(六)事件のような事故のような
夕食が済むとカイさんは見回りに行く。はじめの頃はログハウスの周囲で済ませていたけれど、私が落ち着いてからは、雪原のほうまで足を延ばすのが日課になっている。
私が来る前からあった魔力の不思議な動きがまだ続いているそうなので、何か変わったことはないか確認するのと、あとは体を動かしたいのもあるんだと思う。
毎日の掃除と、時々外に連れていってもらうので私は十分満足だけど、熊さんには雪かき程度じゃ運動不足だろうし。体を動かすのはいい気分転換にもなるしね。
魔獣を見たその日の夜も、カイさんはいつも通り出かけた。その間、私はお風呂の時間。
実はこのログハウスには浴室がちゃんとあって、北欧みたいにサウナもついている。ただ「離れ」にあって外に出なきゃいけないから、そこに着くまでが寒いんだけど。
熊のカイさんは頻繁に入浴する必要はないから、私一人のために毎日大量に水を汲んで薪を使ってお湯を沸かして、というのに抵抗を感じてしまう。カイさんは気にする必要はないって言ってくれるけど。なので、浴室を使うことは頻繁ではない。
そのかわり、サウナはちょくちょく使わせてもらっている。備え付けの小さい薪ストーブの上で焼いた石に水をかけて蒸気を出すタイプで準備が楽なのだ。
そのおかげか、冷え性気味だったのが嘘みたいに指先までいつも温かい。体調も肌の調子もよくって、思いがけない嬉しいおまけにほくほくしている。
部屋の暖かさは苦手なカイさんも、サウナは好きなようだ。サウナに入る熊……温泉に入る動物もいるから、おかしくない、うん。
カイさんからケモノ臭というか動物っぽい匂いがしたことがないのは、そのせいかもしれない。
ほかの日はキッチンでお湯を沸かして、桶とタオルで清拭よろしく済ませている。本当の入浴にはかなわないが、熱めのお湯で蒸しタオル風にするとちゃんとさっぱりして満足。ここでは化粧もしないし髪にスタイリング剤もつけないから、そこまで洗浄力も必要ではないし。
すっぴんをさらすのはちょっと抵抗を感じたけれど、それ以前に泣いてぐちゃぐちゃな顔とか情けないところをさんざん見せてしまっているからね、今更だ。
なので今日もいつも通り、お湯を寝室に運んでお風呂タイム。暖炉はリビングだけなので、普段はドアを開けて寝室も暖めているが、さすがにこの時は閉めて個室にする。
カイさんは出かけたばかりだから一時間は戻ってこないって知っているんだけど、こういうのは気分だ。なんとなく。
エプロンを脱ぎ、ワンピースの背中のくるみボタンも外していく。
靴は壊れてしまったが、着ていた服は無事だった。実は乾いてから一度着たのだが「ふくらはぎが見える丈」と「体の線が分かるリブニット」はこの世界的にアウトらしい。
湯気が出そうな顔でまた見えない汗を飛び散らせたカイさんが、大慌てで用意してくれた着替えは、やっぱり同じメイド服だった。
それと、彼シャツじゃあんまりだと思ったのだろう、寝間着もくれた。フリフリで、うっすい布地のベビードールみたいなネグリジェだった――何も言うまい。
きっと、今回もよく見ないで手近なのを掴んできたのだろう。色は水色で可愛い感じだし、まさかこんなセクシーなのが出てくるとは思わなかったようだ。袋から出してピラッと広げた時のカイさんの顔といったら!
ベビードー……ネグリジェをみた瞬間、ボッと音がしそうな勢いで真っ赤になったカイさんは、私と目が合うと今度はザアッと青くなった。
なぜ、熊顔なのにそんなに表情豊かなのかと聞きたい。
私の手からネグリジェをひったくると、袋にぎゅっと押し込んで、また赤い顔で何か熊語で喋って外に走っていこうとするのをなんとか引き止めた。
だ、大丈夫です、これでいいですっ。ええ、新婚さんかラブラブカップルが着るようなアレですけど、これがこっちの主流……え、違う? あ、そ、そうですか――ああっ、ちょっと、待っ、いいです、だってもう夜だし、カイさん今戻って来たばっかり、って、そんな無茶な。いやそんな、落ち着いてください。空間移動ってすごく疲れるんでしょう、何回も連続してやるもんじゃないって自分で……もうっ、大丈夫ですから、むしろこれがいいです! はい、可愛いです! これ着ます! わあ、素敵、こういうの欲しかったんです嬉しいなあっカイさんありがとうございます!
