4.30. カート
突然、携帯端末から呼び出し音が鳴って、意識が引き戻された。誰からだろう? 発信者を確認すると里奈だった。受信すると、大きな声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、由宇ちゃんとのデート、すっぽかすつもり?」
確かに、一昨日、頭脳工房創界近くの「フレッチャー」でそんな話があった。でも、「週末」ということ以外、具体的な話は何も決まってなかったハズなのだが…。
だから、
「えっ、何のこと?オレは聞いてないよ。」
と応じた。
すると、スピーカーの向こうから、女の子たちがゴニョゴニョ言っているのが聞こえてくる。
「お姉ちゃん、桜井さんにちゃんと連絡したんだよね?」
…これは、多分、玉置由佳だろう。
「えっとね、結局、メッセージもメールも送れてないんだ。」
…これは、玉置由宇か?
「もういいわ。決めてたことにして、押し通す。」
…これは里奈だ。ったく、里奈はいつもオレには強気だ。
どうでも良いけど、どうせ来いって言われるんだ。それなら、里奈にストレートに尋ねるだけだ。
「んで、いつ、どこに行けばいいんだ?」
すると、また、女の子たちの声が聞こえてきた。
「考えて無いよ。どうしよう?」
…考えて無かったのかよ…。
それでも、通話口の向こうで、彼女たちの会話は続く。
「ショッピングとか映画は?」
「今、面白そうな映画はやってないし、私はショッピングなら女の子同士の方が楽しい。…デートなら水族館かな? 芝海遊園とかね。」
「じゃあ、それで決まり!1時間後に、芝海遊園で集合ね。」
で、電話が切れた。オレには何の決定権も拒否権も無いのか…。大体、女の子3人と出かけて、どこがデートなのやら。
見た目は、ハーレムかもしれないけど、実態は女の子3人のうち2人は監視役…。しかも、1人は「妹」。これでは、オレは女の子3人組の「財布」ではないか、貧乏学生のくせに。奨学金の今月分の振り込みまで、あと10日。それまでは、粗食に耐えるしかないか…。
…そして1時間後。オレは女の子3人に囲まれていた。3人とも、頭脳工房創界で会った時とは違って、ボーイッシュな眼鏡っ娘では無かった。
玉置由佳はノースリーブで少しフリルの入った白いワンピース。玉置由宇は薄いピンクのブラウスに、薄紫のロングスカート。里奈は白のカットソーに緑のチェックのスカート。誰も眼鏡をかけてない。「ボーイッシュな眼鏡っ娘」というのは、西玉美術大学での玉置由宇のキャラだったんだろうか?
最初に口を開いたのは玉置由宇。今日の「デートの相手」だ。彼女は、やや上気したように頬を赤くすると、両手を前に丁寧にお辞儀した。
「桜井さん、今日は来ていただいてありがとうございます。妹が無理を言ってしまったみたいで、申し訳ありませんでした。」
丁寧なんだけど、本音が読めない。まあ、この「デート」だか何だか分からない状況で、お目付け役が2人もいるのだ。「堅い」言い方になるのは当然だろう。
気を取り直したオレも、「堅く」応えた。本音では無く、セオリー通りに…。
「いいですって、オレも暇だったし。楽しみにしてましたよ。」
もちろん「嘘」である。暇じゃ無かったし、楽しみも何も、本当に「デート」するっていうのも1時間前に知ったばかりだし…。
玉置由佳は、そんなオレを見ながら、笑顔で挨拶してきた。
「こんにちは。お兄ちゃん。」
里奈は、不満げに頬を膨らませて言った。
「こんにちは。お兄ちゃん。」
2人の「妹」は同じ言葉を発しているのに、伝わってくる気持ちが全く違う。
3人とも可愛いので、目の保養代と観念して、4人分のチケットをオレが買った。入場すると、最初は、自動運転で水族館をざっと巡る2人乗りのカートが待ち構えていた。
だけど、カートといってもゆっくりのんびり走ってくれるような代物では無い。時に急加速したりARを活用してアドレナリンを吹き出させるような、手に汗を握る体感型のアトラクションだ…と、ここにくる途中に携帯端末で予習していた。
これは無料だけど、乗らなくても良い。特にリピーターには、これに乗らず、最初からゆっくりと水族館を歩いていく人が多いのだそうだ。さて、どうしよう?
だけど、オレが考える時間は与えられなかった。
「ちょっ、待って。」
里奈の声が聞こえたので振り返ると、玉置由佳にカート乗り場まで引っ張られて、1台のカートに乗せられるところだった。
「里奈?」
玉置由佳が動き出したカートからオレと玉置由宇に向かって
「お姉ちゃんとお兄ちゃんも、仲良く付いて来てね。」
と叫ぶと、2人の乗ったカートは、晴天の中にぽっかり空いた穴のような暗いトンネルに吸い込まれて行った。
呆気に取られたオレだったけど、一緒に取り残された玉置由宇をチラッと横目に見ると、彼女も固まっていた。どうしたものか…。
でも、今日は一応、オレと彼女の「デート」ということになっている。彼女本人がどう思っているのか、よくわからないけど。
だから、頑張って彼女に声をかけてみた。
「玉置さん、オレたちも乗ろうか?」
でも、やっぱりオレはコミュ障みたいだ。…発した声が微妙に震えている。
彼女は頷いたが、そのまま俯いたまま動かない。えっと、オレがエスコートするのを待っているのだろうか? 手を差し出すと、彼女の手がオレの掌の上に載ってきた…暖かい。カート乗り場までのわずかな距離を歩く間に、手がしっとりしてきた。
2人でカートに乗って安全バーを押し下げると、カートが動き出して、暗いトンネルへ入っていった。
トンネルの出口は海に面した崖の上に続いていて、そこから急加速しながら海に落ちて行く。玉置由宇の絶叫が聞こえる中、激しい水飛沫とともに、カートは海中に沈んだ。
だが、水はカート内に入ってくる気配も無いし、静かだ。気がつくと、どうやらカートは水族館の水槽の中を移動しているようだ。遠くに、魚たちを鑑賞している人々の姿が、うっすら見える。そして、すぐ近くには銀色に輝く魚の群れ。上方にはライトが輝き、ウミガメの影が見えた。
そこに、今度はサメが近づいてきた。…どうなるのかと思っていると、すぐ側をすり抜けていった。水族館の水槽には、魚や鮫がいるのは当たり前なのだが、カートの窓に映る情景はリアル? それともバーチャル?
ARの画像や、カートから伝わってくる振動と加速度がうまく統合されていて、区別がつかない。




