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フォンノイマンのレクイエム  作者: 加茂晶
第4章 帰還した現実世界で
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4.23. 第3回報告会前日

 「方法」には、対象とするシステムのハードウェアやプログラミングの手法をまとめる。それに、その手法をどうやって評価するのか?についてもだ。


 研究対象としているハードウェアについてなら、まとめるのは簡単だ。それは、大学2年生の頃から馴染みのある「睡眠学習装置(仮)」のシステムと基本的には変わらない、ノイマン型のシステムに量子アニーリング/イジング型の量子回路を補助演算処理装置として加えたものだからだ。

 量子アニーリング/イジング型の量子回路は、演算効率ならば原理的に悪く無い。量子コンピュータ開発の黎明期には、電子回路で量子アニーリングを再現して計算の高速化が図られたこともあったくらいだ。


 問題はこの量子回路に汎用的な計算をさせる方法だ。この2ヶ月間、悩み続けた。思いついた方法はいくらかある。だけどオレとしては、どれも最善とは思えなかった。

 でも明日、計算方法について何も報告しないわけにはいかない。それでは、この2ヶ月間何もしなかったと白状するようなものだ。だから、その中で一番マシな方法をまとめることにした。


 量子アニーリングでは、初期に設定した条件からエネルギーが極小に変化した時の値を、計算結果として用いる。これをディープラーニングの学習、すなわち深層ニューラルネットワークにおけるシナプスの重みづけに使う。…これがオレの思いついた「一番マシな方法」だ。

 これが実現できれば、ディープラーニングで解決できる問題は全て計算できるだろう。だけど、オーバーヘッドが大きくなってメモリを食いそうだし、不用意に複雑になって汚いプログラムになるだろう。まあ、その部分のプログラムをライブラリにしてインクルードすれば、見かけは簡潔になるんだろうけど。

 後は、これをどう評価するかだけど、それはまだ思いつかない。もし明日問われれば、時宮准教授に逆質問してやろうか。


 ここまでまとめて、時計を見ると、夜の9時を過ぎていた。


 集中していて気が付かなかったけど、周りには他に誰もいない。出遅れて来たからなあ…。そう思いながら、机上を片付けて立ち上がると、豊島が机に突っ伏して寝ている姿が視界に入った。

 突っ伏している豊島に近づくと、背中に付箋が貼られていた。

 そこには、

「気持ちよさそうに寝ているので放っておくけど、桜井君が帰る時にまだ寝ているようなら起こしてあげてね。高木」

と書かれていた。

 気づかないうちに、高木さんも来ていたのか。明日ももちろん来るはずだ。

 高木さんに久しぶりに会えるのは嬉しいけど、プレゼンはイマイチになりそうだし、時宮准教授は何か意味深なことを言っていた。明日はどうなるんだろう?


