表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第5章 その先へ
138/186

5.10. 和解

 向かい側に座っていた玉置姉妹が去ると、並んで座るオレと里奈が取り残された。一時は顔色に出るほど怒っていた里奈も、玉置姉妹が去ると、嵐がさった後の湖面のように静かになった。

 チラッと横顔を見ると、ボーっとしている。里奈の顔をこんなに間近に見るのは久しぶりだ。あのAM世界の幼女の里奈も可愛かったが、ここにいる現実世界の里奈も…。

 このまま眺めていたい気もしたけど、オレには為すべきことがあった。こんな機会は二度と無いだろう。思わず隣にいる彼女の手を取ってしまい、そのことにオレ自身驚いて赤面しつつ言った。

芝海遊園(アクアリウム)では悪かった。ごめんな。あの頃のオレは、まだ里奈の記憶が戻りきっていなかったんだ。だから、里奈に『刺した』と言われて混乱してしまった。あの時本当は、里奈はオレを刺そうとしたんじゃなくて…。」

 すると、里奈の手がビクッとして、オレを振り返ると言った。

「いや、私が悪かったのよ。あの時、まだお兄ちゃんの記憶が戻りきっていないって判っていたのに、あんな冗談を言っちゃってさ。誤解されても当然だよね。それであの後、お兄ちゃんに声をかけづらくなって…。」

 俯く彼女にオレも言った。

「オレは、芝海遊園(アクアリウム)から帰って間も無く、記憶が戻ったんだ。それなのに、里奈には何も伝えられなかった。だから、悪いのはオレだ。」

 オレの手の甲に、何か温かい液体が落ちてきた。それは、里奈とオレの間にあった氷のようなわだかまりを溶かしていく。

 やがて、顔を上げた里奈は、赤い眼を擦りながら言った。

「分かったわ。お兄ちゃんが悪い。それなら、『あの時の約束』を守るって、改めて誓ってよ。」


 「あの時」か…。

 今のオレには、もちろん、「あの時」の記憶がある。


 とても暑かった夏休み目前のあの日、まだ慣れない祖父の家に帰ると、玄関に里奈の靴があった。

「里奈、もう帰っているの?」

…返事が無い。

 その頃、里奈はずっと元気が無かった。漠然とした不安がよぎる。オレは里奈を探し回ったが、どの部屋にもいない。

 その時、2階で何かが落ちたような音が聞こえた。里奈の部屋だ。さっきまで探していたのに見つからなかったのだが…。

 再び、里奈の部屋に入ったが、里奈は見当たらない。だけど、この部屋で探していなかったところがあった。もしかするとクローゼットの中…か?

 それで、クローゼットを開けてみると…里奈はそこにいた。だが、顔色が悪くぐったりしている。

 倒れそうになった彼女の左手を慌てて掴むと、ぬるっとしていた。…血まみれだ。

 オレは思わず叫んだ。

「どうした里奈。何があったんだ?」

「お兄ちゃん…。私はお母さんたちのところに行きたいの。」

 その言葉にギョッとしたオレの視界に、包丁を握った里奈の右手が入った。その手は、里奈自身の首筋に向かって動いた。

「やめろ!」

オレは、叫びながら包丁が里奈を傷つけるのを、何とか止めることはできた。

 だが、血でヌルヌルした包丁と里奈の右手は捕えられない。何度となく里奈の右手の動きを邪魔しているうちに、足が滑って倒れた。何か腹に違和感を感じて手を当てると、そこから血が出ていた。

 ある種の狂気から覚めたらしい里奈が、今度はオレに向かって叫んだ。

「お兄ちゃんしっかりして!お願いだから…。」

 だが、オレは自分のことよりも、血だらけの里奈に「お母さんたちのところに行きたい」って言われた方がショックだった。

「…頼むから、オレに『お母さんたちのところに行きたい』なんて言わないでくれよ。」

「それなら、お兄ちゃんはこれからもずっと私と一緒にいてくれる?」

「…分かった。約束するよ。」

 その後、オレはどうなったのか、実は良く分かっていない。アブラゼミの鳴き声がうるさく聞こえる中、何故か寒さを感じて…やがて意識を失ったらしい。

 オレが意識を取り戻した時、オレは腹に包帯を巻かれて、病院のベッドで寝ていた。


 あの時の「約束」は、今、オレの記憶の中にある。思い出すのも痛くて苦しい記憶だが、あれは間違いなくオレと里奈の「絆」だ。血こそ繋がっていないが、一緒に苦難を乗り越えてきた記憶。

 オレは里奈に答えた。

「もちろん。これからもオレはずっと里奈と一緒にいる。里奈がそれを望むならね。」

 里奈に言われたから答えただけなのに、当の里奈は顔を真っ赤にして顔を背けた。やがて振り返ると、オレの耳元で小声で言った。

「お兄ちゃん、声大きい。周りの人がみんなこっち見てるよ。」

 彼女の話を聞いて、オレは頭を抱えてうずくまった。

 里奈は小声で話を続けた。

「でも…ありがとう、お兄ちゃん。だけど…いや、だから、もうお兄ちゃんって呼ばない。私も名前で呼んでも良いかな?」

 急な話で焦った。でも、嫌では無いから、Noとは言えなかった。そこで、里奈を振り返って小さく頷くと、里奈は満面の笑みを浮かべて小声で言った。

「祥太……さん、これからもずっとよろしくお願いします。」

 結局「さん」付けにしたらしいが、それも良いかと思って応えた。

「こちらこそ、よろしくな。里奈。」


 ようやく、里奈との関係が正常になったような気がした。妹のようで妹ではなく、今は家族と呼べる存在でも、親戚ですらない。

 もしかすると…恋人? 確かに、オレと里奈がお互いに向ける感情には、きっとそういう部分はあるのかもしれない。

 でも少なくとも、現時点では違うような気がする。オレと里奈の関係を「恋人」というなら、それは「小学生レベル」…だろう。

 そのくせ、オレが考える「恋人」とは比較にならないほど、オレと里奈は強い絆で結ばれている。それなら夫婦か?…もちろん、それも違う。

 オレと里奈の関係を言葉で定義する必要は無い。あるがままで良いのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