6.3. 夢と現実
ここまで、ほとんど夢で見た通りに事態が推移している。
ただ、夢の中では確か…玉置由佳が落ち着くまでの間に八神圭吾とメッセージで連絡を取っていた。すると彼は、川辺と玉置由宇は昨日レゾナンスに来たけどバラバラに来て別々に帰った、と言っていた。
だけど先日、吉川さんから聞いたことが頭から離れず、八神圭吾と連絡を取る気になれなかった。…ムーコが八神圭吾をはっきり嫌っていた…とは。
オレは、ムーコが「ストーカー」を怖がって逃げ回っていたんだと思っていた。だけど、彼女は「ストーカー」の正体を八神圭吾だと知っていて、彼から逃げていたのかもしれない。それでも、オレは彼とリア子のおかげで、眠り続けるムーコと会うことができたのだ…。
オレは、八神圭吾を信用して良いのかどうか、分からなくなっていた。だから、川辺と玉置由宇がレゾナンスで接触したかどうかは、川辺に尋ねることにしよう。
それで、玉置由佳には一応、確認しておくことがある。答えは知っているつもりではあったが…。
「それで、お姉さんの昨日の行動は?」
「お母さんは、大学からそのままアルバイトに行ったはずだと言ってたわ。」
「それじゃあ、お姉さんが帰って来ないって、警察には連絡したの?」
「今日のお昼頃まではお姉ちゃんが帰ってくるのを待っていたんだけど、母が我慢できずに警察に失踪届けを出したわ。警察には、家出じゃないか?って言われたけど…。」
まあ大体、夢で見た通りだ。あとは、川辺の話を聞かなければ…。
玉置由佳は落ち着いたようだし、さっきみたいな半狂乱状態にはならないだろう。あの3人が対応しているんだし、川辺だってきっと今頃は落ち着いているハズだ。
そこで、オレは玉置由佳に言った。
「それじゃあ、時宮研に戻ろう。お姉さんの行方について、川辺が何か情報を持っているかもしれない。」
「わかったわ。」
オレが歩き始めると、玉置由佳も後ろからついてきた。
時宮研のドアを開けると、室内は夢で見た通り、明るい。中に入ると、コーヒーの香りが漂ってくる。皆の姿を探すと、応接テーブルの周りに集っていた。肝心の川辺は、叫んだり騒いだりすることもなく、ただうなだれていた。
その周りにいた木田、高木さん、それに豊島も、口を閉じたままで、表情は硬い。何が起きたか分かっているつもりだけど、一応確認しなければなるまい。
そこで、木田に尋ねた。
「何があったんだ?」
すると、木田が答えた。
「川辺に、何者かからメールが来たらしい。…女性を拉致したと。」
それを聞いた玉置由佳が、オレの顔を見て何か言いたそうだったが…オレはそれを手で合図して押し留めた。
それで、今度は川辺に尋ねた。
「その女性の名前は?」
オレは、それを知っておきたかった。
里奈が何をしたのか分からない。でも、オレは里奈に夢の話をした。夢では、玉置由宇は「倉橋里奈」として拉致された。それが実現しないようにするにはどうしたら良いのか? オレが里奈だったら…玉置由宇に偽名を名乗るのをやめるように説得しただろう。
そして、彼女が「倉橋里奈」ではなく「玉置由宇」を名乗って拉致されたのなら、犯人にとって彼女の名前はどうでも良いことになる。…であれば、彼女と関わっている川辺を脅迫したかったのだろう。
でも、そうでなければ…犯人の目的は何なのだろう?
川辺はオレの方を向いて低い声で言った。
「倉橋里奈…。」
…結局、玉置由宇は偽名のまま拉致されたのか。
すると高木さんが、口元を手で覆って叫びかけた。
「えーっ、『倉橋里奈』って…まさか桜井君の妹の?」
豊島も驚いて、オレの顔を見て言った。
「川辺君に犯人から連絡が入ったって言うことは…2人は付き合っていたの?」
川辺は豊島には応えず、今度は別な方を向いてボソッと言った。
「…それに玉置由宇っていう女だ。」
川辺のその言葉を聞いて、玉置由佳は両手で口を塞いで固まった。
オレは、川辺の「それに」という言葉に引っかかった。もしかすると…
「まさか、2人とも拉致されたのか?」
川辺はうなずいて言った。
「メールにはそう書いてあった。」
夢とは違う方向へ事態が進展し始めたのか…?
オレは、川辺のこの言葉を信じて良いのか、迷った。里奈には、護衛用に小型ドローンを複数機仕込んだバッグを渡していた。そしてムーコとオレが襲われ、オレだけが意識を取り戻した後、そのシステムはさらに拡充してバッグを持っていなくてもある程度の護衛は可能になっている。まあ、彼女はオレがプレゼントしたバッグを良く使っているようだが…。
それに、ドローンの運用はAM世界のオレに任せている。だから、彼女を何者かが襲おうとしても、AM世界のオレが制御するドローンの自爆攻撃で撃退できるだろう。最悪、ドローンで対応できなかった場合でも、AM世界のオレから連絡が来るハズだ。連絡が来ていない以上、里奈が拉致されたとは考えられない。
一方、玉置由宇が誰かに拉致されたのは間違い無さそうだ。事情が掴みきれないオレは、口を閉ざして黙考した。皆も沈黙して、時宮研は静寂に包まれた。
その静けさを破ったのは、木田だった。
「川辺、そのメールの送信元が誰なのかは、分からないんだよな?」
「そうだ。」
「それじゃあ、そのメールの信憑性は薄いんじゃない? 誰か川辺君に恨みを持つ人が、使い捨てのアドレスから送って来た…とか?」
と豊島が続いた。
すると高木さんが言った。
「豊島さんが川辺君に少〜し辛辣なのは分かるけど、その可能性が高いと思ってたら、流石に川辺君もここに来ないんじゃないのかな?」
「高木さんがそう言うなら…。」
豊島は高木さん崇拝者だからなあ…。
玉置由佳がおずおずと手を挙げて、口を開いた。
「その…玉置由宇の妹で由佳って言います。川辺…さんのことは、姉から聞いています。アルバイト先のレゾナンスの社員で、その…彼から言い寄られているって…。昨日から姉が帰って来ないので、私たち家族は心配しています。私は、姉が川辺…さんに拉致されたのかと思っていました。そこで、姉の友人の倉橋さんのお兄さんである桜井祥太さんに相談に来たのですが、まさかここに川辺…さんが来るなんて…。」
今にも泣き出しそうな玉置由佳の顔を見て、高木さんが少し強く川辺に言った。
「まさか、本当は川辺君が、その2人を攫ったんじゃないでしょうね?」
「高木さん、流石にそれは無いです。桜井の妹を攫ってたら、ここに来られませんよ。それに、俺は玉置さんも攫ったりしてません。少なくとも昨日は、顔も見ていないし…。」
すると木田が尋ねた。
「それじゃあ、なんでここに来た?」
「それは…メールで指示されたからだ。」
「どんな?」
「2人を助けたければ、『フォンノイマンのレクイエム』へのアクセス方法を、時宮准教授か桜井から聞き出して、返信しろ…と。」
皆の視線がオレに刺さった。




