(五)「かわいい」
ログハウスの納屋には暖炉用の薪が壁一面に積んである。防寒必須な私のために、カイさんがたくさん用意してくれた。
森の中だから木はあるけれど、薪って生木はダメなんじゃなかったろうか。半年くらいかけて乾燥させたはず……疑問に思った私の目の前で、カイさんはぶわっと不思議な風を起こして、切ったばかりの大量の薪をあっという間に乾かしてしまった――魔法バンザイ。
魔力に馴染みのない私を驚かせないようにしているのか、カイさんはあまり大っぴらに魔法は使わない。でも時々こうして見せてくれる魔法は嫌いじゃない。
あの夜のオーロラのような、触れられないけれど確かにそこにある、不思議な存在感に圧倒される。
その納屋の棚には、薪以外のものが二つ置いてある。
一つは十本ずつまとめた小枝の束。カレンダーのないここで、私が日を数えるのに使っている。とはいえ、始めたのは精神的に落ち着いてからだから、そこまで正確じゃない。いいんだ、大体で。
もう一つは私がもともと履いていたブーツだが、壊れていて履くことはできない。事の次第はこうだ。
怪我を治したりするいわゆる回復魔法は、それを掛ける術者の負担が大きい。しかも相手は瀕死状態の私。体を治すことを最優先した結果、濡れた服を乾かすまでの魔力が残らなかったらしい。
それであの裸に簀巻き状態になったわけだが、うん。いいよ、大丈夫。非常時だったし、命の恩人だし、せっかく助かったのに濡れたままで肺炎とか嫌だし。そんなに照れて恐縮して縮こまらなくていいってば。
見なかったから、いや、全然見ないわけにいかなかったから、少しは見てしまったけれど、そんなやましい気持ちは無くって――等々。ここまで聞き出すのにかなりかかった。
途中で何度も逃げ出しちゃうし、毛があるのに分かるくらいに真っ赤になってガウガウと口ごもるし、なんて純な熊さんだろうか。
それ以前に、熊と人の間で「恥ずかしい」とかそういった感情が発生するんだなあって、そっちのほうに感心してしまった。種族を超えて家庭を持つのも普通だというから、そんなものなのかもしれない。
このへん、恋愛偏差値の低すぎる私にはよく分からない。カイさんのことはすごくいい人だと思うし、一緒にいて楽しいし安心もするけどやっぱり、ほら、熊さんだし。
……この前の散歩の時の、あの出来事にはお互いに触れていない。
倒れ込んだせいで距離が近かっただけ。キスされそうになったのかもなんて、勝手に勘違いしたら、カイさんに失礼だよ。
何気にドキドキしてしまうのも、いい加減やめにしないと。
ショートブーツに付いていたファスナーを見たことがなかったそうで、焦って脱がそうとして壊してしまったと、しおしおと謝られた。修理を試みてしばらく悪戦苦闘していたという……どうりで靴が見当たらなかったわけだ。
あんまりしょぼんとしていて、なんだか可愛い。もっとも、仕組みが分かったところで熊の手であの小さいツマミは難しいと思うわ。
そうして私が目を回して寝ている間に、魔力の回復を待って大急ぎで手に入れてきたのが、このメイド服だったというわけだ。
一番手近にあったのをよく見ないで持ってきてしまった、と申し訳なさそうに告白されたけれど、こんな恥ずかしがり屋のカイさんが女性服の店で買い物なんて、それだけでありがたい。
聞けば他はドレスのようなものばかりだったらしいから、かえってこれで良かった。服に食費に薪代に……人里に着いたらまずは職を探して、カイさんに返していかないと。
今は監視が必要な「魔力溜まり」は他にはないからと、私の面倒を見るためにここにもいてくれているし。うーん、休業補償もつけなきゃだわ。
そのことを言えばいつも少し寂しそうな目をする。特殊な仕事で収入はあるから気にしなくていいと言われても、そういうわけにはいかないよね。
せめて今できることと言えば、このログハウスをピカピカに磨き上げることくらい。
そんなわけだから掃除はかなり頑張った。そして頑張りがいのある小屋だった。
カイさんは仕事の時はここに滞在するが、そう頻繁でもない。今回来たのは半年ぶりだったという。寝るときしかいないし、メインは仕事だから当然掃除なんて自分が使うところのみの最低限だ。
最初に私が寝せられていたのは実はカイさんのベッドだったが、もう一つの寝室はとても使える状態ではなかった。
布団が扉付きの棚に仕舞われていて本当によかった。床のホコリの堆積もすごかったもの。
ちなみに、掃除はこのメイドスタイルにぴったりの、ハタキに箒にモップだ。ここに来て箒使いも随分上達した。慣れるとすごく便利。静かだし、細くて柄が長いから隙間にも届く。床の板の目の間に入り込んだ細かい砂やホコリも綺麗に掃き出せるようになった。
たいそうな汚れぶりを気まずそうにするカイさんには、屋外の窓ふきを手伝ってもらって、私はせっせとハタキをかけ、箒で掃き、モップを動かす。
