6.5. 警察への対応
里奈は何故、自らの意思で「攫われた」のだろう? 本人の意思で「攫われた」から、自己防衛システムは自動的に発動せず、AMのオレも手動発動させずに様子を見ているようだ。
そこで、AMのオレに里奈が「攫われた」前後の状況を聞いてみた。すると、どうやら攫われる直前にどこからかメールが届いて、慌てて携帯端末を置いたまま家を出て行ったとのことだった。お守りのつもりなのか、自己防衛システムをインストールしたバッグを持って…。
何が起こったんだろう?
とりあえず、AMのオレに里奈と玉置由宇の携帯端末からもっと情報を抽出するように依頼しておいて、どうすれば2人を救出できるのか考え始めた。里奈の位置はわかるけど、彼女の意図と玉置由宇の位置は不明だ。
里奈が「攫われた」のは、玉置由宇が行方不明になってからかなり時間が経過してからだったようだ。AMのオレから来た情報から推測すると、彼女は「攫われた」のではなく、玉置由宇を救出しようとして動いているつもりなのかもしれない。
それでも、AMのオレが言うように里奈は「危ない状況」にある…とオレも思う。恐らく、犯人か関係者からの誘いに乗って、指定された場所へ携帯端末を持たずに行ったのだ。そして、犯人は里奈が来る前から、川辺に彼女を拉致したとメールを送った…。
彼女の身に危険が迫れば、自己防衛システムが自動起動しなくてもAMのオレが起動してくれるとは思う。だけど、やっぱり不安でもどかしい。
さて、すぐに里奈を救出しに行きたいところだけど、状況が分からないし玉置由宇の居場所も知っておきたい。でも、玉置由宇の居場所は妹の玉置由佳も知らず、バイト先にもいない。里奈と一緒にいるのかどうかも分からない…?
そうだ、警察は何をしているのだろう? 玉置家からの失踪届に対しては、家出を疑い、真面目に捜査しているとは思えない。でも、川辺に届いた脅迫メールを見せれば、今度こそ本気で捜査してくれるんじゃないだろうか?
そこで川辺に尋ねた。
「このこと、警察には連絡したのか?」
「もちろん、連絡してない。」
どういうことだ? …オレの疑問は、川辺の言葉ですぐに解消した。
「桜井か時宮先生からそのアクセス方法とやらを聞き出して返信すれば、2人とも返す、とメールに書かれていた。…それに、『警察に連絡すればその時はどうなるか判っているんだろうな』とも書いてあったぞ。それなら、俺にできることは、お前と時宮先生にこのことを伝えるだけだ。」
川辺の言葉を聞いて、玉置由佳は青ざめた。
「どうしよう、お母さんが警察にお姉ちゃんの失踪届を出してしまったわ…。」
「…そうだったのか。もしも、犯人がそれに気づけば…。」
あのいつもおちゃらけていた川辺が、深刻そうな表情を浮かべていた。
犯人が本気で川辺に伝えた通りに行動するのなら、警察に玉置由宇の失踪届の処理や捜査を、内密に進めてもらわなければ危険かもしれない。オレがそれをお願いできるのは…サイバーポリスの白銀さんくらいだ。
彼女に電話するのは3年振りくらいだけど、躊躇っている時間は無い。人目を気にせず、急いで携帯端末の連絡先リストから白銀さんの名前を探し出し、発信した。
「あの、先駆科学大学の桜井ですが、覚えていらっしゃいますか?」
「…えっと、誰だっけ?」
忘れられてしまったか? …確か最後に連絡した時の所属は…。
「頭脳工房創界の桜井ですが。」
「ああ桜井君ね。忘れていないわよ。コミュ障のオタクハッカー君だったわね。」
ようやく話が通じたが、何かディスられている気がした。
白銀さんに反論したいのは山々だったけど、今はそれどころではない。
「厄介ごとに巻き込まれたので、お願い事があるんです。」
「忙しいから簡潔にね。」
白銀さんの言葉の後ろから雑音が聞こえる。この時代、音声通話のノイズはほとんどキャンセルされる。電話にノイズが入ってくるのは珍しい。よほど大きな音なのだろうか? 轟音…というか、何かが唸っているような音…。何故か耳についた。
そんな雑念を振り切りつつ、里奈とその友人の玉置由宇が攫われたことを説明した。同じ研究室出身の友人・川辺に届いた脅迫メールのこと、そのメールを知らずに玉置由宇の家から警察に失踪届を出してしまったこと。…そして、この状況なので、内密に捜査してほしいと…。
最初はクールだった白銀さんが、誘拐事件と聞いて、反応が変わったような気がした。そして、
「妹さんとそのお友達の居場所は分からないの?」
と質問された。
何故だろう? 白銀さんのその質問に違和感を感じた。それで咄嗟に、
「妹は携帯端末を家に置きっぱなし。玉置さんはアルバイト先に携帯端末を置き忘れたそうですし…。2人ともどこにいるのか全く分からないんです。」
…最後の一言だけ嘘をついた。少なくとも里奈の居場所は分かっている。
すると、彼女は
「分かったわ。探してみる。それじゃあ。」
と言って電話を切った。
電話を切られてから、しばらくして「違和感」の正体に気づいた。居場所が分かっていれば、玉置家が早々に失踪届を出すことはなかっただろう。それならばあの質問は、何だろう?
オレが白銀さんと電話で話している間に、他の連中の騒ぎが大きくなったように感じた。川辺と木田、高木さん、何やら議論しているようだったので、豊島に尋ねた。
「何かあったの?」
「川辺君に、犯人から新しい指示が来たみたいよ。」
「どんな?」
そのオレの質問に答えたのは、豊島ではなく、川辺だった。
「時宮先生と連絡がつかず、桜井が『フォンノイマンのレクイエム』のアクセス方法を知らないと言うのなら…お前を連れて来い、と指示が来た。」
「どこへ?」
「多分、2人が居るところだと思う。来るだろう?」
「分かった。」
すると、困惑した玉置由佳に袖を引かれた。
「私はどうすれば良いの、お兄ちゃん?」
彼女のことも心配ではあるけど…。オレが一瞬ためらっていると、木田が
「心配するな。高木さんと俺で、この娘を送っていくから。」
と声をかけてくれた。
荷物を整理して支度をしていると、今度は豊島に耳打ちされた。
「携帯端末の位置情報、私に公開しておいてくれる? ちょっと考えがあるから。」
彼女が何を考えているのか分からなかったけど、とりあえず
「分かった。」
と言って公開し、AMのオレにもそのことを伝えた。
すると豊島は照れ隠しなのか、
「いつも世話になっているから、たまには借りを返そうと思ってな。」
と、無理をして低い声を絞り出して、どこかのおっさんのように応じた。
オレは川辺と2人で、時宮研究室を飛び出した。




