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(七)本当は


 勢いよく閉めた寝室のドアに背中で寄りかかり、深呼吸で息を整える……カイさんに見られた。

 そりゃ、最初に一度見られているし、今回は一応下着姿だけど、あの時と今では事情が違う。やたら恥ずかしい。鏡を見なくたって、間違いなく首まで赤くなっているのが分かる。


 ちょっと、落ち着こう。ついこの前「熊と人の間で羞恥を感じるとは」みたいなことを思っていたばかりじゃないか。うん、確かにそう思っていた。

 いちいち照れるカイさんを可愛いなあと眺めていたのに、自分が照れる側に回るとはどういう心境の変化だ。相手は熊さんだよ。そう、熊。

 言い聞かせても胸がうるさい。顔がまだ熱い。


 だって……熊、だけど――カイさんだ。


 思えば。カイさんって、いい人なんだよね、実際。頼りになるし、気がきくし、純だし。自分と比べるからか出会いの状況からか、私がすごく弱く見えるみたいで過保護なのは確かだけど。

 爪も牙もあんなに鋭いのに、私に触れる手はいつだってどこまでも優しい。あんな風に、まるで大事な物みたいに扱われて嬉しくない人なんて、きっといない。


 旅行どころか飲み会すらほとんど行ったことがない私は、当然恋人もいたことがない。自分が感じるのも「〇〇くん、ちょっと格好いいよね」くらいの小学生レベルがせいぜいだ。

 だから、今のこの気持ちが、そういう意味を持つのかなんて分からない。でも、絶対に確かなことが一つある。


 私はこの世界の人間じゃない。


 どうしてか分からないけれど、偶然に入り込んでしまった()()であることは間違いのない事実。バグというか、無理やり嵌め込んだパズルのピースみたいな「私」という存在は、きっと、ずっと不安定なまま、いつか壊れるに違いない。

 この世界で初めて会ったひとで、助けてくれた恩人で、その後もずっと一緒にいてくれたから――この気持ちは依存ではないの? 

 優しくて、責任感の強いカイさんだから見捨てられないだけ。身勝手な感情は重いばかりで迷惑でしかない。


 ……甘かったなあ、もっと心を離しておかないとだめなんだろうな。

 胸のあたりがちくりとしたが、そのままさっき脱いだメイド服をもう一度手に取った。鈍い痛みの残る胸元を抱き込んだ服越しに押さえる……変なの。どうしてここが痛くなるんだろう。


 何も間違っていない。カイさんはここの人で、私はここの人じゃない。

 帰れるかどうかも分からないけれど、ここにいるべき人間ではなくて、だから、これ以上、


「……好きになっちゃ、だめなのに」


 無意識に避けていたその単語が、涙と一緒にぽたりと落ちた。


 ほろほろと雫が頬を伝わるたびに、想いもあふれていく。

 眠れない夜は散歩に連れ出してくれて。支離滅裂な泣き言を、嫌な顔一つせず黙って聞いてくれて。保存食で作る簡単なスープにもすごく喜んで。ちょっとしたことですぐ照れて。

 命を救って心も守ってくれた。

 歌とお話が好きで、何度も私に向こうのそれをせがんだ。覚えた旋律を一緒に歌ってと無理を言えば、ちゃんとあの声で歌ってくれて……異世界だなんて、こんな途方もなく理不尽な事態に陥っているのに、楽しいことしか思い出さない。


『白雪姫』の話をした、あの日。私――嫌じゃなかった。あのままキスしてもいいと、してほしいとさえ思った。

 何度も見せてくれたオーロラ。暖かい腕の中で見上げる夜空。


 それは、なんて。


「仕方ないよ……」


 手の甲で乱暴に目元をぬぐうと、少しシワになったワンピースに袖を通した。




 エプロンは着けないで、髪も軽く直してリビングに戻ると、予想外にそこは無人だった。

 もしかして待ちきれなくてどこかに行ってしまったのだろうか。でも、声も何も聞こえなかったし……って私、考え事すると自分の世界に入るタイプだった。


 ふと、窓の外に光が見えた。寄って外を窺うと、カイさんとあの来訪者の少年が雪の中で対峙している。はたから見れば、グリズリーに襲われる寸前の子どもという光景で、分かっていてもぎょっとしてしまう。


 二人の間には手のひらくらいの大きさの光の玉がふわふわと浮かんでいて、その灯りの届く範囲だけ雪も風も止んでいるようだった。あれも魔法、なんだろう。

 雪が木の枝や屋根から落ちるドサリという音は聞こえるのに、二人の声は一つも聞こえない。あんなに必死に身振り手振りも交えて話し続けるカイさんを初めて見た気がする。対する少年は飄々としていて……あ。地表から三十センチくらい浮かんでいる……魔法、再びこんにちは。


