5.29. AM世界に起こった変化
それから数日後の深夜、音声通話がかかってきた。相手は…オレ。
AMのオレとは、いつもはメールで連絡を取り合っている。一度だけ、今年の年明けに「睡眠学習装置(改)」の相互干渉モードでAM世界にアクセスして、「直接会って話した」ことがあった。だけど、音声通話は多分初めてだ。
現実世界よりも10倍のスピードで進む時間の中で過ごしてきた、AMのオレ。AM世界にダイブした時の彼は、オレよりもずっと大人だったし、オレよりも多くの情報を操っていた。今や彼はオレのコピーというより、オレが目指す存在だ。
その彼が、少し慌てた口調だった。
「見つけたよ、多分。AM世界の中にあったんだ。『フォンノイマンのレクイエム』だと断定はできないけど、フォンノイマンのAIであることは確かだ。」
「貴方の言う、フォンノイマンのAIって?」
「フォンノイマンの人格を持つと、自ら思っているAIのことさ。」
やっぱり。でも、それって、オレ…いやオレたち(?)がAM世界で作ったAIのことだろうか? だけどそのAIなら、「ヨハン」という子供時代のフォンノイマンの人格にコントロールされて、AM世界を乗っ取ろうとして消されたと聞いていたが…。
そこで、オレは尋ねた。
「そのAIなら、オレたちが作ったものの最後には暴走して、最後は貴方が消去したんじゃ?」
と。
すると、AMのオレはとんでもないことを言った。
「それとは違うAIなんだ。センチネルが、AM世界の中から見つけてきたんだよ。」
「だけど、『フォンノイマン博士の世界』は消去したんでしょう?」
「そうだよ。それにもちろん、オレはその後フォンノイマンの人格を持ったAIを作っていないし、二度と作るつもりも無い。」
AMのオレの声は、少し昂っているように思えた。話には聞いていたが、相当なトラウマになっているのだろう。
しかし、それならオレの疑問はさらに深まった。
「それじゃあ、一体誰がそんなことを…?」
そのオレの独り言のような問いに対して、すぐに携帯端末から答えが返ってきた。
「…父と祖父だ。」
「えっ。」
オレは思わずそう口走ったきり、絶句した。
しばらくして、AMのオレは話を続けた。
「AMの記憶領域には、父と母、それに祖父も存在していたんだ。だけど、どういう訳だか、オレが認識できる領域から切り離されて存在していたらしい。」
「どういうことなんだ?」
「どうやら、オレ自身が3人とも死別したという意識が強かったため、『生きている』オレ自身の世界とは切り離されてしまったのではないか?…と想像しているけど、本当のところどうなのかは分からない。」
これは、量子コンピュータでAMを創るという科学技術の問題じゃなくて、AMのオレの「心」の話なんだろう。だけど、仮にAMのオレが言うように「父と母と祖父が、AM世界と切り離された領域に存在した」のなら、彼はどうやってその存在を知ったのだろうか?
その疑問をAM世界のオレに尋ねると、
「それは、今回、君から依頼を受けたおかげなんだ。」
と答えが返ってきた。
話が理解できずに困惑していると、説明を補足してくれた。
「昨日、1匹のセンチネルが『フォンノイマン』の情報を、持って来たんだ。だけどその情報によれば、『フォンノイマン』のAIが、現在『AMのオレ』自身が居る時宮研の量子コンピュータに存在するとされていたんだ。」
それはおかしい。何故なら、
「でも、その量子コンピュータでは、オレからコピーした『AM』が全てのリソースを使っていて、他のプログラムは動作していないハズ…。」
だからだ。
すると、AMのオレからため息が聞こえてきた。やがて、ボソッと
「オレもそう思ってたよ。」
つぶやいた。
彼のつぶやきはその後も続いた。
「だから、AM世界で高木さんや木田にも協力してもらって、そのデータの所在を突き止めると、切り離された領域が見つかったんだ。」
あれっ、AM世界と切り離された領域に、AM世界のオレはどうやって行ったのだろう? 不思議に思ったオレは尋ねた。
「それだと、切り離された領域にいる父や母、祖父には会えないんじゃないか? それに、切り離された領域にある『フォンノイマン』のAIへ、どうやってアクセスしたんだ?」
だけど、その答えは不思議かつ、AM世界にありがちな話だった。つまり、AMのオレの心理状況を、AM世界が反映してしまった…としか考えられない。
「昨日は、どうすれば3人に会えるのか、考えあぐねて寝てしまったんだ。だけど、一晩寝たらオレがいる世界と3人がいる世界が融合してしまったらしい。」
融合…か。さすがAM世界。で、融合してどうなったんだろう?
「それで、3人はどこに住んでいたの?」
「父と母は昔オレたち家族が住んでいた家に、祖父はオレや里奈と一緒に住む前に住んでいた家に、それぞれ住んでいるよ。昨日仕掛けたセンチネルが、今朝、情報を掴んできた。」
その言葉を聞いて、3人の姿を思い出した。
「今度AM世界に行ったら、会いたいな。」
「ああ。でも、記憶とも現実ともつかない存在だけどね、3人とも。別れた時のままだし。」
別れた時か…。
父と母と別れたのは、オレがまだ小学生だった時。空港で別れた時の記憶は、この間ストレージの画像を視た時に思い出して、再定着している。
祖父とは死に別れた。だから、亡くなった時の祖父の顔もしっかり覚えている。でも、AMのオレが言っているのは、きっとまだ元気だった頃の祖父だろう。その姿も、ストレージの画像にあった。
もしかすると、3人がいた領域とAM世界とが融合したのは、ストレージの情報をAM世界に入力したためだろうか? そこで、AMのオレに尋ねると、
「オレもそう思ってる。父、母、それに祖父は、そちらから入力されたストレージからの情報の影響を、強く受けているような気がするんだ。」
と同意した。
さらにAMのオレは、
「そして、『フォンノイマン』のAIは、きっと現実世界で時宮准教授から貰った文献を入力したから、生じたのではないかと思っているよ。」
と続けた。
「フォンノイマン」のAIが、AM世界にあることは判った。でも、それは川辺がオレの夢の中で口走った「フォンノイマンのレクイエム」とは関係ないんじゃないだろうか? 第一、AM世界の「フォンノイマン」のAIに、現実世界からアクセスできるとは思えない…。
そうは思ったけど、一応、AMのオレに尋ねた。
「それで、『フォンノイマン』のAIにはどうやってアクセスするんだ?」
「それがねえ、『フォンノイマン博士の世界』の『フォンノイマン』とは違って、『睡眠学習装置(仮)』からアクセスするんじゃ無いんだ。AM世界のコンピュータのコンソールから、直接アクセスするんだよ。アカウント名とパスワードで。」
アカウント名とパスワードでログインするなんて、古風な…。
AMのオレは話し続けた。
「一応、そのログイン情報も伝えておくよ。『フォンノイマン』のAIが稼働しているコンピュータは、AM世界の頭脳工房創界にあって、その名前は…”rina1024”だったんだ。」
“rina”…って「里奈」のことか? そして、“1024”すなわち10月24日は、里奈の誕生日だ。これは間違いない。父の仕業だ。
だが、AMのオレが続けた言葉に、絶句した。
「rootユーザーは”amadeus”、そしてパスワードは”KV626#Requiem$in%d-Moll”…。」
「…それって、まさか…?」
「そう。だから、これが『フォンノイマンのレクイエム』さ。きっと。AM世界ではね。」




