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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第5章 その先へ
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5.8. オレの研究テーマ

 オレが再びAM世界のオレの家に戻ってきた頃には、もう陽が‘落ちて、西の空がかすかに赤く輝いていた。AM世界でも現実世界と同じように昼夜があるから、夜に差し掛かった…そんな時間だ。

 小さい子供のいる家にこんな時間にお邪魔するのは、悪いとは思った。だけど、違う世界の存在ではあってもオレはオレだ。まあ許してもらえるだろう。

 

 ピンポーン


 ドアが開いて、AM世界のオレが出てきた。

「夕食は食べて帰るんだろう?」

「えっと、いつオレが現実世界に帰るのか、オレ自身わからないんだけど…。」

「大丈夫、予知夢で見たから。夕食を食べ終える頃に君が帰ることは、知ってるよ。」

 また予知夢か。この世界は予知夢だらけだ。一体どうなっているのだろうか?オレがこの世界の住人だった頃には、予知夢なんて見たことは無かったと思うのだが…。


 彼に招かれてダイニングルームに入ると、ムーコと里奈が待っていた。4人でテーブルを囲んで、夕食をいただく。

 味覚に関する情報をどこからか入手したのだろうか。かつてオレがこの世界にいた頃とは比較にならないほど、食事の味は良くなり、種類も豊富になったようだ。

 デザートのコーヒーゼリーをいただきながら、AM世界のオレやムーコと取り止めのない話をしていると、AM世界で意識を失ったままのムーコの姿を思い出した。この世界は、オレが彼と分離する前にいた世界からずっと続いているのだ。

 不意に、目の前のムーコと現実世界で意識を失っていたムーコの姿が重なったような気がした。もしかすると…AM世界でムーコが意識を失ったこと自体が、一種の予知夢だったのか? AM世界は、ある意味で夢の世界のようなものだし…。


 オレが自分の考えに浸りかけた時、足に何かが触れたのを感じて目を向けると、小さい里奈が抱っこをせがんでいた。彼女を抱き上げて膝に乗せると…暖かい…。

「若いパパ、カッコいい。」

と言ってニッコリ。

 オレが笑い返すと、

「里奈ね、さっき夢を見たの。」

と言うので、

「どんな夢?」

と尋ねると、

「若いパパと結婚したんだ。夢の中で。」

と言って、オレの膝の上に立って抱きついてきた。

 そんな里奈に流石に驚いたのか、AM世界のオレとムーコが立ち上がるのが見えた。


 ところがその直後、突然目の前の里奈、AM世界のオレ、それにムーコの姿が消えた。その替わりに、上泉梨奈の姿が目の前に現れた…と思った。白無垢の花嫁姿だ。彼女は…オレは現実世界に戻る直前に、白無垢の彼女と駆け落ちしようとしていたのだ。

 その彼女が、何故、ここにいるのか?

 それと、里奈を完全に思い出した今のオレにはわかる。梨奈と里奈はそっくりだ。いや、梨奈はオレのAM世界の中で里奈が投影された存在だったのだ。

 彼女は何かを告げているようだ。だけど、声は聞こえない…。


 やがて、眼を開くと同時にシェルが開き始めた。どうやら、現実世界に戻って来たらしい。

「どうだった?」

「AM世界に入れた?」

木田と高木さんが、次々に尋ねてきた。

 でも…何かおかしい。高木さんも木田も、どこか幼く見える。それに2人の距離が遠い…そんな気がした。そうだ、現実世界の2人はAM世界の2人よりも実質的に若い。それに、今の2人は、お互いに距離を測りかねてギクシャクしていたんだった。

 それでも、いつかきっと心の距離の問題を克服する。そして、AM世界で見た2人のようになるんだろうなあ。

 それに引き換えオレは…。AM世界のオレはムーコと結婚していたが、現実世界ではムーコは実質的に失われた。彼女はきっと、AM世界のオレだけの女性なのだろう。現実世界のオレは、何故か置き去りにされたような気がしていた。

 そんなオレに気を遣ってくれたのだろうか? 幼い里奈は、オレと結婚するなんて言ってくれた。だけど、里奈と入れ替わって現れた梨奈は、「上泉先生の世界」と共に消えてしまったのだ。

 「妹」だった里奈の記憶は取り戻せたが、今の里奈は妹ではない。離れて暮らしているし、血も繋がっていない。すなわち他人だ。それなのに、今のオレには「妹」の記憶と共に、「妹」に向けるべきではない女性としての彼女への愛情も心の中にある。


 そんなことが心に引っかかりながらも、オレはAM世界に入れたこと、そこでオレは答えを得てきたことを2人に話した。AM世界で見聞きしたことを、自分が考えたことのように実現したり、発表したりするのも気が引けるとも…。

 高木さんも木田も、AIじゃなくてオレのAMが導いた答えなら、オレの考えとしても良いと思うと言ってくれた。


 こうやってAM世界の知恵も借りて、量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータで汎用プログラムを開発する手法を見出したオレだったが…。結局のところ卒業研究は、深層ニューラルネットワークにおけるシナプスの重みづけに用いたAIの基礎プログラムを開発するところまでで、終わってしまった。

 博士前期課程に進んだ今なら、卒業研究なんてそんなものだとも思える。そして、「量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータで汎用プログラムを開発する手法の研究」は、引き続きオレの修論研究の課題となった。

 その目論見は、「量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータで動くAIでライブラリを作成する」というAM世界の知恵を超えた。ライブラリにとどまらず、OSを作ってしまおうという、さらに野心的なものになった。

 そのOSは、単に電子コンピュータ用のOSの焼き直しでは無い。高木さんや木田の研究成果も使ってAMに似た構造に最適化することを目指している。

 こんなものは、きっと2年では終わらないだろう。修論はその途中経過をまとめることになって、社会人になっても、その実現に「悪あがき」をしているに違いない。


 …もしかすると、オレの父もこんなふうに研究に取り憑かれていったのだろうか? だとすると、本当に、全ての研究成果を時宮准教授に譲ってやめてしまったのだろうか?

 実はどこかで、「悪あがき」をしていたのではないか? そんな考えが、ふと、頭をよぎった。


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