表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第5章 その先へ
133/186

5.5. AMと睡眠学習装置の秘密

 その言葉を最初はなんとなく聞き流したが、やがてじわじわと心が揺さぶられた。「量子コンピュータは奴隷では無い」とも言われたような気がしたからだ。

 オレは、動作原理によらず、コンピュータを奴隷と思ったことは無い。だけど、AM世界のオレの言葉通りなら、

「どんな情報処理も量子コンピュータ上で原理的には実行できるけど、実際に動いてくれるかどうかは、コンピュータを制御するAMの気分次第」

っていうことになる。

 現実世界のオレとしては、量子コンピュータはプログラミングした通りに動いてくれないと困る。だけど、オレがAM世界にいた頃に、外から指示されて奴隷のように働いたことは無い。そんなのは、絶対に嫌だ。

 「睡眠学習装置(改)」では、AMは奴隷ではなく自由な「意識」として存在しているし、そうあるべきだろう。そんなAMにコントロールされた量子アニーリング/イジング回路で汎用的な計算させるには、どうすれば良いのだろう?

 その「意識」に、何らかのインセンティブを与えれば良いのだろうか? でも、それができたとしても、プログラムで計算処理するのは違う。その状況、あえて言えばAMを雇用するようなものだろうけど…。


 1人で眼を閉じて考え込んでいたオレは、考えることに疲れて眼を開いた。すると、AM世界のオレは里奈を膝に乗せて、ムーコと何か話していた。いいなあ…。そうか、オレはこんな穏やかな世界に憧れていたんだ。

 しばらく考えることも止めてボーッとして3人の様子を眺めていると、ムーコがオレに言った。

「現実世界の祥太さんは、どんな生活を送られているんですか?」

「今は独り暮らしだよ。気ままだけど、少し寂しいかな。研究は楽しいけど、しんどいこともあるし。」

 里奈と遊んでいるAM世界のオレを横目に見ながら、ムーコは言った。

「なあんだ。『けど』ばっかりですね。現状に満足していないんだ。」

 満たされているように見えるムーコに、少し毒づきたくなった。

「だね。でも、そうなったのはムーコのせいでもあるんだぞ。」

「お話としては知ってますよ。祥太さんの『妹の里奈さん』のことですよね。私のイタズラで『妹』さんとしての記憶がなくなってしまったとか…。それはゴメンナサイ。」

 ムーコの謝罪は、どこまで本気なのか分からない。いや、それは以前からのこと。オレの記憶にあるムーコは、そんな奴だった。ただ、今のオレは、ムーコのイタズラの影響はすでに克服していた。

 そこで、オレはムーコに言った。

「それはもう良いんだ。そのあたりの記憶はもう戻ったし。」

「記憶が戻っても、また里奈さんにどう接して良いのか分からなくなっているんじゃないですか?」

 このムーコは、AM世界のオレの妻だから夫を通してなのか、オレのことを良く解っているらしい。でも、そこは今のオレの心にとって、痛いところだ。…だから答えられなかった。

 すると、ムーコは続けて言った。

「ご存知とは思いますが、現実世界でも私は祥太さんが好きだったんですよ。そして、きっと里奈さんも…。夫は、『現実世界で里奈がオレと距離を置いているのは、今はそれが必要だからだ』って言ってました。」


 いくらAM世界のオレがオレよりも大人だからって、そんなことが分かるはずが無い。そう思って、AM世界のオレに視線を移した。

 すると、彼は唐突に言った。

「君は予知夢を見ていないのかい? それとも、記憶からこぼれ落ちた過去を、夢に見たりはしていないのか? オレは、君が里奈さんとのことを夢で見たんじゃ無いか?って思ってたけど。」

 そう言えば、里奈がオレを刺した時の様子を夢に見た。あの時には、まだ里奈に刺された時の記憶は失われていたハズだったのに。

 AM世界のオレは続けた。

「フォンノイマンによると、人間の記憶には、量子力学的な効果を持つ仕組みが関わっているそうだ。それは直接的には人間の記憶に関与していないかもしれない。だけど、時間の異なる『オレ』の記憶が、時間を超えてエンタングルメントされた『仕組み』に影響を与えるかも、ってね。」

 オレは応えた。

「それが正しいなら、覚醒していない時に、その影響を受けやすくなるだろう…。って、それが貴方の言った予知夢、あるいは記憶からこぼれ落ちた過去の幻、ってことなのか?」

「AIのフォンノイマンは、そう言ってた。」

 オレは、さらにAMのオレの真意を汲み取ろうとした。

「すると…それが可能な量子回路上のAMは人間の意識と同等だけど、電子回路上のAIは原理的に同等にはならない…ということ? だから、フォンノイマンのAIを量子回路上から切り離して作ったのか?」

「その通り。」

AMのオレは笑顔で答えた。


 そして続けた。

「だけど、今オレが君に伝えたいのは、そこじゃ無いんだよね。」

「それじゃあ、何なんだ?」

「現実世界の時宮准教授(あのおっさん)は、全てを君たちに話しているわけじゃ無いって、オレは思っている。」

 彼は一体何を言っているんだろう? AMのオレの真意が分かったと思った途端、それは遥か遠くにあると感じた。

 困った顔のオレを見て、彼は言った。

「多分、時宮准教授(おっさん)が『睡眠学習装置(仮)』を作った真の最終目的は、AMを創ることじゃない。そのAMに、予知夢を見せられるような量子回路を作ることかなって。」

「何故そう思ったんだ?」

「『睡眠学習装置(仮)』や『睡眠学習装置(改)』の量子回路は、エラー訂正機能が極端に弱い。むしろ、エラーが発生しても、それが訂正されないようになっているみたいだ。」

 そういえば、三木さんも「睡眠学習装置」には予測修正機能が組み込まれていないと言っていた。まるでエラー発生を期待しているような量子回路だとも…。

 もしかすると…

「だから、AMである貴方は予知夢を見ていると?」

「そうだ。君だってAMの時に予知夢を見たハズだし、きっと現実世界に戻った後だって…。いや、それは気がついていないだけかもしれないけど。」

オレも予知夢を見たって?

 カウンターを受けたような衝撃を覚えたが、それが心の奥底に届く前に、AMのオレは話題を戻した。

「その代わり、この量子回路は汎用的な計算を正しく実行するのには向いていない。」

 彼が示した結論は、予知夢の話とは別な意味で、ショッキングだった。オレは心の中で叫んだつもりだったが、口から声が漏れてしまった。

「すると、オレの卒論の課題は…。」

「残念ながらカモフラージュだな、多分。」

 後から考えると、この重大な議論の中で、「卒論」はどうでも良いことだったように思える。だけど、その時のオレは自分で自分を追い込んでしまって、良い卒論を仕上げることが最優先だと思ってしまっていたらしい。

 そんなオレを見て、AMのオレがため息混じりに言った。

「それでも、方法が無い訳では無い。オレ自身、卒論を提出した後に思いついた方法だけど…。」


 少し議論が白熱してAM世界のオレにかまってもらえなくなった里奈は、つまらなくなったのか、彼の膝の上から降りてムーコの方へ歩いて行った。それを目で見送った彼は、かなりがっかりしたように見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