(6)『腐れ猫被り』
少女は相手によって態度を豹変する。
ある者は戸惑い、ある者は苛立ち、ある者は楽しげに静観する。
その手の早さ、その気の早さ、吉と出るか凶と出るか。
静寂が場を支配していた。
さっきまで一階エントランスホールを戦いの喧騒が支配していたとは思えない程の静けさの中で、俺は二つの感覚に挟まれていた。
一つは、目の前できらきらと輝く瞳を俺に向けながら、俺の両手を包み込むように握り締める少女[いちごタルト]の柔らかな体温。
そしてもう一つは、背後でおそらく〈*フェンリルファング・ダガー〉と思しき鋭い何かを突きつけてくるギルドメンバー[刹那]の無言の威圧。
さながら前門の猫、後門の鬼――しかも鬼の方は何を怒っているのかもわからない、いつもの急性不機嫌症候群の発作が出ていた。しかし、後ろの鬼を宥めようにも両手は正面でいちごタルトに確保されていて、完全に打つ手がなくなっていた。
仕方なく刹那のことは一旦無視して、正面の猫の相手に集中することにする。
「えっと……貴女は?」
「私の名前はいちごタルトですっ! 遠慮なく『いちごちゃん♪』とお呼びくださいです、お姉様っ♪」
名前は見ればわかる。
「貴女、≪竜乙女達≫所属だよね」
「遠慮なく『いちごちゃん♪』とお呼びくださいです、お姉様っ♪」
「貴女のところのGLなら、一足先に帰っているはずなんだけど……」
「遠慮なく『いちごちゃん♪』とお呼びくださいです、お姉様っ♪」
「えっと……貴女は――」
「遠慮なく『いちごちゃん♪』とお呼びくださいです、お姉様っ♪」
めんどくせぇ……。
助けを求めるように視界内にいたトドロキさん、ネアちゃん、リコに視線を遣ると、トドロキさんはとても楽しそうな笑顔でネアちゃんの口元を押さえ、リコはそんな彼女を助けようとしているのかトドロキさんの手首を引っ張っている。要するに、各々助け舟を出す予定はなさそうだった。
ちらっと階下にも視線を送るものの、リコが階段を登っている途中でネアちゃんがトドロキさんに捕まったせいか、引きずられていたアプリコットは階段の半ば程に放り出されていた。元々アプリコットに助けを求めるつもりもないからそれはそれでいいのだが、その場で取り出した毛布にくるまって芋虫状態への第一次移行が完了している姿を見ると、あれ後から誰かに蹴飛ばされるんだろうな、なんてどうでもいいことが頭を過る。
助けを諦め、俺は再びいちごタルトに目線を戻した。
「いちごちゃんは――」
「はい、なんですかっ、お姉様ッ!」
質問受け付ける気あるのか、コイツ。
「いちごちゃんは≪竜乙女達≫に所属しているのよね? 隊は?」
「は、はい、お姉様ぁ♪ 竜乙女の戦闘隊に所属してますぅ~♪ これでもギルドでは主力部隊の一員なんですよぉ~♪」
いちごタルトはやや溜めるような甘ったるい響きを持たせた猫撫で声でそう答えつつ、パッと離した右手を空中に滑らせて、ギルド発行の[メンバーカード]のデータウィンドウを可視化して見せてくる。
役職欄に『戦闘隊副隊長補佐官』って書いてあるんだが。
≪竜乙女達≫の内情にはそれ程明るくないが、GLのドナ姉さんの下にその側近である“四竜”が付き、その下に編成された各部隊にそれぞれ副隊長がいたはずだ。彼女がその補佐官ということは現場では当然PTリーダー相当、状況によっては複数のPTを指揮する立場になるだろう。その立場にある人間が一人で協力体制を築く予定のギルドまで来て、経緯はよくわからないが居合わせた人と戦っている。
本当に大丈夫か、≪竜乙女達≫。
「ところで、いちごちゃんのところのGLはもう帰ってるはずだけど……」
「それなんですっ! お姉様、じゃなくてっ……ナナお姉様の元気がなかったのはどうしてなんですかっ、シイナお姉様!」
またも俺の両手を取って潤んだ上目遣いで見上げてくるいちごタルトについさっき発覚したばかりの出来事をどう伝えるか迷っていると、さっきからずっと無防備な背中に触れている鋭い感触が何かを促すようにわずかに力の向きを変えた。
残念ながら俺はそんな物騒なコミュニケーション手段を持ち合わせていないが。
しかし、そんな殺気を感じ取ったのか、あるいは俺の反応を不審に思ったのか、いちごタルトはちらっと俺の背後に視線を揺らし――
「もしかしてテメェが何かやったのか、女狐ェ……」
――ぎぎぎっと細く鋭い血走った目でその方向を睨み付けた。
怖ぇッ……!? アプリコットと戦ってる時からそうだとは思ってたけど、コイツも裏があるタイプかよ!
