5.25. 玉置由宇を守るために
暑いというか、寒いというか…。
起きたら汗まみれだった。多分、暑くて汗をかいたら、今度は体が冷えて目が覚めたのか? それとも、夢見が悪くて、冷や汗をかいて目が覚めたのかもしれないが…。
いや、問題はそこじゃない。玉置由宇が「倉橋里奈」として拉致されてしまったことだ。…いや、それも少し違う。少なくとも今は、彼女は拉致されていないのだし…。
ならば、玉置由宇はこれから拉致される…のか?
それなら、彼女が拉致される前に保護すれば良いのではないか? 時宮准教授は言っていた。未来がどの程度確定しているかは、時空間によって異なると。そして、「絶対値0の夢」じゃない限り、未来は変えられる可能性があるのだと。
あの夢は、前回と今回とでは微妙に違っていた。ということは、「絶対値0の夢」ではない。だから、この未来は変えられるんだ、きっと…。
そのためには、どうすれば良いのか?
彼女を保護するには、里奈と玉置由佳の協力が必要だろう。それに玉置由宇を加えた3人に、また集まってもらおう。彼女たちに、何と言ったら良いのか、今は思いつかないけど…。
オレは先ず、里奈に直接会って相談するため、メールを送った。
他にも考えておかなければならないことがある。
川辺は言っていた。川辺が玉置由宇の拉致犯らしき人物から受け取ったメールには、
「フォンノイマンのレクイエムへのアクセス方法を調べておけ。時宮良路か桜井祥太あたりが知っているだろう。追って指示するが、こちらの指示通りに動かないと、その時は覚悟するんだな。」
と書かれていたと。
夢の中でそれを聞いて、オレは頭を抱えた。「アクセス」できる「フォンノイマンのレクイエム」なんて、オレは知らない。一応、時宮准教授にも尋ねてみよう。「予知夢」の続きを見たんだから、その話もしなければならないし。
それと、AMのオレにも伝えておこう。「フォンノイマンのレクイエム」については、どうも分からないことだらけだ。それなら、AMのオレには、またセンチネルを使ってでも調べてもらおう。
そこで、時宮准教授とAMのオレに、暗号化したメールを送った。
考えることが一段落すると、にわかにお腹が空いてきた。朝食も食べてないのに、もう時計は9時を指していた。パンを焼いてオレンジジュースで胃袋に流し込むと、急いで家を出る。
行き先はもちろん大学。時宮研についた時には、すでに10時を過ぎていた。今日は学部4年も我々修士1年も、午前中は授業が無い日だ。そのためか、研究室内には結構人がいる。
木田は見当たらないが、豊島の姿が視界に入ったので、
「よう。」
と声をかけた。
すると、豊島が手を止めて言った。
「時宮先生が、11時過ぎに会議が終わって帰ってきたら桜井君と話がしたい、って言ってたよ。」
そこで、
「ありがとう。」
と答えた。
時宮准教授は、メールで連絡したあの夢の話を、早く聞きたいらしい。
オレが自分の席に着くと、そこへ奈良日向がやってきた。学部4年生の彼の卒論テーマは、量子アニーリング/イジング型量子コンピュータによるAIプログラミング。
それは、去年、オレが確立した手法を応用する研究テーマだ。量子アニーリング/イジング型量子コンピュータで汎用プログラムを開発して、できることならOSまで作りたいオレをサポートしてくれる…と期待したけど、現実は厳しい。残念ながら、通常の電子式のコンピュータでAIを使ってプログラムを組むことも、彼にとってはハードルが高いようだ。
仕方がないので、量子アニーリング/イジング型量子コンピュータに機械学習させるためのプログラムをこちらで考えて、要素ごとに分けて彼への課題としている。オレが自分でプログラムを作る方が、ずっと効率的なのだが、彼にも成長してもらわなければならない。彼自身の卒論のためにも…。
ため息が出そうになった時、奈良が明るい声で挨拶してきた。
「おはようございます、桜井さん。先日のプログラムは一応できたと思うんですけど、見ていただけますか?」
間近にきた彼のガタイは大きい。身長185 cm位はあるだろうし、腹筋も割れてそうだ。うちの大学には珍しい、体育会系男子だ。
オレに挨拶をしておきながら、豊島の席の隣にいる「朋ちゃん」こと藤田朋子の方を向いて、笑顔で手を振っている。コイツは、川辺とは別な意味で陽キャだ。正統派の陽キャ。…明るく屈託がなくて、老若男女から好かれるキャラクター。
…眩しい。オレは少し苦手だけど、奈良はオレを立ててくれるし、キライではない。もちろん奈良も、オレが実質的に卒論を指導していることは分かっているからそういう態度をとっているのかもしれないが…。
しかし、奈良が作ったプログラムには…やっぱり問題があった。このままでは過学習してしまって、まともな結果が得られない。
奈良に分かる言葉を選んで説明して、どうにか彼が修正方針を理解したその時、時宮准教授が研究室に戻って来た。
手招きされて、時宮准教授と一緒に准教授室に入るとまもなく、彼は口を開いた。
「例のガジェットは起動したから、大丈夫だ。桜井君が、夢で何を見て聞いたのか、話してくれ。」
例のガジェットとは、音声を届けようとした対象にだけ音が伝わり、わずかに離れた人や機器には伝わらなくなる装置だ。古くからヘッドホンのノイズキャンセリング等で使われてきた技術らしいけど、それを高精度化して連携させることで、この部屋にいる特定の相手にだけ声が伝わる。
そこでオレは夢の内容をまとめて伝えた。前回の夢とは始まった時点が異なっていたこと、内容は前回の夢と大体同じだけど細かい点で違っていたこと。そして、夢の中で川辺が犯人から告げられた「フォンノイマンのレクイエム」は、研究テーマではなくアクセスできる何かであることを。




