5.4. 汎用的なプログラミング(その1)
こうして、AM世界のオレからこの世界の現状についての説明が終わると、いよいよ本題に入った。
AM世界のオレがこう切り出したのだ。
「えっと、君が現実世界からこの世界に来た目的は何だったっけ?」
そう言えば、オレはそんな大事なことを、AM世界のオレに説明して無かったんだった。
それで、オレは
「量子アニーリング/イジング回路で構成された量子コンピュータで汎用的な計算をする手法を卒業研究にしているんだけど、どうやったら良いのか悩んでいるんだ。AM世界にいた頃のオレは自然にできていたのに、今は便宜的な方法しか思いつかない。もっと良い方法があると思って…。今もAM世界を展開している貴方なら、きっと解るだろうから、教わりたい。」
と言って、頭を下げた。
だけど、AM世界のオレは少し表情を曇らせた。
「それは困ったなあ…。」
「どうしてですか? こんなにAM世界を良くしておいて。ムーコのデータだって、上手く取り込んだんでしょう? AM世界はある意味、量子アニーリング/イジング回路で構成された量子コンピュータのプログラムなんだから、プログラミングのコツをちょっと教えてくれれば良いんですが。」
すると、AM世界のオレは頭を掻きながら逆質問してきた。
「そうは言うけどさ、この世界の基本は、オレと君が分離する前に創ったよな。 …そうだな…。オレたちが分離する前から、ムーコはこの世界にいただろう? 君は、ムーコをどうやって創ったのか覚えている?」
オレはムーコをチラッと見た。オレの視線に気づいたムーコが視線を返して来たが、オレの方からプイッと外した。
彼女の夫であるAM世界のオレの前と言うこともある。ムーコは元々魅力的な女性だ。里奈を産んで母親になったムーコの魅力は、さらに増したような気がする。そんなムーコと見詰め合うのは、気恥ずかしくなる。
このムーコを創ったのは、このオレでもあると言える。だけど、ムーコをどうやって創ったのか? その質問が、ブーメランで返って来ると困る。そもそも、オレはムーコを創った記憶は無い。
あの真っ暗で何も無い世界で、眼をまばたきしたらAM世界ができていた。そのAM世界で、気晴らしに行ったプールで泳いでいたら、ムーコにぶつかった。…それがこのAM世界でのムーコとの馴れ初めだ。ムーコはこの世界にいつ現れたのだろうか?
そこで、オレはムーコに話を振った。
「オレはAMだったこともある。この世界は、AMだった頃のオレが創った…ハズなんだけど…オレはムーコを創った記憶が無い。気がついたらビキニが脱げて泣いてたムーコに出会ったわけだけど、ムーコはいつAM世界に現れたの?」
すると、ムーコは少し照れて、
「分かりません。気がついた時には、ビキニを着てプールに飛び込んでました。すると、すぐに先輩にぶつかって、下の方が脱げてしまって…。」
と答えた。
…顔は少し赤くなった。だけど、「オレの妻」になったムーコは、オレが知っている彼女よりはるかに冷静だ。
ゴホン。
少し顔を赤くしたAM世界のオレが話を変えた。
「だから、オレもAM世界のプログラミングが分かっている訳じゃ無いんだ。ただ、AM世界すなわち量子コンピュータにデータを追加していくと、この世界が変わって行く。そうやって、『のっぺらぼう』に顔を与えて、本や文字情報を読めるようにしたんだ。」
それを聞いて、オレは落胆した。
「言われてみれば…。ってことは、貴方にも量子アニーリング/イジング回路で構成された量子コンピュータのプログラミングの方法は、分からないのか…。」
すると、AM世界のオレの膝の上にいた里奈が、
「若いパパが元気無いよ。パパ?」
と、彼の顔を見上げた。AM世界のオレは、彼女の頭を撫でながら言った。
「大丈夫。パパも少し勉強したから、ヒントなら教えてあげられるさ。」
「良かった。」
彼女はそう言って、オレをじっと見た。
すると、AM世界のオレも、オレに向き直って言った。
「まず、考えてほしい。どうしてオレが、AM世界で情報を処理できるのかを。」
そう言われて考えてみたが、
「それは、多分だけど、インターフェースを介して電子コンピュータで処理しているんじゃ?」
としか思いつかず、そう言ってみた。
AM世界のオレは、首を振って答えた。
「オレも最初はそう思っていたけど、こちらの世界の高木さんは、だいたい量子アニーリング/イジング回路で処理していると言ってた。」
それは意外だ。納得のいかないオレは、即座に尋ねた。
「どうやって?」
「それは、オレがそうしたいと思うからだってさ。」
「貴方がやりたいと思えば、『睡眠学習装置(改)』の量子アニーリング/イジング回路で自由に演算処理ができるっていうこと?」
「そうらしいよ。でも、特にプログラムを書く必要は無い。フォンノイマンは、オレの希望が叶う方向で量子状態のエネルギーレベルが低下するから、量子コンピュータで計算されるんじゃないかって言ってた。」
「フォンノイマン」。その名前を聞いて、オレは背筋が寒くなった。あの「フォンノイマン博士の世界」を、裏で牛耳っていた「ヨハン君」…子供の姿をした悪魔。彼に監禁された時の恐ろしさは忘れられない。AMのオレだってそうだろう?
そこでオレは、少し声を荒げて言った。
「『フォンノイマン』だって? フォンノイマンのAIは危険だから、もう創らないことにしたと思ってたけど?」
それに対して、AMのオレは涼しい顔で応えた。
「君と分離した後、時宮准教授や高木さん、それに木田とも話し合ったんだ。それで結論したのは、『量子コンピュータ上でAIを創らないこと』だった。」
彼の言葉は、オレへの回答になっていない…と思った。だから、さらに尋ねた。
「何故?」
しかし、AMのオレはあくまで冷静だった。
「量子コンピュータ上でAIを創ったから、AIが意識を持ってしまったんじゃないか?って皆で推測したのさ。特に、フォンノイマンみたいに危険なほど賢い知性が意識を持ってしまうと、手がつけられなくなる。だから、彼のAIは電子コンピュータ上に創って、インターフェースシステムを介してやりとりしている。彼のAIがこのシステムに干渉することは、不可能になっているんだ。」
電子コンピュータ上ってことは、フォンノイマンのAIは量子回路に接続されたコンピュータで動作しているのか…。でも、今はそこじゃない。オレは直球で尋ねた。
「フォンノイマンのことは一先ずおいておこう。結局、量子コンピュータ上にAMを創ってそのAMが希望すれば、汎用的な情報処理ができるってこと?」
すると、AMのオレは、
「まあ、そうだ。」
と答えた。
どうやら、オレがずっと悩み続けた問題は解決したらしい。気が楽になったオレは、何気なく言った。
「っていうことは、そのAMが希望しなければ計算はできない?」
すると、AM世界のオレは躊躇いがちに言った。
「オレもそうだけど、AMは奴隷じゃ無いからね。」