「あ゛?」
勿論、後門の鬼ことあの刹那がそんなことを言われて大人しくしているはずもなく、俄に怒りのボルテージが急上昇した声色で威嚇を返す。
ていうかあの、刹那さん、ちょっと刺さってます。痛い。
「ナニ、その態度。人が黙って聞いてたら随分勝手な因縁つけてくれるじゃない。ナメてんの?」
「後ろでこそこそシイナお姉様といちゃつきやがって、目障りな置物はもっと後ろの方で控えてろよ」
「アンタ、そんなに置物になりたいならヤッてあげるわ」
背中に食い込んでいた刃の感覚が離れ、ほぼ同時に背後から青白い閃光と共にバチバチッとスパーク音が轟き始める。恐ろしすぎて刹那の方を振り返ることはできないが、今彼女は激しい電流が迸る〈*フェンリルファング・ダガー〉を手にし、怒りもそこそこに殺意を帯びた目をいちごタルトに向けていることだろう。
「キャーッ、怖いですぅっ。シイナお姉様、助けて~♪」
一方、件のいちごタルトは無謀にも自分が何をしているのかも理解していない顔のまま、俺の胸に飛び込んで黄色い悲鳴を上げている。マジでこっちに振るな。
「いちごちゃん」
俺はできるだけ背後を刺激しないように穏やかな声を取り繕っていちごタルトの両肩に手を置き、しっかりと把握する。途端、いちごタルトはパッと顔を上げ、きらきらと熱を帯びた瞳で俺の目をまっすぐ見つめてくる。俺の何が彼女の琴線に触れたのかはわからないが、その目には憧れと感動が溢れていた。
「本当にごめん」
いちごタルトの瞳に驚きが生まれる。だが、その表情の変化を観察する間もなく、俺は彼女の肩を押し退けて身体を翻すと、素早く手すりを超えて一階エントランスホールに飛び降りる。
頭上からはトドロキさんの「逃げの判断ええねぇ」なんて無責任な言葉がぼそっと聞こえてきたが、あんなのに挟まれていたら命がいくつあっても足りないどころか、精神面への悪影響まで含めたらただの生き地獄そのものである。
「待ちなさいよッ!」
まだ階上から聞こえる刹那の怒声に少しほっとするのも束の間、何の気なしに上を見上げると――
「シイナお姉様~♪」
「え゛」
――黄色い声を上げながら空中で小さく丸まった姿勢のいちごタルトが降ってきて、咄嗟に前に出てしまった俺の腕にすぽっと収まった。ちょうど俺の右腕は彼女の背中を、左腕は細い脚の膝関節を引っ掛けるように支えている。所謂お姫様抱っこと呼ばれる姿勢で。
「お姉様ならきっと受け止めてくれると信じてましたぁ~♪」
「ちょっとシイナ、どういうつもりよ! まさか裏切るつもり?」
「滅相もございません!?」
頭上から降ってくる怒声に慌てて両腕を跳ね上げるようにいちごタルトの身体をふわりと放り投げると、彼女が危なげない挙動で床に着地するのとほぼ同じタイミングで刹那もホールに飛び降りてくる。
刹那の手には当然〈*フェンリルファング・ダガー〉が握られていて、その見るものを射殺さんばかりに鋭い眼光はまっすぐ俺の方を睨み付けている。何故だ。
