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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第1章 プロローグ
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1.13. 赤煉瓦亭

 「睡眠学習装置(仮)」の被験者実験も、3回目にもなると大分慣れて来た。2回目から一週間後の、10月8日午後10時から開始された。集まった顔ぶれは前回と同様に、時宮准教授と高木さん、校医の二階堂先生、木田とムーコ、そして被験者のオレだ。

 ただし、空気が…微妙に重い。オレとムーコは互いの距離を測りかねているし、木田と高木さんは小学生カップルの様にギクシャクしている。

 あのダブルデート以来、オレはムーコの顔を初めて見た。ここ最近は()()()()()()で顔を合わせない事もあるが、ムーコの問いかけに何て答えたら良いのか思い付かず、声をかけられない。ムーコもオレと同じ様な心理的な状態なのか、あるいは何か考えがあるのか、何も言ってこない。

 一方、木田と高木さんは、何となく相思相愛っぽく見えるが、お互いに顔を合わせると赤くなる。ムーコの作戦は成功したようだが、実を結ぶにはもう少し時間がかかりそうだ。

 オレと里奈の誤解は解消したが、事情を知った里奈はムーコを警戒しているようで、実験には来なかった。


 そんな中、時宮准教授が前回の実験結果を説明した。

「まず、最も重要な睡眠学習装置(仮)の学習状況だが、前回の実験時のポズナー分子のリン原子スピン分布の測定結果と睡眠学習装置(仮)の推定結果は、約70%一致した。これは、シナプス反応の測定結果と推定結果の一致性とほぼ同程度だった。これが何を意味するかわかるかな?桜井君」

いきなりの質問だが、要は何を最適にしようとしているかと言う問題だから、

「睡眠学習装置(仮)が設計通り、オレのリン原子スピン分布とシナプス反応の両方に矛盾しない様に、量子状態を構築中と言う事ですよね。恐らく、もっと正確に推定出来るように、さらに学習させる必要があると推測しますが。」

と答えると、

「エクセレント!」

と褒められた。

 時宮准教授は、刺激反応調査についても言及した。

「刺激反応調査も、予想以上に面白い結果が得られたよ。実は、人体への刺激に対して脳のどの位置が反応するのかは、実験する前から大体分かっている。だから、せいぜい高木さんの卒論用のデータと思っていた。だけど、やってみたら、脳の反応位置と量子回路の変化した場所の関係が分かったんだ。なので、これも続けて行く事にする。」

 この一言が、後にオレを救ってくれる事になるなんて、思いもしなかった。当時のオレは、また酷い目に遭わされるのか、戦々恐々としていた。


 しかし、この日の刺激反応調査に恐れる必要は無かった。

 今回与えられた刺激は、音楽鑑賞だった。曲はポップス、ジャズ、それにクラッシックだった。ポップスは、いつもオンラインで聞き流しているような曲が選曲されていて、今さら刺激を感じる事は無かった。ジャズは普段は聞かないが、心地良く感じて、聞いている内に寝てしまいそうになった。クラッシックの曲は滅多に聞かないが、この曲は荘厳で心に何かを突きつけられてくる。背筋がゾクゾクして来て、これが感動するという事だったのかと、音楽の力を思い知らされた。

 調査後に高木さんに、オレが聞いた音楽の曲名を訊くと、時宮准教授の選曲だったからわからないと言う。そこで、時宮准教授本人にクラッシックの曲名を尋ねると、逆質問された。

「あの曲を聴いて、桜井君はどう感じた?」

「荘厳だけど、どこからかすすり泣きが聞こえて来そうで、背筋がゾクゾクして来ました。」

「そうか。桜井君は、なかなか良い感性を持ってるね。」

時宮准教授はそう言うと、携帯端末に何処かで見た事がある肖像画を表示して、オレに見せた。

「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのレクイエム。モーツァルトの最後の曲。レクイエムというのは、カトリック教会のお葬式で演じる曲の事さ。あのアインシュタインは、死んだらこの曲が聴けなくなると嘆いていたそうだ。」

