4.16. 単位と金策と就活と
三木さんの話を聞いて、オレは衝撃を受けて固まった。何を考えているんだ、時宮准教授は。オレは、そんな『睡眠学習装置(仮)』に意識をコピーされ、そこからさらに意識をコピーされた存在なのか。「睡眠学習装置(仮)」のデータがエラーまみれだとすると、今のオレの存在は一体何なのだろう…。
だが、オレに「睡眠学習装置(仮)」のことを話した三木さんも、目の前で同じように固まっていた。何故だ?
オレの疑問は数秒後に解けた。三木さんは突然、
「ヤバい。これ以上サボると必修の単位を落としてしまう!」
と叫んで、時宮研究室から走り去った。三木さんの視線の先にあったのは、時計だった…。
修士課程に行っても学生は大変なんだなあ。時宮准教授が羨ましい…。いや、時宮准教授も金策で大変なんだったっけ。オレの湊医科大学での治療が終わったら「睡眠学習装置(改)」で新しい実験をすると時宮准教授は言っていたけど、一向にその準備が始まる気配は無い。やはり、金策に目処が立たないからなのだろうか?
ん?そうすると「研究」って、一体いつ誰がやっているんだろう?時宮准教授は金策、三木さんは授業で忙しい。高木さんに至っては、就職活動と学会発表で忙しくて、あまり研究室では見かけないし…。
それでも、病院では「睡眠学習装置(改)」のオペレーションをしにきてくれる。高木さん、めちゃくちゃ忙しいのに、本当にありがたいことだ…。
後に残されたのは、木田と豊島、それにオレ。いずれも研究を始めたばかりのヒヨッコだが、「研究」する暇のある…いや時間のある時宮研究室の戦力だ。友人としては信用できるが研究について相談するには心許ない…そんな2人に、研究が煮詰まってしまってどうしたら良いのか尋ねてみた。
色々話し合ったが…まあ結局、愚痴の言い合いになっただけだ。でも、煮詰まっていたオレにとっては、良い気分転換になった。
そう言えば、この2人とは2ヶ月くらい同じ研究室で過ごしていたのに、何故だろう?そういう話を、ほとんどして来なかった気がする。…そうか、高木さん主催の「ティータイム」が、最近無かったためかもしれない。
気の置けない友人たちと、こんな「無駄」な時間を過ごしたのは、久しぶりだ。高木さんがなかなか研究室に来られないなら、オレたちで「ティータイム」をやってみるのも良いかもしれない。
「フォンノイマン博士の世界」で、フォンノイマンがアインシュタインと陽気に酒を酌み交わしていたことを思い出した。彼らはとても楽しそうだった。
酒を飲みながら友人と取り止めの無い話をする。コミュ障のオレにとって、以前はそういうのは面倒なだけだと思っていた。だけど、今はそれも楽しいかも知れないって思えてきた。気分転換にもなるし…。
フォンノイマンのような天才でも、オレみたいな凡人でも、そのあたりは同じなのかも知れない。きっと、研究も友人と過ごすのも、生活の一部なのだろう。
そうこうしている内に、バイトに行く時間が来てしまった。結局、雑談で終始してしまって、もちろん研究は全く進まなかった。
だが、豊島に言われた言葉が、何故か心に引っかかった。
「いっそのこと、AMの桜井君にプログラムを書いてもらえば良いんじゃない?」
その時は、オレも木田も笑った。AMのオレにプログラムを書かせても、現実世界にいるオレたちの意思で、汎用的な量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータ用のプログラムが作成できたことにはならないではないか。そんなのインチキだ、と。
だけど、研究室を出て頭脳工房創界への移動中、1人になったオレは思い出したのだ。オレ自身がAMだった時には、確かに「睡眠学習装置(仮)」を動かすプログラムを好きなように創っていたことを。
言うまでもないが、「睡眠学習装置(仮)」は量子アニーリング/イジングタイプの量子コンピュータだ。だから、今は七転八倒しても出来ないことが、AMだった時には呼吸をするように出来ていたことになる…。
それと、研究室から飛び出して行った三木さんの話も気になってきた。『睡眠学習装置(仮)』と『睡眠学習装置(改)』の量子回路と電子回路を繋ぐインターフェースデバイスに、予測修正機能が無いと言う話だ。何故なんだろう?今度、時宮准教授に会ったら聞いてみよう。
時宮准教授や高木さんにオレ自身の研究をどう進めたら良いのか相談したかったから研究室に来たのに、2人とも不在で、目的は果たせなかった。先輩の三木さんに少しは相談に乗ってもらえると思ったのに、気がつくと話題が逸れてしまったし…。だが、興味深い話を聞くことができて良かった…のか?
そんなことを考えているうちに、頭脳工房創界に着いた。今日は吉川さんの新しい相方、玉置由宇こと倉橋里奈が出勤してくる…とは思っていたのだが…。
席に着くなり、吉川さんが駆け寄ってきた。
「桜井君の妹さんって、双子だったの?」
「いいえ、オレの妹は1人。里奈だけですが?いや…ここでは玉置由宇でしたね。」
だが、吉川さんは首を振った。
「だって…。」
そう言って、吉川さんの後ろからついて来た、1人の女の子を指差した。
…と思ったオレは即座に応えた。
「だって、1人じゃ…?」
彼女の顔はよく見えないが、里奈に決まってる。だが、昨日ここに来た玉置由宇とよく似た服装だ。
オレが見慣れている里奈のイメージとは大分違うが…西玉美術大学に通うようになって変わってきたのだろうか?それとも、昨日ここに来た玉置由宇と入れ替わったことがバレないように、彼女の服装のセンスに合わせたのだろうか?
だが、オレがそんなことを考えているうちに…その後ろからもう1人、ひょこっと姿を現した。遠目には1人目の娘とそっくり。
えっ、里奈が2人?
そんなわけ無い…のだが、どちらも、メガネをかけてスニーカーにジーンズ。昨日会った玉置由宇と似た、ボーイッシュな娘が2人。ってことは1人は里奈?そして、もう1人は本物の玉置由宇?…なのか?




