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(八)それから、これから


 ガダン、ゴドンという工事でもしていそうな音が、閉めたドアの向こうから聞こえる……カイさんは、一体何をやっているのだろうか。両手を顔の近くに上げたまま、がっしりとした扉を見つめてしまう。


「座ろうか、リッカ」

「えっと、あの、はい」

「驚かせて悪かったね」


 クインさんはひとしきり笑い終わると、軽い謝罪を口にしながらソファーまで私の手を引いて自分は斜め前に腰を下ろした。


「事情を知りたいだろう?」


 それはもちろん、聞きたいとは思う。


「……でも、カイさんが話さなかったのは、私に知られたくないからでは?」


 考えてみれば、筆談で教えてもらったのはこの世界のことについてばかり。カイさん自身のことで私が知っているのは名前と仕事、それくらい。正確な年齢だって国籍だって知らない。家族とは幼いころに離れたって言ったけれど、クインさんみたいな先生がいることも一言もなかった。

 話す必要がないと思ったのか、私には話したくなかったのか。

 今更、カイさんと自分の間に引かれた線に気付いて、胸が寒いというか……自分がしぼんだみたいに感じてしまう。


 ――カイさんを責めているわけではない。私だって、自分からは聞かなかった。与えられるものに満足してばかりで、自分からは知ろうともしなかった。

 納屋に置いた小枝の束は八つ。八十日。数えていない日も入れれば実に三ヶ月もの間、ずっと受け身でばかりで……呆れられても当然だ。


「まあ、知られたくないといえばそうだけど、リッカが思うような理由ではないね」

「そうでしょうか……」


 探るような視線を送ってしまう私に、クインさんはあくまで態度を変えない。


「私の口から言うのは簡単だが、それはリッカの望むところではなさそうだな」

「教えてくれるでしょうか。嫌なことなら無理には、」

「話すさ」


 さも当然、という雰囲気に少し心が軽くなる。こわばっていた表情が緩んだのが見えたのだろう、クインさんは立ち上がると私のすぐそばに来た。


「カイルフェルドは話し上手とはとても言えないが、最後まで聞いてやってくれるかい?」

「それは、もちろん」


 大きく頷くと満足そうに微笑んで、細い指の小さい手が、座ったままの私の頭にぽすりと乗った。

 いい子いい子、とされているが、これって私がする側なんじゃないだろうか。クインさんは自分の行為にひとつも疑いがないようだし、私だって嫌なわけじゃないが、なんというか絵面的に微妙だ。

 ひとしきり私の頭を撫でたクインさんの手が、そのまま頬に滑る。つ、と上げられた視線がもの言いたげな笑顔とぶつかった。


「突然この世界に来て、いきなり雪原に放り出されて――君がこうして無事でいて、本当によかったと思うよ。リッカ、ありがとう」


『ありがとう』――? 


「あの、助けてくれたのはカイさんですし、お礼を言うのは私のほうです。こうして生活まで面倒みてもらっていて……」

「リッカはカイルフェルドが好きかい?」

「!?」


 急に何を言い出すのかこのお師匠さんはっ。動揺を隠しきれなくて、また顔に熱が集まるのが分かった。

 ちょっと待って、今さっき自覚したばっかりで、それになんか熊さんだったのに熊さんじゃなくって、それどころじゃないっていうか、ああ、もう、わけわかんない!


「はは、ごめんごめん。そうだといいなっていう年寄りの我がままだよ。気にしないでくれ」

「あ、は、はい……でも、私は、」

「リッカ、それは理由にならないよ」


 この世界の人間じゃないし、と言おうとした私を遮るクインさんは至極真面目な目をしていた。頬に置かれたままの手が温かい。


「すぐに全てを受け入れろというのは酷だろうね。けれど()を否定しないでほしい。今、ここにいる君は間違いなくこの世界の一部なのだから」

「……クインさん」

「探すといいよ、君が満足できる答えをね。さて、じゃあ私は行くかな」

「えっ?」


 返事をするより先に、少し名残惜しそうにした指先が頬から離れ、ふわりと私の目の前で浮き上がる。慌てて頭を天井に向けると、軽く右手を上げたクインさんと視線が交わった。


「リッカ、君の道に幸あらんことを」


 ――柔らかく細めるその瞳をどこかで見たような気がする。クインさん、と唇が形を作る前に、浮かんだ体はそのまま空気に溶けるように消えてしまった。

 と、すぐに寝室のドアが乱暴に開いて、カイさんがリビングに駆け込んでくる。


「師匠!?」

「カ、カイさん。ごめんなさい、引き留める間もなくって」

「あー……違うんだ、リッカのせいじゃない」


 少しくらい待ってくれてもいいのに、と金茶色の髪の毛をくしゃりと片手でかき混ぜながら困ったようにつぶやく。慌てて着替えたのだろう、少しシワの寄ったシャツの襟が片方上がっているし、ベルトも中途半端だ。

