで行ったのか、確認する余裕は無かった。

 突き込みながら部屋の中に完全に入ったオレの背後から、足音が聞こえた。とっさに振り返ると、ナイフを手にしたもう1人の「SATもどき」に、「棒」の間合いの内側に入り込まれていた。

 オレごときに、「SATもどき」は連携した攻撃を仕掛けていたのだ。

 今度こそ殺られる!

 現実の5倍速で知覚するオレの意識にとって、「SATもどき」もオレの身体も、スローモーションで動いている。そのオレの意識に、ゆっくりと胸元に近づくナイフと、ゆっくり「棒」を放り投げて振り返りながら身体を捻って肘を畳み込むオレ。

 そして、「SATもどき」のナイフはオレに躱されて、畳み込まれたオレの肘が「SATもどき」の鳩尾を捕えた。「SATもどき」が言葉にならない音を発して倒れ込むと、オレは落ちてきた棒をキャッチして、「SATもどき」に叩きつけた。


 今度は「猛虎硬爬山」…のようだ。AM世界で、「劉老師」に教授していただいた、八極拳の技だ。だけど、それはあくまでAM世界でのこと。

 現実世界では、格闘技なんてやったことは無い。

 オレとムーコが襲われてAM世界からこの世界に戻って来てからは、オレだって、最低限のトレーニングはして来た。あの時のオレは何もできなかったから。ムーコを逃すことも、オレ自身が逃げ切ることも…。今度何かあれば、しっかり逃げ切れるように…それとせめて時間稼ぎができるように…と。

 喧嘩の弱いオレが襲撃者と真っ向から闘うなんて考えもしなかった。AM世界で修行して会得した技が現実世界で使えるようになっているなんて、想像もしなかったし…。少なくとも、八極拳と新陰流は使えたようだ…。

 それに恐らく、他にも思考時間を加速する技も…。これはオンラインゲーム「神々の記憶」のスキルだったハズだ。何故それを現実世界でも実現できたのか…? いや、そもそもこの技は本当に「神々の記憶」のスキルだったか?


 「棒」の発する光が消えると、部屋の中は暗く静寂になった。


 おかしい。ドローンはこの部屋から発した音を捉えたのだ。訓練された「SATもどき」たちが不用意に音を立てるとは思えない。きっと、まだ誰かが近くに…。

 すると、

「コツコツ」

どこからか、壁を叩くような音が聞こえた。

 何だ? やはりまだ誰かいるのか?

 ドローンのマイクと画像センサのゲインを、両方とも最大にする。でも、スナイプナビ自体はそのままにした。さっき豊島の協力で白銀さんにやったことをやり返されたら、オレの方は即詰みだから用心しないと…と思っていたのだ。

 オレには直接見えていない暗闇の中でドアが開くのを、ドローンの映像として見た。そこから光が溢れて…ドローンの映像は真っ白。白飛びしたようだ。

 でも、オレの目には急に明るくなった空間を、何か光るものが飛んでくるのが見えた。だけど、まだ思考時間が加速されたままのオレにとって避けるのは、容易なハズだった…。

 オレが避けようとしたら、刃物のように光を反射するそれは、オレが避けた方向に向きを変えた。ヤバイ!

 すんでのところで、ドローンがその経路に飛び込んだ。…そして相打ち…。ナイフが刺さったドローンが落ちてる。新庄か豊島のおかげだ。…助かった。

 でも、どうして飛んでいたナイフが途中で曲がったんだろう?


 その疑問はすぐに解けた。

 開いたドアから「彼」が現れた。…やはりそれは八神圭伍だった。

「まさか、白銀さんの部隊が守るここに入り込んで、私が秘密兵器を使ったのに…。桜井君がまだ自分の足で立っているなんてね。まあ良いだろう。リア子も待ってる。…君の妹もな。」

 やはりコイツが里奈を…。

 彼のとてつもなく遅い語り口…彼が悪いのではなくオレの思考速度が5倍のままなのが悪いのだが…それが、オレの怒りにさらに燃料を投下する。やがて、それは殺意にまで育っていった。

 いや、殺意なんて今更…オレと八神圭伍は今まさに殺し合っていたのでは無かったか? だけど、なんでこうなったんだろう? オレは玉置由宇をそして里奈を奪われて、取り戻そうとしただけなのだが…。

 八神圭伍がこんなことをしたのは何故か? やはり、ムーコが、そして吉川さんが女の「直感」で感づいたように、彼が「悪人」だからか? 確かに、彼がやって来たことは悪事ばかりだ。元気なムーコは二度と帰ってこない…。

 でも今は、何があっても里奈を取り戻す。

 オレの気持ちを知ってか知らずか、八神圭伍はオレについて来るように手で促した。

 煮えたぎるような感情が込み上げて来たが、「秘密兵器」を失ったにしては八神圭伍は平然としている。他にも隠し玉があるのかも知れない。冷静に冷静に…。ここは里奈を確保することが最優先だ。

 八神圭伍の後をついて、明るい部屋へ入った。


 そこは「城主の間」にしては、あまりに狭く無機質だった。

 ほとんど普通の応接室。時宮准教授の部屋と大差ない…いや少しはマシか? ソファーとテーブル、壁に面するように小さい食器棚が設置され、その陰には小さいキッチンがあるようだ。入り口の反対側にもドアがあるのか…。もしかすると…。

 その「城主の間」のソファーに、良く知った女性が佇んでいた。

「あら桜井君、ここまで来たのね。」

リア子こと、平山現咲がそこにいた。

 ここから先は、コミュニケーションの戦いか? このままではマトモに会話にならない。なのでオレは小さい声で、

「set braintime 1」

と唱えた。

 彼女はソファーから立ち上がると、食器棚の方へ歩き出した。

「まあ、そこに座って。お茶くらい出すわ。」

彼女が話す速さはいつも通りに戻った。彼女の反応もいつも通りだ。ここが何処だったのか錯覚しそうになる。


 里奈は、あのドアの向こうにいるのか? さっき、壁を叩く音がしたのは、里奈では無かったのか?


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