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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第1章 プロローグ
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1.14. リアライズエンジン

 第4回目の「睡眠学習装置(仮)」の被験者実験開始の数時間前、()()()()()()のプログラミングチームでは、一つのマイルストーンに到達した事を確認していた。以前に()()()()()()で開発し、既にオンラインで公開している「神々の記憶」というタイトルのMMORPGがある。この画像と音声データを、我々がレゾナンスのツールを使って開発した「リアライズエンジン」を通してヘッドギアへ出力する、機能テストをしたのだ。

 プログラミングチーフの三笠さんやレゾナンスの八神さんから我々プログラマーまで、開発に関わった全員が体感した。その効果は圧倒的で、ヘッドギアを身に付けてログインすると「神々の記憶」の世界に正に没入した。


 「神々の記憶」は通常のMMORPGなので、出力される画像は主にテクスチャーマッピングとレイトレーシングにより生成される。それを「リアライズエンジン」は、設定したゲームの世界観を反映した環境変数から植生や土壌、降水や風速等の環境変数を考慮して、量子コンピュータにより瞬時に再計算した現実的な画像に置き換える。もちろん、BGM以外の効果音も、再計算されたものに置き換えられる。

 キャラクター操作のための入力信号や画像と音声の出力信号は、ヘッドギアに組み込まれた脳波干渉システムをインターフェースとして、ユーザーの脳と「リアライズエンジン」とでやり取りされる。これにより、ユーザーキャラクターはユーザーがイメージするように動き、自分の体を動かしたようなVR画像と音声を体感する。ゲーム中、他のユーザーの操作により他のユーザーキャラクターは動き、攻撃されて吹き飛ばされたりすると、三半規管の出力情報は無いのに目が回る。


 しかし、この機能テスト後のディスカッションでは、新たな問題も提起された。「リアライズエンジン」の入出力データが膨大なため、超高速通信が普及した現在でも、特別な環境でなければ回線容量が心許ないのだ。この問題については、三笠さんと八神さんを中心に、サービス方法を含めて検討する事になった。

 また、今回の機能テストでの体験では、オレは違和感も感じた。没入感は非常に高いのだが、何故か()()に感じるほど()()()なのだ。現実には見えないはずのものが見えて、聞こえないはずのものが聞こえる、と言ったところだろうか?

 人が見えていると思っている情報の全てが、実際に目から得られる情報なのでは無く、脳が創り出す情報と融合されたものを「見た」と思っていると聞いた事がある。「リアライズエンジン」が出力する情報量が、現実世界で目から得られる情報量を超えてしまうため、その違和感をもたらしたのではないかと思った。そこで、三笠さんにそう伝えたら、オレ自身がその対応策を検討するように指示されてしまった。しかし、問題の対処がブーメランで返って来てみると、どうしたら良いのか見当もつかない。


 バイトの時間が終わり、エントランスを抜けようとすると、そこでムーコが待っていた。

「桜井さん。」

「ムーコ。待っててくれたの?」

「ええ。今日はこれから実験ですよね?」

「うん、そうだよ。」

「御自宅に戻られるんですか?」

「いいや、時間が無いから銭湯に寄って、そのまま大学に行くつもりさ。」

「私も付いて行って良いですか?」

「タオルとかある?」

「もちろんです。」

「じゃあ、一緒に行こうか?」

 ニコニコして付いて来るムーコは屈託がなく無邪気で、「ビーンストーク@ベイ」で感じたような、人を手玉に取るような策略家のイメージは皆無だ。


 エントランスを出ると、…やはり今日もいた。吉川さんがストーカーだと思って怯えていた黒いワンボックス車。中にいるのは、やはり八神さんだ。ムーコに吉川さんはどうしているのか尋ねると、やや不快そうに、

「吉川さんなら今日はお休みですが、何か?」

と言う。それなら、八神さんは吉川さんの不在を知らなかったのか、吉川さんではなく別人がターゲットなのだろうか?あるいは、ターゲットを物色中という可能性もある。もしそうなら、不自然に見えないように、出来るだけ早くムーコを移動させる方が良い。

 ムーコの手を取ると、力を込めて前へ引っ張り、歩き始めた。ムーコは少し驚いたようだが、すぐにおどけて

「あれ〜っ?私の手を握りしめるなんて、桜井さん、どうしたんですか?」

なんて言う。でも、ここは緊急事態…かもしれない。ムーコの言葉には取り合わず、ムーコを引っ張ったままひたすら歩き続けた。


 黒いワンボックス車が視界から消えてから、ムーコに尋ねた。

「最近、何か変わった事は無い?誰かに後をつけられるとか?」

「後をつけられた事は無いと思うけど、変わった事ならある…かな?」

「えっ、何?」

「先輩に、私のものになって下さいって言ったこと位ですかね?」

変化球が返って来た。

 銭湯へ向かう道の前後には、人の姿も不審な車も見当たらない。少し安心したオレは、ムーコを引いていた手を離して、変化球を返した。

「ムーコが言った事の意味が良く分からないから訊くけど、逆にムーコに『オレのものになる?』って聞いたらどうする?」

「それは却下します。」

ムーコの言葉に合わせて言ってみただけで、自分で言った言葉の意味も良く分からない。それでも、速攻で拒否されて少しめげた。

 ムーコは続ける。

「あくまで、先輩が私のものになる必要があるんです。」

何故そうなる?いつもながら、ムーコは訳がわからん。わからないけど、聞いてみた。

「どうして、逆はダメなの?」

不思議な笑みを浮かべたムーコは、

「今は言えません。」

と言った。…肝心な事は、いつもはぐらかして答えてくれない。


 銭湯の入り口で男湯と女湯に分かれ、一人でお湯に浸かりながらアレコレ考えてみた。しかし、いくら考えても、ムーコが何を考えているのかサッパリ分からない。

 オレには「ムーコのものになって欲しい」と言うくせに、ムーコはオレのものにはならないと言う。結局、オレに対して恋愛感情を持っている訳では無いのだろう。そのくせ、さっきも吉川さんの話をしたら、露骨に嫌そうな顔をした。以前、高木さんの話をした時もそうだった。


 オレはムーコのことを考えるのをやめて、ゆったり湯に浸かる事にした。1日の疲れが溶けていくようだ。あの「リアライズエンジン」でも、このお風呂の気持ち良さは再現出来ないだろう。それなら、「睡眠学習装置(仮)」に取り込まれたオレの意識が、お風呂をイメージしたらどうなるのだろうか?仮に、「睡眠学習装置(仮)」で現実の入浴を体感できるとすれば、「リアライズエンジン」を超えた事になるのではないだろうか?


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