 私の視線に気付いたカイさんは、熊の時と同じに一気に顔を赤くする。


「ご、ごめんっ。奥のほうにしまい込んじゃって、なかなか見つからなくて……リッカ?」


 そう言いながら、分かりやすく焦って後ろを向いた。カチャカチャとベルトを直し始めたその背中が、私の良く知る『カイさん』に重なる。

 くすり、と思わず笑みがこぼれた。


「こっちもですよ」


 正面に回って、姿が変わってもやっぱり高いところにある首元につま先立ちで手を伸ばし、ひっくり返った襟を戻す。

 毛皮の代わりに服を着ているし、ぽかんと空いた口に牙はない。

 ――でも。同じ色の髪の毛、まん丸になったダークブラウンの瞳、その視線。たくさんの、私の知っているカイさんと何一つ変わっていない。


『今を否定しないで』そう言ったクインさんの声が、胸にじわりと広がっていく。


 少しためらいながら私の頬にかすかに触れて、すぐに離れた丸い爪の指先を引き止め自分の手を重ねた。人になってもやっぱり大きくて、温かい手のひらに頬を寄せる。

 自然とつむった目を開けると、カイさんは眉を下げていた。


「リッカ……ごめん。本当に、騙すつもりはなくて、」

「はい。知っています」


 照れ屋で優しくて。いつだって隠さない感情は、熊の姿でだってあんなに分かりやすかった。

 この三ヶ月。見て、聞いて、感じた全ては嘘じゃない。


「気付かなくてごめんなさい……話してくれますか? 私、知りたいです、カイさんのこと」


 カイさんは口元をきゅっと引き締めて、真剣な顔で頷いた。


「少し、長くなるけれど」

「たまには夜更かしもいいですね」


 ここに来てから小さな子どもみたいに早寝早起きだったから、今夜くらい大人に戻るのも悪くない。そう笑えば、ようやくカイさんの頬も綻んだ。


「一晩では終わらないかも」

「春まではまだ何日もありますよ――っわ!」


 今度こそ破顔して、私を引き寄せると横抱きにしたまま、大きなソファーにどさりと腰掛けた。

 ちょ、近い近い近いっ! 喉元まで出かかった文句は、あんまり嬉しそうにするカイさんの顔を見たら引っ込んでしまった――もう。照れ屋なのに強引なところも同じなんだから。


「何から話そう……リッカ。僕の名前はね、」




 自分が人と獣人の混血であること。魔力の強さから、生まれてすぐに著名な魔術師であるクインさんに引き取られ、あちこちの国で暮らしてきたこと。家族とは滅多に会わないが仲は悪くないこと。

 話し慣れていないカイさんのあちこちに向かう話に一つずつ耳を傾ける。時折、ドサリと落ちる雪とパチパチ爆ぜる暖炉の火の他は、時計の音もしないリビングに響くカイさんの声。


「……え、それじゃあ、ずっと熊の姿でいたのは私のせい?」

「せいっていうわけじゃないけど。すっかりあの姿で慣れて落ち着いたのに、また動揺させるかと思ったら言い出せなくなって……それに『実は人でした』って分かったら、ここに二人で住んでいるのも問題でしょう」


 家族でもない異性と二人暮らし。それはいわゆる()()というやつでは――思い至って、顔から火が出るかと思った。比喩でなく、本気で。

 だって、何回抱きついたまま寝落ちしたと……! 私っ、私ってば黒歴史通り越しているっ!

 指の間から見たカイさんも気まずそうに目元を赤くしていて、余計に居たたまれない。


「ここから出ていく、ってリッカに言われるんじゃないかと思って」

「い、言わないですよ」

「本当に?」

「本当です」

「――()()じゃなくても?」

「っ、その聞き方はっ」


 すっかり涙目の私が膝の上から逃げようとするのをカイさんの腕は許さず、逆にぎゅうと閉じ込められた。顔が見えないまま耳のすぐそばで囁かれた告白に、ますます頬が熱くなる。


「わ、私は別の世界から来て」

「知ってるよ。でも今はここにいる」

「そんな簡単に」

「大事なことは案外単純なんだって」


 その言葉に顔を上げれば、カイさんはやっぱり赤くなっているけれど、私だって同じくらい真っ赤になっている自信がある。ついでに涙目のオプション付きだ。

 小さく惑う瞳から目が離せなくて、自然と頷いた。


 確かめるようにゆるゆると笑みが広がるカイさんの分かりやすい表情を見つめていたら、ぎゅっと抱きしめられた。よかった、嬉しいと独り言のように耳の上で繰り返される声に、いちいち胸がドキドキする。

 その声が私の名を呼んで、髪に、額に、こめかみに、瞼にと、順に柔らかく落ちる唇。頬と鼻先に触れたそれが唇に重なる直前、なんとか逃れた左手でカイさんの口をふさぐ。


「……リッカ」


 もごもご言うカイさんの唇が手のひらに当たってくすぐったい。

 そんなにがっかりした顔をしないでほしい。嫌なわけじゃなくて、ただ、私が好きになったのは、


「さ、最初は、熊のカイさんがいいです」


 どっちの姿も同じ人だって分かっているけれど、でも、だって。そんな私の言葉にきょとん、としたカイさんは少し遅れてパァ、と音が出そうな笑顔になった。


「リッカ……!」

「にゃっ、く、苦し、っ」


 息が止まる直前でようやく緩められた腕の中は、もふもふの毛皮がなくてもやっぱり温かい。

 けれど、ダークブラウンの瞳と目が合うと心臓がうるさくて、あまり安心できるところではなくなった気がするのが、少し惜しいかも。


 オーロラの広がる異世界の空の下、そうして長い夜はゆっくりと更けていった。








 春になり森を後にした私達は、この国トゥアズを拠点にあちこちを旅するようになる。

「帰り道を探す」ためのその旅が、いつしかただの「旅」になることを、私が知るのはまだ先なのだった。       




お読みいただきありがとうございます!

本編はこれでおしまいですが、くまさん側のおまけ一話をこの後に投稿します(19時予定)


ほかの作品で恐縮ですが『森のほとりでジャムを煮る(N4644DH)』の書籍が、カドカワBOOKSより発売になりました。

アラサーOLの異世界田舎暮らしをご一緒に楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。

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