4.27. ストレージ
また「ストレージ」…過去の記憶の塊…か。『フォンノイマンのレクイエム』の鍵はそこにあるのか?そう思ったオレは、そのストレージについて尋ねた。
「そこにはどんな情報が入っていたんですか?」
すると、時宮准教授が答えた。
「さっき、高木さんが言ってた『ヒトの思考と量子アニーリングによる計算結果の類似性についての考察』などの師匠の未公開論文、フォンノイマンのAIの作り方と必要なデータ、それに師匠からの手紙だ。」
父の手紙には、何が書いてあったのだろう?それを尋ねると、
「『フォンノイマンのレクイエム』は各国や企業のスパイが狙っている機密事項だから、それを口にしてはいけないとか、ストレージに入っている論文は機密だから、当面公開しないようにとか。あと、フォンノイマンのAIが、勝手にどこかと通信していたから停止して消去したと書かれていた。」
と応じた。
それじゃあ、父と祖父、それにKAONソフトはどうなったのだろうか?…それは高木さんが時宮准教授に尋ねた。
すると、時宮准教授は答えた。
「その時の私は、何も知らなかった。だけど、後から聞いた話をまとめると、KAONソフトの経営に口を挟んできた取引銀行の重役が実は頭脳工房創界の筆頭株主だったようだ。そして、KAONソフトを頭脳工房創界に取り込んでしまうと、その社長に納まった。…それが先代の頭脳工房創界社長、北山亨だ。」
「北山」社長か。確か、今の頭脳工房創界の社長も苗字は北山だが、女性だったはずだ。先代社長の妻か娘なのだろうか? それと、やり口が平山龍生の「ICP乗っ取り」と良く似ている。
頭脳工房創界とレゾナンスは、最近でもリアライズエンジンを共同で開発していた。つまり、平山龍生と北山社長には、何か繋がりがあるのだろうか?
それにしても、父はどうやって「フォンノイマンのレクイエム」が各国や企業のスパイが狙っている機密事項だと知ったのだろうか?
しかし、それを時宮准教授に尋ねても、クビを振るばかりだった。時宮准教授はオレの質問に答えない代わりに、話を続けた。
「私には、実のところ『フォンノイマンのレクイエム』が本当に機密事項かどうかは判らない。だけど、フォンノイマンが亡くなった時、彼自身が機密情報の塊だったということは知っている。それに、神か悪魔のようなモノを生み出し続けたフォンノイマンだ。その彼が最期に成し遂げようとしたことが、とんでも無いものだというのは、誰にでも想像がつく。」
そんな時宮准教授に、高木さんが笑顔で言った。
「でも、時宮先生はそれを成し遂げたのでしょう?」
しかし、時宮准教授はクビを横に振った。
「少し違うと思う。高木さんにも手伝ってもらって私がやったこと。それは多分、EDVACを開発した時にエッカートとモークリーがやったことに近いと思う。モノはできたけど、我々は理論化とか体系化ができていない。だから例えば、動作原理の違う量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータで新しい『睡眠学習装置』が作れる…とは言いきれないんだ。今のところはね。」
高木さんはやや驚いて、さらに尋ねた。
「それでは、どうすれば良いんですか?」
「それが、君たちの研究さ。もちろん、ウチの研究室のみんなの研究は『フォンノイマンのレクイエム』を実現する枝葉になる。だけど、特に重要なのは人工頭脳の全体構造を可視化する高木さんの研究と、量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータで汎用的な処理をするプログラミングが可能であることを証明する桜井君の研究だと思っている。」
だとすれば、
「高木さんとオレの研究ができても、まだ体系化はその先ですね?」
と思って尋ねた。
すると時宮准教授は頷いて、
「だから、『フォンノイマンのレクイエム』はまだ完成していないんだよ。このままでは『時宮のレクイエム』になってしまいそうだ。少しでも『フォンノイマンのレクイエム』が早く完成できるように、手は打っているのだがね。」
と、ため息をついた。
目を閉じて考えこんだ高木さんが、口を開いた。
「その一つが、思宮先生との共同研究ということですか?」
「その通り。そのために高木さんには博士後期課程を思宮先生の元で過ごしてもらって、ヒトの思考方法を可視化して、出来れば構造を数学的に表現して欲しいと思っているんだ。」
その「ヒトの思考」っていうのは結局…と思ったのだが、一応尋ねてみたが、
「ってことは、引き続き研究対象は、オレってことですか?」
「その通り。だから、桜井君の了承が必要だ。」
との回答だった。
そして、オレが逃げられなくなるような言葉の楔を打って来た。
「でも、桜井君自身の治療でもあるし、そもそも君だって興味があるだろう?『フォンノイマンのレクイエム』の実現にさ?」
それに対して、オレは
「…残念ながら、おっしゃる通りです。オレは了解ですが、AMのオレにも伝えておきましょう。」
と回答せざるを得ない。だって、その通りだし…。
「それに…」
と、時宮准教授は続けた。
「桜井君の意識が戻らなかったあの時、『睡眠学習装置(仮)』から『睡眠学習装置(改)』への改造に、頭脳工房創界が突然出資してくれた…ということもある。それも、どういう訳か、桜井君の妹さんが君の意識を戻す方法について相談しに来る直前にね。まるで、桜井君を助けて、君のお祖父さんやお父さんへの迷惑料を払うかのように…。だから、『睡眠学習装置(改)』を間に合わせることができた…いや、高木さんや三木君、木田君たちも不眠不休で頑張ってくれたんだけどね。」
それは、オレも今まで謎だと思っていたことだった。どうして金欠気味と聞いていた時宮研究室で、緊急とは言え改造ができたのかと。頭脳工房創界はオレを助けてくれようとしたのだろうか?それは、彼らの贖罪のためなのか…? オレとしては複雑な気分だ。
しばらく静かになった時宮准教授とオレの様子を見て、高木さんが時宮准教授に質問した。
「それで、私と桜井君をここに呼ばれたのは何故でしたっけ?」
「あっ、そうそう。少し脱線してしまったね。…いや、脱線でもないか。今までの話でわかってもらえたと思うけど、桜井君が『フォンノイマンのレクイエム』に関わっているのは宿命だ。それに、高木さんはこのプロジェクトの中心人物だし、今後思宮研究室との橋渡しをしてもらうためにも、裏事情も理解しておいて欲しかったんだ。」
少し気持ちを整理したくなったオレは、
「話はこれで終わりですか?」
と尋ねたのだが、時宮准教授はクビを横に振って話を続けた。
「君たちへの話は2つあって、1つはこれまでの状況の説明だ。これは大体終わった。そして、もう1つはこれからのことだ。」
オレが知っている「これからのこと」は、オレ自身が博士前期過程を時宮研で過ごしたいと思っていることと、高木さんが湊医科大学の博士後期課程に進学して思宮研で過ごして時宮研と共同研究することくらいか。あとは、個人的に木田と豊島が博士前期過程に進学しようと考えていると聞いているけど…?




