6.13. 三木さんの不思議なガジェット
時宮准教授はこの状況に驚くこともなかった。それなら、時宮准教授はオレを呼びつけただけでなく、この全員を呼び出していたのかもしれない。それで全員がそろったのなら、何か話し合いになると思ったのだが…。あちらこちらで雑談に花が咲いただけだった。
そんな中、アイスコーヒー片手に、時宮准教授がオレのAM世界の話を豊島にした。
「桜井君のAM世界では、彼の父、そして私の師匠である桜井俊がフォンノイマンのAIを作ったらしいんだ。それでね、『最高の音楽をフォンノイマンのAIに創らせる』のが、その目的だそうだ。豊島さんは音楽に造詣が深いそうだけど、どう思う?」
何のこっちゃ? 何とも緊迫感が無い話だ…時宮准教授の平常通りだが…。
豊島の答えなら、「音楽家では無いフォンノイマンのAIにそんなことをさせてどうするんですか!」とか、「ちょっと聞いてみたい気がします」とか…だろうなあ。と、ぼんやり思った。前者なら、父が馬鹿にされたみたいで、少し嫌だなあ…とも。
ところが、豊島の反応は全く違った。真面目な顔で、
「それは危険だと思います。」
と断言した。
オレは驚いて、その理由を尋ねた。すると、
「だって、『完全な音楽』じゃなくても、良い演奏を聞いて感動すると何日も頭から離れなくなるのよ。もしも本当に『完全な音楽』なんていうものを聴いたら、意識が現実に戻って来れなくなるのかもしれないわ。」
意識が戻らない…?
嫌なことを思い出してドキッとした。だけど、表情は抑えて応じた…つもりだった。
「…意識が戻って来ないって、コールドスリープ中のムーコの様になってしまうっていうことかな?」
だけど、豊島は思いにすぐ気付いたらしい。
「あ、ゴメンね。思い出させちゃったね。でも、フォンノイマンは音楽家じゃない。だから、彼の音楽が『完全な音楽」になるとは思えないわ。だから、そんな心配はいらないだろうけど。」
すると、時宮准教授は真面目な顔で言った。
「それは…少し違うかもしれない。」
「えっ?」
オレと豊島は顔を見合わせた。
時宮准教授は話を続けた。
「君たち、ピタゴラスは知っているよね?」
オレは
「もちろん知っていますが?」
と応じた。
そして、塾講のバイトをしている豊島は、こう応えた。
「ピタゴラスの定理は高校入試でも出ますよ。この間もバイトで、中学生に教えてきました。」
時宮准教授はうなずいて、そして言った。
「ピタゴラスは、まあ一種宗教がかっていたと言う話もあるけど、数学者の祖と言えるだろう。彼はいろいろなものを整数の比で扱おうとしたんだけど、音もその一つなんだ。現代の言い方で言えば一定の周波数の比を持つ音が調和するってね。だから、音楽のハーモニーは、そもそも『数学』を基礎にしているんだよ。」
と。
音楽が数学を基礎としているなら、それはむしろフォンノイマンの得意分野ということになる。しかし、そんな突拍子も無い話、本当だろうか?
それが本当だとしても、「フォンノイマンのレクイエム」を創ったらしい父がそのことを知らなかったら…。音楽と数学の関係を学習させていなければ…。フォンノイマンのAIは音楽方面の能力を発揮できないかもしれない。AM世界では、父はモーツァルトを超える音楽を「フォンノイマンのAI」に作らせようとしたらしいが…。
そこで、時宮准教授に尋ねた。
「その、音楽が数学を基礎にして成立しているっていう話を、父は知っていたんですか?」
すると彼は、
「もちろん知ってたさ。というか、私は師匠から教わったんだ。ただ師匠は、豊島さんが考えたように『完全な音楽』を危ないものと考えていなかったと思う。いや、私もそうだった。」
と答えた。
そして彼は、
「だけど…」
と続けて少し口籠った。
「…虫の知らせでね、三木君に、あるガジェットを依頼していたんだ。」
時宮准教授の言う「虫の知らせ」って、「予知夢」のことなんだろうか…。准教授様が「予知夢」を見たなんて話、公言できないから、そんな言い方をしたのだろう。
新庄と話しこんでいた三木さんが、急にオレたち3人の視線が集中したことに気付いて、少ししどろもどろになった。
「えっ、ど、どうしたんですか?」
その三木さんに対する時宮准教授の言葉がエグかった…。
「例のアレ、できたんでしょ? 『もう期限は過ぎたしさ、研究室にほとんど出てきていないんだから、ここで置いて行ってくれないと単位がどうなるか分からないなあ。』…って昨日見たドラマの話。」
いや、どんなドラマを見たのか知らないけど、それはハラスメント。いや、堅気の人は言わない言葉だと思うけど…。びっくりしたらしい豊島の顔も蒼くなって、口が開いたまま閉じない。
ところが、三木さんの隣で時宮准教授の言葉を聞いていた新庄は、澄ました顔をしている。何より言われた当人…三木さんも調子に乗って、
「親分、ブツは持ってきましたぜ。」
なんて言いながら、本当に紙袋に入った何かを差し出した。
それを受け取った時宮准教授は、ふと立ち上がってオレの視界から消えた。
やがて、音楽が聞こえてきた。えっとこれは…聞き覚えのあるモーツァルトのレクイエム。「睡眠学習装置(仮)」の実験の時に刺激反応調査用に時宮准教授が準備したものと、同じ音源のようだ。
荘厳で背筋がゾクゾクして、心に響いてくる。確かに…豊島が言うように、「完全な音楽」は人の精神にとって危険なものかもしれない。
不意に、後ろから何かを頭に被せられた。姿が見えないけど、時宮准教授の仕業だろう。だが、その途端に…何か世界が急に変わったような気がした。急にムカムカしてきた。何だ、この気持ちの悪い音楽…。
一体、何が起こったんだ?
さっきまでとは別な意味で、オレの精神を蝕むような音が聞こえて来る。とても不快な音。だけど、聞こえてきている音楽は確かにモーツァルトのレクイエムなのだが…。
時宮准教授が尋ねてきた。
「感想は?」
時宮准教授に答えるより先に、頭に手をやり、「それ」を掴んで外した。
「それ」は帽子のように見えるけど、ただの帽子では無さそうだ。なにしろ、その帽子を頭から外すと、モーツァルトのレクイエムは感動的な音楽に戻ったのだ。
素晴らしい音楽に浸る喜びを噛みしめながら言った。
「何なんですか、この帽子みたいな物は? せっかくの素晴らしい音楽が、これを被ると台無しですよ。」
やや怒りを込めて言い始めたのだが、
「何故こうなるんだろう?」
と考え始めたら、怒りの感情が失せた。
同じ「音楽」が聞こえていたのだから、帽子を被っても聴覚には影響が無いハズだ。それなのに、「帽子みたいな物」を被ると、素晴らしい音楽が不快な音になる。
試しに、もう一度被ると、
「うげーっ!」
不快過ぎて声が出た。
オレの様子を見ていた豊島が、悪ノリして、
「私にも貸してよ?」
と奪い取って行った。




