6.11. テレビ出演
それから、朝食を摂って栄養ドリンクをカバンに詰めると、急いで家を出た。
朝から暑い。ピーカンの夏空が広がっていた。もう梅雨は開けたのか? 意外に陽が高い…と思って携帯端末を見ると、既に10時過ぎだった。
緊迫しているような、のどかなような、不思議な気分で大学へ急ぐ。
「おはようございます。」
元気そうな男女の声がハモった。奈良と藤田だ。昨日は、学部4年生の2人は進学・就職説明会があるとかで、時宮研には来なかった。そのおかげで、この2人はあの事件に巻き込まれることもなく、午前中から元気に研究室に来ていたのだろう。
修士2年で元々研究室にあまり来ない三木さんは別にして、木田と豊島は昨日の事件に巻き込まれて帰宅が遅くなったことだろう。だから、今日は午後出勤なのか? いや、木田は湊医科大学の思宮研究室に行ったのかも…。
でも、警察署に招待されたオレの帰宅は、木田と豊島よりもっと遅かったんだ。だから、こんな時間にここに来るのはしんどい。だから、
「おはよう。」
と応えたオレは、2人には、ダルそうに見えたことだろう。
これから敵か味方かすら分からない時宮准教授と相対するのに、こんなに腑抜けていてはマズい。オレは両手で自分の頬を叩くと、2人に尋ねた。
「時宮先生は来てる?」
「准教授室にいますよ。」
と答えたのは藤田だった。
准教授室をノックすると、いつもの呑気そうな声が返ってきた。
「来たか。待ってたよ、桜井君。」
オレは名乗っていないのに、誰がノックしたのか、時宮准教授には判っているようだ。でも…いつも通り緊迫感が無い。
中に入ると、あのガジェット「指定した相手だけに声が伝わるようにするガジェット」が既に動作していた。
「今日も秘密の打ち合わせ、ってことですか?」
「そりゃあ、一応『フォンノイマンのレクイエム』絡みだからね。まあ、座って。」
いつものようにコーヒーが出てきた。ありがたいけど、暑い中歩いてきたのに、アイスではなくホット。それでも、
「ありがとうございます。」
と一応礼は言っておく。
そして、お茶菓子に手をつけると、まだ少し冷えている栄養ドリンクをカバンから出して飲み始めた。
すると、時宮准教授は間髪置かずに尋ねてきた。
「それで、結局、昨日はどうなったの?」
「前に話した夢が現実になりましたよ。時宮先生は、意図的なのか不在でしたが。」
オレは嫌味を言ったつもりだった。
ところが、時宮准教授は不思議な返し方をした。
「それも君の夢の通りなんだろう? 君の夢の中でも、玉置由宇さんが攫われた時には、私はいなかったって聞いてたけど?」
「でも、先生がいらっしゃれば…。」
と応じようとして、後の言葉が続かなくなった。
そんなオレを、時宮准教授はニコニコして見ていた。そうなることが最初から判っていたように…。そして、たたみかけてくる。
「私がいれば? って…私が君と川辺君に付いて行っても、結局、何も出来なかったんじゃないの?」
むむ…悔しいけどその通りだ。AM世界のオレから、父と祖父が創った「フォンノイマンのレクイエム」のことを聞いてなければ、「フォンノイマンのレクイエム」にアクセスすることは出来なかった。そして、その役目は時宮准教授では無い。オレだ。
ここはオレの負けだ。それに、時宮准教授の言うことが否定できないなら、彼は敵では無い。
そこで、昨日の出来事を順を追って説明した。そして説明が終わると、ようやく少し冷めてきたコーヒーを一口啜った。
すると、時宮准教授は無言でディスプレイを点けて、何やらPCを操作した。何のことだ…? と思っていると、ニュース動画が映し出されたようだ。
女性アナウンサーがニュース原稿を読み始めた。
「昨夜から、『ヨハン』と名乗る謎のハッカーが、各国の政府組織や多くの企業のシステムをハッキングしたとSNSで主張しています。」