 軽く豊島の肩をたたくと、ゆっくり顔が上がった。

「んんっ?」

顔に本の跡がついている。眼もかろうじて開いているという感じだ。いつもはきれいに整っている彼女のダークブラウンの長い髪もボサボサで、口元には白い筋が…。

 寝起きの豊島に言った。

「もう遅い時間だから、帰ろう?」

すると、

「桜井…君? 他の人は?」

と、目をこすりながら尋ねる豊島。

 オレは豊島の質問に答えた。

「見ての通り、みんな帰ったみたいだよ。それで…」

そう言いながら、オレは豊島の背中から付箋を外して、見せた。

「高木さんに、豊島のことを頼まれたらしい。だから、送ってってあげようと思って。」

 豊島は付箋を見て、少し驚いたような表情で言った。

「えっ、高木さん来てたの?」

「いや、オレも気が付かなかったんだけど。…集中しててさ。」

 すると豊島は少し呆れて、

「桜井君、集中力はあるよね?」

と、褒めてるのか貶してるのか…。

 豊島は女子だけど、ここでは木田や高木さんの次くらいに気心が知れた奴だ。だから、素直に現実を言った。

「いや、切羽詰まってただけだし…。」

 そんな取り止めの無い話をしているうちに、豊島は急に顔を赤くすると、

「ちょっと待っててね。」

と言うとどこかへ消えて、数分で戻って来た。

 髪は整い、口元から白い筋は消えていた。

「ごめんね。目が覚めてきたら、寝起きの顔を見られて恥ずかしくなって…。」

そう言って、豊島は舌を出した。

 そんな可愛げのある豊島を前にして、オレは

「大丈夫。豊島の寝起きを見るの、初めてじゃ無いからさ。」

と応じた。

 すると、豊島はまた顔を赤くして、

「桜井君、女の子にデリカシー無いぞ。」

と言うので、素直に謝った。

 すると、気を取り直したのか、

「遅いけど、夕食行かない?」

と言うので、

「いいよ。」

と応える。

 これで豊島の機嫌が治ったかとホッとしていたら、

「桜井君のおごりね。」

と笑顔を向けられてしまった。

 仕方がない。オレは頷くと、豊島と一緒に駅前のファミレスへ向かった。


 そこで夕食を食べながら、やっぱりクラシック音楽の話になった。彼女と2人っきりで話すのは2ヶ月ぶりくらいだ。オレはふと、この1年半くらいの間、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 それは、あのレクイエムについてだ。

「オレがAM世界で『フォンノイマン博士の世界』を創って、その世界に意識が捕らわれそうになったことは、以前に話しただろう?」

「うん、それは聞いたことがあるわ。」

と豊島。

 話そうと思っただけで、あの時の恐ろしい情景が蘇る。

「その時に聞こえてきた、モーツァルトのレクイエムは荘厳で恐ろしくて。…でも希望の光でもあったんだ。」

「私に状況が完璧に理解できてるとは思えないけど、そんな恐ろしい状況であんなドラマティックな音楽が聞こえてくれば、そんな気持ちになるのもわかるわぁ。」

 言葉は綺麗なんだけど…。そんなことを言いながら、豊島の口の中はパスタで満たされている。そこが豊島らしい。

 そんな心の内は表に出さずに、話を続けた。

「だから、現実世界に戻ってきてから、良く聴いているんだ。だけど、演奏によって微妙に違うんだよな。曲の『解釈』というより、曲そのものがね…。」

 すると、豊島は少しの間、眉間に人差し指を当てて記憶を辿っているように見えた。…その間も、口は動いていたが。

 やがて、口の中のパスタが消えたのか、もぐもぐしていた口が止まった。すると、豊島の口が滑らかになった。

「モーツァルトのレクイエムはね、モーツァルト自身、完成させることができなかったんだよ。」

 でも、曲は存在しているじゃないか?オレのそんな心の声が聞こえたかのように、豊島は話を続けた。

「一番一般的なものは、彼の弟子のジュースマイヤーが完成させたバージョンね。だけど、モーツァルトが直接作曲したのは、第三曲第六部の『ラクリモサ(涙の日)』の途中までらしいわ。だから、そこで終わりにしてしまう指揮者もいるの。逆に、典礼に使うために補足したり…、他にも違うバージョンがいろいろあるのよ。」

 なんなんだ、この曲は。実体が無いのか…?

「それじゃあ、レクイエムっていう明確な『曲』は無いってこと?」

「いや、確かにモーツァルトはこの曲を『作曲』しているわ。だって、どのバージョンも、彼が書いた楽譜を元にして完成させているのよ。」

 それって、フォンノイマンが設計していなくても、彼の定義した構造に似たコンピュータを「ノイマン型」って呼んでいることと、良く似ている。だけど、その「ノイマン型」も、本当にフォンノイマンが目指したコンピュータの最終型なのだろうか?

 モーツァルトがそうであったように、フォンノイマンの生命がもっと長ければ、その先を目指していたのではないだろうか?


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