とかなんとか、最終的に心にもないことを言って引き止めたのもいい思い出だ。それに、彼シャツとベビードールと比べれば、まだこっちのほ……どっちもどっちか。まあ、いい。誰に見せるわけでもないし、布団は裸で寝ても十分ぬっくぬくに暖かいくらいだ。
そんなことを思い出すと勝手に笑いがこみあげてくる。あの慌てぶり。大きな熊さんのくせに、なんて可愛いんだろう。
くすくす笑いながら、タオルをぎゅっと絞って顔に当てる――ふう、気持ちいい。
肌着姿で上から順に拭いていって足首にたどり着いた時、リビングからカタンという音が聞こえた。
「……なに?」
カイさんは鍵をかけて出かけた。この魔力溜まりの雪原に来られる人はいない。だとすれば――ああ、あれか。暖炉の脇に積んである薪のストックが崩れたのかな。遠慮しないでどんどん使え、って、いつもたっぷり置いてくれるから。
カイさんは、一瞬でも火が弱まると私が凍え死ぬと思っているに違いない。
晴れても吹雪いても、雪と氷の季節のここでは一日中暖炉の火が消えることはない。揺らめく炎はどこの世界でも共通で、つい見入ってしまう。
ぼーっと火を見つめて動かない私を心配するカイさんと不意に目が合って、慌てて逸らされて、またちらりと合って。ふふっと笑い合うまでがお約束になっている。
あ、でも、燃え口のほうに倒れていたら危ない。火事になるかも。そう思った私はあわててリビングへのドアを開けた。
「やあ、こんばんは」
目の前にいたのは、小学生くらいの男の子だった。
まさにカラスの濡れ羽色といった艶のある漆黒の髪、瞳もよく見知った自分と同じような色合い。だけど、青みの強い白い肌と彫りの深い顔はどう見ても日本人ではない。
……誰?
唖然とする私の前に、その男の子はつかつかと歩み寄ってきた。背の高さはちょうど胸のあたり。屈託のない笑顔で見上げられる。
「あ、あの」
「怪しい者ではない。カイルフェルドの知己でね、そうはいっても、ずっと無沙汰してしまっているのだが」
やたらと落ち着いた態度には親しみが込められているのを感じるが、その言葉遣いも子どもらしい高い声も、実に不釣り合いだ。
大人? 子ども? いや、それよりとりあえず、
「え、と、カイさんは今、」
「ああ、雪原の西側にいるようだね。もうじきここに戻るよ」
家主不在を伝えようとしたら既に知っているようだ。え、戻るって、出かけてまだそんなに経っていないのに?
「だから、お嬢さんはその前に……何か着たほうがいいね」
「えっ、あ、きゃ!?」
つん、と人差し指で鎖骨のあたりをつつかれて、自分が肌着一枚だったことを急に思い出す。にこにこと楽しそうにしている表情には一切色を感じなくて、それは、親が子に向けるようなものに近い気がした。
「あの弟子には、保養を通り越して目の毒だ」
「弟子?」
想定外の単語を思わず聞き返す。何か言おうとその唇が動いたのと同時に、壊れそうな勢いで鍵が開けられログハウスの扉が動き、全身に雪をまとったカイさんが転がるように入ってきた。ああ、夜になってまた降り出したんだな。
――ん、鍵かかってた? あれ、そういえばこっちの彼は濡れてもいないし、今更だけど、シャツ一枚でコートどころか上着すら着ていないね……?
「お帰り。久しぶりだね、カイルフェルド」
『――!! ――、――!?』
「ああ、分かった、分かった。それは後で話すから」
わあ、珍しい、カイさんがすごい勢いでガウガウと言い立ててる。あわあわしている時も、こんなに大きな声で感情をあらわにしたことなかったのに。
両手で耳をふさいだ少年はどこ吹く風だけど、どう見ても気の置けない関係のようだから、二人が親しい間柄なのは間違いないんだろう。
「まあ落ち着きなさい。レディの前だよ」
尚も言い募るカイさんだったけど、その返事にはっと我に返って、私とばっちり目が合った……あ。
『~~っ!』
「や、やだっ」
腕で体を隠しながらダッシュで部屋に駆け込む。ドアを閉める寸前に、何か大きいものが倒れる音と、押し殺した笑い声が聞こえた気がした。