男性アナウンサーが、有識者らしい出演者に質問を投げかけた。
「『ヨハン』とは何者ですか? それに、『ヨハン』は何故そんなことをしたのでしょうか? 彼の主張通り、これらのシステムはハッキングされてしまったんでしょうか?」
「『ヨハン』という名前のハッカーやハッカー集団は、これまで知られた存在ではありませんでした。『ヨハン』が何者なのかは、各国政府やセキュリティの専門家たちが追っていますが、今のところ確からしい情報はありません。それと、『ヨハン』は実際に、とある国の政府組織内部の監視カメラの制御を奪って、その映像を公開しているそうです。」
男性アナウンサーが
「そうですね。…少々お待ちください。今、その映像を…。」
と言っている間に、女性アナウンサーが
「『ヨハン』から緊急の連絡が番組宛に届きました。それによると…。」
と割り込んで話し出した。
しかし、彼女も割り込まれた。突如、画面が切り替わって、髪の毛の薄い50代くらいの白人男性の顔がディスプレイに映った。それは…AM世界で見知った顔だ。
「どうも、『ヨハン』です。このニュースサイトのシステムは、掌握しました。ちょうど私のことを報道してくれていたので、皆さんに私が実在することがはっきり判るように出演してみました。」
「ヨハン」…それはアメリカへ移住する前のフォンノイマンのファーストネーム。アメリカへ移住してから英語読みの「ジョン」を名乗るようになった。そして、この顔。だから、これは…
オレの考えを引き継ぐように、
「『ヨハン』とは『ジョン=フォン=ノイマン』のことだろう。『フォンノイマンのレクイエム』にアクセスできるようになった「犯人」は、耐量子暗号の少なくとも一部を解読できるようになってしまったのかもしれないね。それで、こうなった…のか? それとも…。」
と、時宮准教授が解説してくれたが、彼も途中で考え込んでしまった。
犯人はこんなことをするために、「フォンノイマンのレクイエム」にアクセスしたかったのか? 時宮准教授に尋ねた。
「犯人は何を考えているんでしょう? 『フォンノイマン』にあちこちハッキングさせたり、ニュース動画に出演させることが、『フォンノイマンのレクイエム』にログインできるようにした目的…とは思えないんですが…。」
すると、時宮准教授も少しひきつった顔で応えた。
「それは私も同意見だね。犯人が情報を得るために『フォンノイマン』のAIにハッキングさせたのだとは思うけど、おふざけが過ぎている。これはちょっと…もしかするとAIの暴走かも…。」
しかしオレは、AM世界で創った「AIフォンノイマン」の行動パターンならば少し理解できるような気がした。
あの素晴らしい頭脳と、若干無軌道で、軽く好奇心旺盛な性格。情よりも理。「AIフォンノイマン」は、「彼」にとって必要で実行可能であれば、それを躊躇無く実行する。
「AIフォンノイマン」のオリジナル、歴史上のフォンノイマンは原子爆弾開発の立役者の1人だ。やがてそれは完成し、実際に広島と長崎に投下された。
「歴史」という「情報」に与えた影響ということならば、いろいろな考え方があるかもしれない。でも、1人の人間として原爆がもたらした悲惨さに直面すれば、考えを改めるのが人間というものだ…と思う。あのオッペンハイマーやアインシュタインのように。
ところが彼は、原爆が何をもたらすのかが判った後でも、さらに冷戦直前の仮想敵国へ投下するよう主張した人だ。そんな彼は「人間」としては「暴走」していたのか…。
そして、水爆実験に立ち会ったため癌で亡くなったと言われている。彼の元には放射線の影響についても情報が上がっていたハズだ。それでも、自身の健康よりも好奇心が優った…のではないか? そんな彼は「生物」としても「暴走」していたのかもしれない。




