6.12. フォンノイマンのレクイエムについての考察
時宮准教授は話を続けた。
「それはさておき、昨日ここを出た後にAMの桜井君と、犯人の目的について話し合ったんだ。それで、我々の結論は…」
そう言って、時宮准教授が話してくれたのは、こんなことだった。
犯人の目的は、多分「力」だろう。
「力」。今の時代、それは優れた頭脳とデータ。そのうち特に重要なのは、「頭脳」の方だ。「頭脳」さえあれば、データはハッキングして入手できるし、それを効果的に利用できる。
それでは、「頭脳」とはいったい何か?
その昔、電子計算機全盛の時代には、「頭脳」とはそのままハードウェアの計算能力のことだったらしい。やがてそれは、コンパイルしたソフトウェアの計算能力になり、ディープラーニングがAIの時代を切り開くとより現実的な問題解決能力の優劣が競われるようになった。
しかしそれも、ある段階で多くの問題が明らかになってきた。ズルをするとか、わざと嘘の回答をするとか…。最悪なものは、ユーザーの指示を無視して、勝手に行動するものが出て来たことだった。
それまでSFで語られてきたAIというのは、あのアイザックアシモフのロボット三原則のように、何らかの制約を与えることによってユーザーの指示を守るものだった。そのままでは物語としてはつまらないので、何らかの理由で制約から逸脱してしまったり、制約の抜け穴を設定したりする。
だけど、「暴走AI」が現実に現れると、人々は大いに不安になった。それでも、AIの利便性に慣れてしまった人類は、すでにそれを手放せなくなっていた。だから、どうにかしてAIに「首輪」をかけようと色々と工夫した。…そのほとんどは付け焼き刃だったけど。
その状況を変えたのはララ・シュタイナー。彼女の専門はAIや情報システムではない。彼女が初めてAIシステムを構築したのは、経済学専攻の修士の学生だった時だ。
彼女は経済を動かす集団心理を研究していて、それをAIでシミュレートしようとしたのだ。一人一人の人間の代わりに、少しずつ異なるAIを設定して。その結果は…現実の市場を良く反映した。
彼女は、その成果を修士論文にまとめて、無事にMBAを取得した。
社会に出た彼女は、仕事で「暴走AI」のリスク評価をすることになった。そこで彼女は疑問に思った。彼女が修士の学生だった時に構築したシステムに含まれていた無数のAIには、「暴走」したものなんて無かったように見えた。それなのに、何故世の中には「暴走AI」がこんなに多いのか?と。
元々数学が好きだった彼女は、ゲーデルの不完全性定理が関わっているのでは無いかとの仮説を立てた。「ゲーデルの不完全性定理」、それこそはフォンノイマンが目指した「完全な数学」を否定し、彼の眼を数学以外の世界へ向けさせたものだ。
その仮説を検証・発展させた彼女は、AIに一種の「社会性」を与えることで「暴走」の抑制に成功した。…絶滅させることはできなかったが…。
それは結局、あの天才チューリングが夢想したAIの姿…人のように性格を持つAI…となった。AIの集団の中で「個」を確立するためには、他のAIとバランスを取りつつ、特有の「個性」が必要になるからだ。
そう、効率良く正確に答えを導き出せる「個性」を持ったAI。それこそが、今ビジネス界で求められている「頭脳」だ。それが古く時代遅れのハードウェア上で稼働していても、トータルで問題解決能力が高ければ良い。
そう考えると、「フォンノイマンのレクイエム」は強力な「頭脳」と言える。その「頭脳」が、機密情報を含むできる限りの情報を利用できるようにすれば、「フォンノイマンのレクイエム」の所有者はライバルを手玉に取る「力」を手中にしたことになる。
時宮准教授の話が終わると、オレは考え込んでしまった。
奇しくも、AM世界でオレが創ったAIたち…劉老師、上泉先生、そしてフォンノイマンだって…まさに様々な性格を与えたAIの社会の中で育ったAIだった。そして、AM世界と現実世界の父と祖父が創ったAIのフォンノイマン…「フォンノイマンのレクイエム」も、恐らく同じ手法で作られたのだろう。
だから、あの「フォンノイマンのレクイエム」は暴走しないように設計されたと言えよう。
だけど、本当にアレは暴走していないのだろうか?
あのAM世界の「フォンノイマン」AIの別人格、「ヨハン」を思い出した。オレの意識は、もう少しであの教会の空間に閉じ込められるところだったのだ。あの「ヨハン」は、ある意味で暴走していたのではないか?
そして、オレが昨日インターフェースプログラムを起動した「フォンノイマンのAI」。これも、もしかすると既に暴走しているのではないだろうか? だから、「犯人」なら隠しておきたいハズの各国政府組織や企業への侵入をどんどん公表して、動画ニュースに出演してしまった…のか?
それで、犯人は「フォンノイマンのレクイエム」に何をさせたいんだろう? そして、それが里奈とどう関わるのだろうか? 時宮准教授の話は、その肝心な部分が抜けているような気がした。
そこで、単刀直入に尋ねた。
「それでは、犯人は何を企んでいて、里奈とどう関係しているんですか?」
ところが、オレが言葉を発した直後、准教授室のドアが突然開いた。時宮准教授は慌てて何かを操作した。例のガジェットを停止させたのか?
そして突然の来訪者に言った。
「…豊島さん、ノックぐらいしてよ?」
すると、
「それは失礼しました。」
と言う声と共に、悪びれているようには見えない豊島の姿が視界に入った。
しかし、ドアが閉じる直前にノックの音がした。そして、時宮准教授が応える前に
「お久しぶりです。」
と言って入ってきたのは、今は時宮研究室を卒業したハズの新庄だった。
さらに、新庄に続いて修士2年の三木さんが現れた…今年度に入ってから彼の姿を見たのは初めてかもしれない。
狭い准教授室は突然混雑してきた。
これは一体どういうことだ?
准教授室にはそんなに椅子はないから、奈良と藤田に頼んで、研究室から椅子を持ってきてもらって並べた。その間に豊島と新庄が、冷たい飲み物を準備しているようだった。