「ええと、カイさーん?」


 話は終わらなそうだけど、せめて着替えが終わったことは伝えておこう。私に気を遣って外にいるのかもしれないし。呼びかけながら窓枠をコンコンと軽く叩くとすぐに気付いてくれた。

 スゥと光がしぼむと同時に二人の声も聞こえるようになった。


「――ら、カイルフェルド。リッカも支度が済んだようだし、中に入ろう。師匠に風邪を引かせる気かい?」


 グルル、と喉の奥から不満そうな声が聞こえたが、にっこり笑った少年の後に大人しくついて、二人は室内に戻ってきたのだった。





 暖炉の前の大きなソファーに腰掛けて、お茶を淹れるとようやく雰囲気が和んだ。


「自己紹介がまだだったね。私はカイルフェルドの師匠でクイン・スタッドリー。クインと呼んでくれ」

柊木ひいらぎ六花りっかです」


 どうやらこの少年は本当にカイさんのお師匠さんのようだ。にこにこと出された手を重ねると、ぎゅっと両手で握られる。それは私より少し小さくて薄くて、やはり子どものものだったけれど、力強くて温かい、しっかりとした手だった。

 軽く話してくれたところによると、よくフラッと旅に出たりしていたが、今回「ちょっと出かけてくる」と言ったきり三年ほど消息不明で、カイさんは随分と心配していたらしい……ここに来たのも突然で、非常に我が道を行く人のようだ。


 まだ何か言いたげなカイさんと、全く気にしていなそうな向かいの少年の対比が何とも言えない。

 でも、カイさんにこうして気に掛ける人がいることが、なんとなく嬉しい。小さい時から魔力が強すぎて、あまり周囲の人達と……家族と、交流が持てなかったと聞いていたから。

 子どもが師匠なのは私の常識からは外れるのだけど、ここは異世界だし。なんていったってエルフやドワーフもいるのだから、外見と中身がそぐわないことくらいあるのだろう。そういうことにしておこう。


「それにしても不肖の弟子は、自分のことを何も君に話していないようだね。まったく、レディにばかり話させるなんて」


 じとり、と音がしそうな視線で眺められて、カイさんの不満そうな唸り声が低く響く。それを聞くとクインさんは、やれやれ、と両手を上に肩をすくめた。


「だいたい、いつまでその格好でいるつもりだい?」


 そのセリフにカイさんは、叱られた子どもみたいに大きくビクッとする。もごもごと口の中で言うカイさんに、クインさんはさらに呆れたように静かに長い息を吐いた。


「……だから言えなくなったと? それはおまえの事情だろう、隠し事はフェアじゃない。特に信頼関係を築きたい相手なら、なおさらだ。褒められたことじゃないね、カイルフェルド」


 嫌われてもいいのなら構わないけれど、と遠慮なく人差し指を向けられながらの言葉にぐう、と詰まるカイさん……一体なんの話だろうか。


「え、あの?」


 二人を見比べてきょときょとするばかりの私に、大丈夫、という風にふっと微笑むクインさん。この表情にこの余裕、やはりただの子どもではない。


「おまえが気まずいというのなら、強制的にするまでだ。弟子の不備は師匠が補わないとな。この歳でまた世話を掛けられるとは思わなかったぞ」


 言うが早いか、そのままカイさんに向けた指先をくるりと回す。とたん、指先から広がるキラキラした細かい光が、慌てて逃げようとするカイさんを包んだ。


「無駄だよ」


 楽しそうな声と同時に逃亡に失敗したカイさんは、座っていた大きなソファ―の陰に盛大な音を立てて沈んだ。


「わっ、カイさん!? 大丈夫ですかっ?」

「平気、平気。頑丈なのが取り柄だし――あ、リッカちょっと待っ、」


 だって、ズドガゴン! みたいなすごい音したし! もし頭でも打っていたら、なんて焦って駆け寄った私は、ソファーの後ろを一目見てそのまま立ち尽くす。


「っつぅ、痛った――」

「は……?」


 そこにいたのはカイさんじゃなかった。カイさんの毛色と同じ、明るい金茶色の髪をした男の人。赤くなった額をさすりながら私を見上げたその瞳は、見覚えのあるダークブラウン。

 お互いにがっちりと絡んだ視線を外せない。


「リッカ……」


 少し戸惑いと不安を含んだ、聞き覚えのある声。それは、魔獣を見たあの時のカイさんと同じ響きで私の名を呼んだ。


「……カイさん……?」

「リッカ」

「っ、なっ」


 嬉しそうに笑み崩れる表情が、熊のカイさんと重なる――でも、どうして。

 斜め後ろのクインさんから投げられたブランケットが、カイさんの大きな体を申し訳程度に隠したのと同時に、私は目をつむって顔を両手で覆ってくるりと背を向けた。


「なんで裸――っ!?」


 声にならない叫び声をあげて、今度はカイさんが寝室に駆け込んだのだった。 



明日でラストです。

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