4.22. KAONソフト
目覚めた時には、既に部屋は暑くなっていた。もう10時だ。慌てて起きて顔を洗っていると、携帯端末から電話がかかって来た。木田からだった。
木田の声は少しうわずっていた。
「桜井は、明日の準備はできているのか?」
「明日って、何かあったか?」
オレには心当たりがなかったので、穏やかに応えた。
だが、オレの穏やかな声…いや間の抜けた声に聞こえたかもしれないが…を聞いた木田は、さらに慌てたみたいだ。
「時宮研の報告会、明日だろう? 準備のために、皆もう研究室に来てるぞ。」
と言った木田の声は、さらに焦っているようだ。
オレは木田をなだめるように、さらにトーンを落とした。
「えっ、だって報告会で発表するのは、マスターの高木さんと三木さんだけじゃないのか?」
「違うぞ。それは前回の第2回目までだぞ。今回からは、俺たち学部生も資料を作って、プレゼンすることになっている。」
その木田の言葉で、ようやくオレは目覚めた…いや焦った。早く学校へ行って、準備しなければ。これから始めて、間に合うかどうか。
食事も摂らずに研究室に行くと、珍しく人口密度が高い。オレと同じように、慌てて始めた人が多いらしい。電話をくれた木田はもちろん、三木さん、豊島は、川辺、新庄、それに小鳥遊も来ている。みんな集中していて私語も無い。
後ろから木田に声をかけようとしたら、オレが後ろから声をかけられた。
「桜井君、今頃来るなんて余裕だねえ。研究は進んでいるの?」
時宮准教授の、のんびりした声。
振り返ると「おっさん」の姿だ。彼だって人間だし、高校生だったこともあるはずだ。姿を見ることはできなかったが、夢で見た…いや見なかったけど…高校生の「時宮君」を思い出した。
そこで頷きつつ、尋ねた。
「時宮先生は、高校生の頃に何かバイトしてましたか?」
「唐突な質問だね。でも、確かにしてたよ。私もね、子供の頃からプログラミングとか得意だったんだ。だから、そういう仕事。」
それじゃ、オレと同じじゃないか?あの夢のことは脇に置いても、親近感が湧いた。そこで何気なく、
「まさかとは思いますが、頭脳工房創界ですか?」
と尋ねると、微妙な答えが返ってきた。
「当たらずとも遠からず、かな?」
だけど、時宮准教授の表情が少し暗くなった。
そこで、もう一歩踏み込んで尋ねた。
「それはどういう意味ですか?」
「私が働いていた会社は、15年くらい前に無くなってしまった。だけど、そこで働いていた人の多くは、君が働いている頭脳工房創界へ移籍したはずだ。」
それなら…。オレが知っている最古参の社員は、チーフの三笠さんだ。年齢は時宮准教授よりも上のハズ。だから尋ねた。
「もしかしたら、『三笠さん』はお知り合いですか?」
時宮准教授の回答は、いつもオレの予想の斜め上を行く。この時もそうだった。
「ああ、三笠君か。倉橋社長に頼まれて、ずいぶん鍛えてやったなあ。昔はここにも色々と聞きに来てたけど。」
倉橋社長という言葉。スーツを着た祖父が、この研究室らしき場所で父と一緒に撮られた、昨夜見た写真。そして…その写真を撮った「時宮君」が、時宮准教授に重なった。
まさか…?
「もしかすると、『倉橋量』をご存知ですか?」
「もちろん。だって『KAONソフト』の社長は倉橋さんだったからさ。」
やはり祖父は、時宮准教授の言ってたソフトウェア開発会社の社長だったんだ。っていうことは、「KAONソフト」という変わった名前の会社が、祖父の会社だったのか…。
「『倉橋量』はオレの祖父です。」
時宮准教授の顔色が変わって、ぼそっと呟いた。
「…そうか、そういうことだったんだ。だから…。」
どういうことなんだろう? そう思って、尋ねようとしたが、
「いや、失礼した。」
と、あっさりかわされた。
そのくせに、時宮准教授はさらに尋ねてきた。
「とすると、君は桜井先生…いや桜井俊さんと綾さんの息子さんだったの?」
産みの母の名前まで知っているのか? オレ自身ですら昨夜知ったばかりだったのに。でも、それは伏せておいて、頷いた。
やはり時宮准教授は、オレが夢に見たように父や祖父と知り合い…というより、部下とか教え子とかだったのかもしれない。そんなことを考えていると、時宮准教授が言った。
「今は明日の準備があるだろうから、明日の定例報告会の後で話がしたい。時間ある?」
確か、今日と明日はバイトの予定は無いが、何の話なんだろう?少し緊張して答えた。
「はい、大丈夫です。」
すると、時宮准教授はオレに手を振って、研究室内の准教授室へ消えていった。やはり、父や祖父の話なんだろうか?それとも、頭脳工房創界の話か、三笠さんの話か?
そんなことを考えながら、ふと周りを見て我に返った。木田も豊島も、三木さんですら、今はPCに向かったままだ。出遅れて来たのに、さらに時宮准教授に捕まってさらに遅くなったオレは、猛烈に焦ってきた。
慌てて木田に一声かけて隣に座ると、オレも明日の資料を作り始めた。だけど、「研究」自体行き詰まって停滞していたのだった。一体、どうまとめれば良いのやら…。
半ばやけくそになったオレは、
「研究を始めたばかりだから、結果なんて全くなくても良いや。」
と開き直って、まとめられることだけをまとめることにした。
それなら、最初に「タイトル」。これは「非ノイマン型システムのための汎用的なプログラミング手法」で良かったかな?
次は「イントロダクション」。ここは、歴史的な経緯とか背景、それに目的なんかをまとめるパートだ。
歴史的な経緯としては、フォンノイマンがノイマン型のコンピュータを定義した話から始める。やがて、プログラムによってFPUとかGPUやAIアクセラレータ、さらには量子アニーリング/イジング型の量子回路といった補助的な演算処理装置に、一部の処理を振り分けるようになった。これらを含むシステムは、ノイマン型のコンピュータの定義からは逸脱している。
このような補助的な演算処理装置に、どうやって処理を振り分けたら良いのか?それは、それぞれの時代に、頭の良い人たちが色々と考えて実現してきたことだ。
問題は、その次の「方法」をどうまとめるか? なのだ。そこが一番重要で、ずっと行き詰まってきた…。