 モーツァルトの最後の曲か。凄まじい曲だ。この曲とアインシュタインの逸話は、オレの心に深く刻み付けられた。


 刺激反応調査が終わると、前回同様、「睡眠学習装置(仮)」の学習実験が開始された。手順は、これまでと同じ流れだ。二階堂先生から受け取った睡眠導入剤を飲み、シェル内のベッドに横になると、高木さんが機器の最終チェックをしている間に眠くなって来た。オレはあと何回この実験に参加すれば良いのだろうか?それに、「睡眠学習装置(仮)」にオレの意識がコピーされたか否か、知る方法はあるのだろうか?こんな事を考えながら意識を失った。


 翌日の夕方、オレと里奈はフレンチレストラン「赤煉瓦亭(あかれんがてい)」に来ていた。もちろん、オレ達にはそんな経済的余裕は無い。叔母である倉橋香との、久しぶりの夕食会。つまり、叔母のおごりだ。このレストランは叔母のお気に入りなのか、夕食会はいつもここだ。とは言え、夕食会は半年に1回位なので、ここに来たのはまだ7回目位だろうか?

 ここの料理は、どれも美味しい。フォワグラのキャビア添えやら、ロブスターのビスクやら、オレンジの香りがする鴨肉のコンフィなどなど、美味のフルコースに舌鼓を打った。いずれ、刺激反応調査の際に、この店の料理で味覚刺激を与えてもらえないだろうか?時宮准教授に提案してみようと思った。たまには、それ位の役得も必要だろう。


 三人で食後のコーヒーを頂きながら、まったり時間を過ごす。こんな時、叔母さんはよくオレ達の母や祖父の話をしてくれるが、今回は父と母の馴れ初めの話をしてくれた。

 父の桜井俊(さくらいさとし)は、当時黎明期にあった量子コンピュータのプログラミングを得意とする、プログラマーだったそうだ。元々はどこかの大学の情報処理センターで働いていたが、ある会社の業務拡大に伴って、そこへ転職して来たのだそうだ。そこでデザイナーとして働いていた倉橋綾(くらはしあや)が、いろいろサポートする事になり、行動を共にする内に愛が育まれたのだそうだ。どこか、オレとムーコの関係に似ている様な気がするが、プログラムが得意なオレとデザインが好きな里奈とも重なる。オレと里奈のそれぞれの親なのだから、当然かも知れない。

 叔母はその後、里奈に進路について尋ねた。そう言えば、オレも高校2〜3年生の頃に良く聞かれた。進路について、里奈は少し考えると、

「美術系の勉強をしてみたいとは思うけど、家から通える所が無いので、まだ悩んでいます。」

と答えた。確かに、家から近い美術系の大学は、オレにも思いつかない。

 すると叔母が、

「うちからだと、西玉(にしたま)美術大学(びじゅつだいがく)なら通えると思うわ。そうだわ、私の家から通うのも有りだと思うけど、どうかしら?」

と提案して来た。オレは事態の展開に驚いたが、里奈の将来を考えると悪くない話だと思った。

 里奈はしばらく考えていた様だったが、

「しばらく考えてみます。」

と、結論を先送りした。


 叔母とは赤煉瓦亭の前で別れ、家への帰り道で里奈に尋ねた。

「里奈は、西玉美術大学に行きたいの?」

「確かに、あそこに通えれば、私のやってみたい事が出来そうな気がするの。でも…。」

と言って、オレを見た。オレは里奈の視線を外して、言った。

「オレの事なら気にするな。一度しかない人生だから、里奈のやりたい事を選んで欲しい。応援してるから。」

 里奈はうなずいたが、

「まだ時間はあるわ。考えてみる。」

と応えた。


 秋の夜、満月が眩しく輝き、夜道を照らしてくれる。オレ達の未来も、そんな明るいものになって欲しい。きっと、オレ達の両親もそう想っているはずだ。オレとしては珍しく、センチメンタルな気分になっていた。あのレクイエムを聴いた余韻だろうか。


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