4.20. 桜井家の記録
今、オレが住んでいるこの家は、かつて祖父の家だった。そして、両親を亡くしたオレと里奈が引き取られた…という記憶は、今も失われていない。
そして、里奈が叔母の家に引っ越した時、生活に必要なものしか持って行かなかったらしい。だからこの家には、オレと里奈が生まれて以来の静止画像や動画などのデータや写真が、全て残されているハズだ。
それらはきっと、オレの記憶の扉を開ける鍵だ…たぶん。急にそのことに気づいて、古いデータを探した。いや、正確には古いデータを保存したメディアをだ。
オレが生まれる大分前から、情報システムのストレージは開発と陳腐化が繰り返されてきたらしいが、それは今でも続いている。だから、数年に一度くらいはストレージを更新していくのが一般的だ。そして、3年前にそれをやったのはオレ自身だ。
そのストレージを置いていたのは、1階の仏壇のある小部屋だ。たまに掃除くらいはしているが、そこで過ごすことはほとんど無い。その部屋の押し入れに、昔の写真やストレージがあるはずだ。
…あった。小さいダンボール一箱。この中に、桜井家と倉橋家のストレージが保管されている。どんな記録が入っているのか知っていたハズだが、今のオレは里奈に関する記憶が欠けている。
一体、何が出てくるのだろうか?
先ずは桜井家のストレージをPCにセットした。この記録を撮り始めたのは、オレの父、桜井俊だ。
このストレージの最初の動画は、よちよち歩きの赤ちゃんが、幼稚園の制服を来たオレに抱きついてくるところから始まった。
「おにー、だっこ。」
幼稚園児のオレは、せがまれるまま赤ちゃんを抱き上げた。
映像の端から手が伸びてきて、赤ちゃんの頭を撫でた。
「里奈ちゃん、機嫌がいいね。」
これは父の声だ。
すると、これが里奈なのだろう。
「うっひゃひゃっ。おにー!」
里奈の笑い声が聞こえてきた。
途中から母、桜井綾が動画に入って来た。若い。さっきまで目の前にいた吉川さんと、あまり違わない歳のように見える。
「里奈は、すっかり祥くんに懐いたわね。」
笑顔で頭を撫でてくれた母に、動画の中のオレは…表情が固い。
この動画、見覚えがあるハズなのだが、部分的に微妙に記憶が薄い。特に、里奈が登場する部分は初見に思える。
だから、この後で里奈がどうなるのか全くわからなかったが…
「うぇーん…」
まもなく里奈がぐずり始めた。
母が慌てて里奈をオレから受け取ると、里奈のお尻のあたりに手を当てた。そして、その母が
「おむつが濡れていたから、ぐずったのね。」
と言ったところで動画は終わった。
その後も、穏やかな家族の記録が続いた。映像では、その間オレと里奈はほとんど兄妹喧嘩もしないで、いつも仲良しだったようだ。
母が、
「最初からだけど、祥くんは里奈に優しいし、里奈も祥くんに懐いているし。2人はいつも仲良しさんだね。」
と言うと、父は、
「あまり仲が良いから、お父さんとしてはちょっと妬けるなあ。いっそ、結婚するかなあ?」
と惚けたことを言う。
少し真面目な顔になった母も、
「お父さん、兄妹で結婚は…。でもまあ、2人が良いならそれもありかもね。」
と、「兄妹」の結婚を否定しない。
やっぱり、玉置由宇からのメッセージにあったように、オレと里奈は血が繋がっていないのだろうか?もちろん、父の冗談っていうこともあるかもしれない。
でも考えてみると、このストレージは幼稚園児のオレが、すでに歩けるようになった「赤ちゃん里奈」を抱っこしたところから記録が始まる。それに母もオレたち兄妹の結婚を、全否定しなかった…。これも冗談なのだろうか?
その後も、ずっと映像…動画も静止画もあったが…を見ていった。そして、ついに最後の動画になった。だが、それを見始めて直ぐに違和感を覚えた。
何だろう?他の動画との違い…それは父が映っていることだ。他の動画とは違って。きっと、これは祖父が撮ったのだろう。
その最後のシーンに映っているのは、空港の出発ロビーで見送る小学生のオレと里奈、そして搭乗口から手を振る父と母。これが2人の最後の姿となった。
この後、両親が搭乗した飛行機は墜落した。そして、2人が帰って来ることはなかった…。その時のことは、しっかりオレの記憶に刻まれている。
これで桜井家のストレージはおしまい、と思ってPCから取り外した。だけど、この映像を見ているうちに、ふと思い出した。空港へ両親を送る前夜、父から預けられたストレージがあったのだ。
その時、父は確かこんなことを言っていた。
「万一の時のために、お前にこれを預けておく。」
その言葉を思い出すと、その時の情景が突然思い出された。父は母と里奈がお風呂に入っている間に、オレの部屋に来てそう言ったのだった。
オレが不審そうに、
「何これ?」
と言うと、父は続けて言った。
「これは、お父さんとお前にとって、忘れてはいけない大切な記憶だ。」
その後も、こんな会話が続いたはずだ。
「大切な記憶?」
「そうだ。だけど、お前が大人になるまでは鍵をかけて、しまって置いて欲しい。お母さんが見たら、もしかすると嫌な思いをするかもしれないから。」
「うーん、よく分からない。でも、大人になるまで見なきゃいいんだね?」
父が、
「祥太は賢くて助かる。」
と言いながら頭を撫でてくれた感触が蘇った。
そして、そのストレージを見るのは「今」だろう。オレは、机の一番下の棚の一番奥に手を伸ばした。それは、もちろんそこにあった。小学生だったオレが、子供っぽいと思って使うのを止めたペンケースが。その中に入っていた懐かしいシャープペンシルを取り出すと…下からメモリーカードが現れた。
このタイプのメモリーカードは、最近はほとんど使われていない。だが、オタクハッカーを自称しているオレのことだ。今使っているPCに接続するアダプターは、もちろん持っていた。
父はどんな「記憶」をオレに残してくれたのだろう?少しドキドキしながら、メモリーカードを開いた。すると、「桜井家のストレージ」と違って、整理されておらず雑然としている。その中に、「誕生」というタイトルの動画が目を引いたので、見ることにした。