ラグの砂を叩き落とし、内側の窓ガラスも磨きあげると、見違えるほどになった室内にカイさんは目を丸くした。どう見ても熊の顔なのに、ものすごく表情豊か。
カイさんの強すぎる魔力は大きな魔法に向いていて、生活に即した魔法などの小さなものは苦手だそうだ。細かく制御ができれば、もっと私が過ごしやすくできるはずなのに、と時々自分の手を見つめてはしょんぼりしている――過ぎるくらい良くしてもらっているし、その気持ちだけで充分だ。
料理も自分ではしないので、私の簡単な調理も興味深いらしい。キッチンは二人で立つには狭いのもあって、わざわざ裏庭に回って窓越しに眺めている。体は大きいのに、私の手元を覗き込むその瞳は小さな子どもみたいにキラキラしていてなんだか可愛い。
掃除をして、保存食で簡単な料理を作り、ときどき屋内に戻ってくるカイさんと筆談し、晴れた森を散歩して、大小の寝室に分かれて眠る。
外がどんなに吹雪いても、隙間風一つ入らないここは静かで暖かくて――異世界の僻地だということを忘れそうになるくらい、雪の森での生活は穏やかだった。
そんな毎日が変わったのは、納屋に置いている小枝の束が八つ目になったころ。
凍るように冷え込む日は随分少なくなってきた。まだまだ根雪は頑張っているけれど、一日中雪が降り続けるようなこともない。森を渡る風にもなんとなく色がつき始め、冬の終わりを感じる。
二人でいつものように森の中を散歩していた時、遠くに何か動くもの――生き物を見つけた。
「カイさん、あれ」
私より早くにそれに気付いていたカイさんはしぃっ、と人差し指で私の唇を軽くおさえる。むぅ、左腕一本で立て抱っことは、どれだけ腕力があるのか。そしてまるっきり子どもの扱いだ、慣れたけど。
魔力溜まりのここには普通の動物はいない。いるのは魔力の強い「魔獣」と呼ばれるものだ。個体数は多くなく、警戒心も強いため滅多に見ることはない。
雪の下に潜むこともある。魔力に疎い私がそれに気付かず、うっかり踏んだりしたら危険だから、と自分の足で歩かせてくれない理由の一つだ。そのまま足がなくなることもあるそうで、なにそれこわい。
少し先の木々の間、ちらちらと見え隠れする魔獣に目が釘付けになる。考えてみれば、渡り鳥も避けて通るこの雪原地帯で、カイさん以外に生きて動くものを見たのは初めてだ。
魔獣は自分から姿を現すときは襲う気満々だから本当に危険だけれど、偶然行き会ったような時は刺激を与えなければ大丈夫とも聞いた。
見ていてもいいかと、カイさんの耳に唇を寄せて小声で訊くと、私を抱く腕にきゅっと力を入れてから頷いて、少しだけ近寄ってくれた。
全体的な印象は少し大きめの犬というか、狼というか。厚いモフっとした毛が全身を覆っていて、その色は背中が薄いグレーでお腹側は白い。小さめの耳と、体長と同じくらい長いふさふさの尻尾。
小さな鳥がぱたぱたと近くを飛んで、まるで一羽と一匹で遊んでいるように見える。耳の傍をクチバシでつんつんして、頭を振って落とされて、今度は背中に乗ったら尻尾で追い払われて……じゃれているみたい。楽しそう。
小鳥の方は茶色とオレンジの羽色。広げた翼の内側が、はっとするくらい綺麗な橙色だった。
どちらも魔獣なのだけれども、まるで近づく春にウキウキしているような様子は本当に可愛くて、ついつい顔がにやけてしまう。
『……かわいいな』
「本当、すごくかわいいっ。あれはなんていうんですか?」
『ヴァハルと、小さいのはユンナだけど、そっちじゃな――っ、リッカ?』
「へえ、狼っぽいのがヴァハル。ユンナはちょっとアトリに似ています。あ、アトリは私が住んでいたところの小鳥で、」
『リッカ』
「はい。どうしました、カイさん? ……ん? カイさん、今、」
耳に入っていたのはガウガウという、いつもの声だった。でも、その声に意味を、言葉を感じる。
驚いて顔を上げると、まん丸く見開いたカイさんのダークブラウンの瞳に写る私のびっくり顔。
「え……」
『リッカ』
急くように開かれた口、牙の奥から聞こえる唸り声。それは確かに私の名を呼んだ。
「……カイさん。はい」
一瞬腕が緩んだけれど、落とされなかったのはさすがだと思う。
膝の後ろで抱え直されて、金茶色の毛で覆われた両肩に手をついた私と、カイさんの見上げる視線が交差する。
『――っ、~~~~!』
「えっ、あ、戻っちゃ――って、消えた……!?」
すごく混乱した早口はいつもの熊語に戻ってしまって、もう私にはカイさんの言葉は分からなくなっていた。
あわあわする私たちに気付いて、魔獣たちはさっと姿を消してしまう。文字通り、しゅうと消えてしまったのだ。わお、異世界。
『――、――』
「……分からないです」
お互い顔を見合わせて、首をかしげて言葉少なにログハウスへと戻った。
その晩、カイさんが見回りに出かけている間に、次のびっくりがやって来たのだった。




