4.26. フォンノイマンのレクイエム
しばらくボーッとしていたオレが、再び2人の話に入れたのは、時宮准教授がオレに話を振ったからだ。
「…まさかAMになった桜井君が、本質的に師匠と同じことを思いつくとはね。カエルの子はカエルってさ。」
ボーッとしていたオレは、カエルの子はオタマジャクシだろう?って一瞬思ったが…そこじゃない。くだらない考えは脇に置いて、何の話なのか聞き返した。
「えっ、何のことですか?」
「君のAMからのレポートで知ってるよ。AMの桜井君がフォンノイマンの知恵を借りようとして、彼に類似した知識、考え方のAIを作ったって。」
時宮准教授の言葉を聞いて、あの時のことを思い出して背筋が寒くなるのを感じつつ、言った。
「オレのAMは、逆にフォンノイマンのAIに世界を乗っ取られそうになって散々な目にあったって、レポートに書いてませんでしたか?」
でも、時宮准教授にはあの時のオレの緊迫感は伝わっていないだろう。
「そうだったね。でも師匠はもっと時間をかけて慎重に作ったから、フォンノイマンのAIを長期間コントロールできていたのだと思う。もっとも、フォンノイマンのAIを動作させた量子コンピュータの能力が、『睡眠学習装置(仮)』よりもずっと低かったのもあるけど。」
なんて、のんきなことを言ってる。
すると、高木さんが時宮准教授に尋ねた。
「どうして、先生の師匠はフォンノイマンのAIを作られたんでしょうか? 他の人…例えば、フォンノイマンとほとんど同時期にプログラム内蔵型コンピュータACEを設計したチューリングのAIでも良かったんじゃないでしょうか?」
それを聞いた時宮准教授は少しニヤッと笑うと、昔を思い出すようにつぶやいた。
「最初の頃は、安物の量子コンピュータと高校生のバイトの助手1人という状況を前にして、さすがの師匠もめげたらしいんだよね。それで、業務時間中なのに古い文献を読み漁っていた。今にして思えば、酒も入っていたかもしれない。」
業務時間中に酒とは、我が父のこととは言えヤバくないか?とオレが思っているのも関係なく、時宮准教授の呟きは続く。
「そのうち、師匠は私にコンピュータ黎明期を主導した巨人たちの伝記を読めって、私に言ってきた。それで、フォンノイマン、チューリングとかを読んだが…当時の私はチューリングこそ本物の天才だと思ったんだ。だってね、高校生にとって、原爆を作ったフォンノイマンよりエニグマ暗号を解いたチューリングの方が格好良さそうだろう? 映画の主役なら、間違いなくこっちだ。」
オレは呆れた。だけど、高木さんはもっと呆れていたようで、突き放したように言った。
「男の子って単純ですね…。」
その「男の子」には、彼氏の木田も含まれているんだろうなあ。少し同情したが、木田の言動が頭をよぎると、オレも心の奥で高木さんに同意した。オレも男なんだけど…。
時宮准教授は、高木さんの少し軽蔑したような眼差しにもめげずに続けた。
「でも、師匠はフォンノイマン推しだった。それで、侃侃諤諤…議論している時は、師匠も弟子も年齢や立場も関係無かった。いや、そうするのが師匠の流儀だったのさ。この『崇高な議論』の中で、そのうち、師匠はフォンノイマンのAIを作ってチューリングより賢いことを証明させてみようって言い始めたんだ。」
さっきから聞いていれば、この師弟はポンコツで、KAONソフトにとって無駄メシ喰らいではなかったか? それにフォンノイマンのAIを作ったって、その賢さを証明できる訳では無いだろう?
それで尋ねてみた。
「それで、どうやってフォンノイマンのAIに、フォンノイマンの賢さを証明させるつもりだったんですか?」
すると、時宮准教授は微笑しながら答えた。
「フォンノイマンは、その生涯で広い分野にわたる研究をしていた。だけど、師匠は一見脈絡のない手当たり次第の研究に、最終目的があったんじゃないかと疑ったんだ。だから師匠は、フォンノイマンのAIに、本当の目的が何かを尋ねたかったらしかったんだ。それが分かれば、フォンノイマンが偉大だったかが証明できる、とね。もちろん、論理的には破綻している…とは言え、最初は『遊び』だったんだけどね。」
オレも、つい釣られて笑いながら聞いた。
「で、フォンノイマンのAIは、結局何を語ったんですか?」
だが、時宮准教授はすぐに真顔に戻って答えた
「私は直接聞いていない。師匠によると、フォンノイマンやチューリングにとって、彼らの名を高めたEDVACやACEなんて、眼中に無かったのだそうだ。2人とも根っこは数学者だけど、副業をいろいろやって膨大な分野の論文を書いている。その全てをかけて、もっと人間の思考に近い人工知能を目指して、競争していたってね。だから、フォンノイマンのAIは、『私は絶対、チューリングよりも先に人間の思考に近い計算機を実現する』って言ったとか。」
人間の思考に近い計算機だって?どうすればそんなものができるんだろうか?と考え始めたが、それはもう実現していたことに気づいた。この目の前にいる、掴みどころの無い御仁によってだ。
オレと高木さんは、ほとんど同時に叫んだ。
「それって、『睡眠学習装置(仮)』のことじゃ無いですか!」
「そうだよ。それこそが私が師匠から託された夢だったんだ。」
「でも、それは私の父というより、フォンノイマンのAIが語った『夢』じゃ無いですか?」
「その通り。だから、師匠はそれを『フォンノイマンのレクイエム』と呼んだんだ。フォンノイマンが死してなお目指した、究極の目標。それを、モーツァルトが死を超えて完成を目指した『レクイエム』になぞらえた、師匠らしい命名だ。」
「フォンノイマンのレクイエム」。響きは良いが、何やら中二病の香りがする言葉だ。それが、オレの父らしい命名だと?父は良い歳になっても中二病だったのか? それに、「死してなお目指した」と言うのはおかしくないか?
時宮准教授の笑顔はそこで終わり、俯いた。
「だけど、私が高校を卒業したその日、事態は急に変わった。その日が、私が師匠に会った最後の日、そしてKAONソフトに出勤した最後の日になった。」
どういうことだろう?オレは即座に理解できなかった。が、高木さんが質問した。
「一体、何があったんでしょうか?」
すると、時宮准教授はうつむいたまま答えた。
「その日を境に、KAONソフトは実質的に社長と師匠だけの会社になって、私は雇用を打ち切られたんだ。」
今度は、オレが尋ねた。
「他の社員は?」
時宮准教授は顔をあげて、
「ほとんど、頭脳工房創界に転職したらしい。」
と答えたが、膝の上で拳が握られているのを見てしまった。
今でも納得していないのだろう。
しばらく、オレも高木さんも声をかけにくい状況が続いたが、やがて時宮准教授の表情が穏やかになった。
「君たちをここに呼んだのは、ここからの話を聞いて欲しいからだ。」
オレと高木さんは顔を見合わせたが、時宮准教授は話し続けた。
「その時、師匠から『フォンノイマンのレクイエムは機密事項だから、今後は外では口外しないように。私はもう量子コンピュータの研究から手を引くが、後は君に託す。頼んだぞ。』と言われて、ストレージを手渡されたんだ。」