だが、その視線もいちごタルトが背中の帯銃帯から二丁拳銃を引き抜くと自然とそっちに移動し、刹那の方も合わせるように二本目の得物――柄の部分に小さな落涙型の宝石があしらわれた短剣〈*悲涙の嘆剣モーニング・ルサールカ〉を実体化して左手に構える。
「私。アンタみたいな勘違い馬鹿がこの世で一番嫌いなのよ、腐れ猫被り」
「テメェに言われたかねぇよ、性悪女狐」
二人の視線が交錯し、その間で怒りと病みの感情が火花を散らすように両方の殺意が爆発的に増幅する。
双短剣技と二丁拳銃――――完全に対極に位置する武器の対戦カードだが、正直ぶつかる前からその勝敗は見えていた。
「【予測線崩壊】!」「【双蛇咬蹴】!」
いちごタルトが〈*虚躯銃ヴァニティル〉の付加スキルを発動した瞬間、一息で肉薄した刹那の足先が反応できていないいちごタルトの脇腹と脛に突き刺さる。
どう頑張ったってこの間合いならスキル技の方が早い。まして相手は≪アルカナクラウン≫最速の刹那だ。そもそもいちごタルトの方が不利な勝負だった。
ビシュッ!
刹那の蹴りに身体の芯を揺らされながらも何とか〈*黒神姫・壱型〉の引き金を引く。ただその狙いは甘く、【予測線崩壊】の効果で回転した射線も刹那の身体から遠いところを通り抜けて階段の辺りに着弾した。
ちなみにあの【予測線崩壊】というスキル、至近距離の相手にはまず使えない。これは回転した射線が角度によっては使用者である自分の身体と高確率で重なってしまうからなのだが、昔この“OKディスタ”という戦術を対人戦で度々使っていた俺をその方法で突破してきたのが刹那だ。この戦術を知らない相手には極めて有効だが、知っている相手には幾つかある攻略法によって簡単に突破されてしまう、それがあの『他方向からの必中射撃』の弱点である。要するに初見殺しの毛色が強い欠陥戦術なのだ。
「【拒絶する弄電】!」
更に刹那の両手の武器の間に走るように生成された蒼い電性火花が一瞬でいちごタルトの身体に肉薄し、頭上から飲み込むように襲いかかる。
「……くぅッ!」
身体中を放電エフェクトに舐め尽くされたいちごタルトは“感電”デバフを受けてその挙動が揺らぎ、カーペットの床に膝を付く。何とか床に手をついて倒れるのだけは踏み留まっているが、正直まともに戦闘になっていない分精神面へのダメージの方は大きいだろう。
そもそも安全圏内のギルドハウス内では体力へのダメージは0だしな。それでも痛覚やノックバック・部位欠損・デバフに関しては通常仕様だし、さっきのアプリコットのような攻撃で首でも落とされようものなら確定死判定は避けられないから止めざるを得なかったが。
「噛み付いてきた割に所詮この程度ね。まあアンタなんかが私に勝とうってのが百万世紀早いのよ」
「キャンキャンうるさいから油断してただけですッ。調子に乗るなよ、ピンク女!」
「アンタ自分の姿差し置いて誰がピンク女よ! っていうか現状戦力トップの≪アルカナクラウン≫に対して油断する余裕があるなんて頭お花畑は気楽でいいわね」
「トップなのは総・合・力、だろうが! テメェが強いんじゃないです、このお荷物」
「なんっ……ですってェッ!?」
男同士の争いは馬鹿らしい醜さがあるけど女同士の争いって純粋に怖いよな、と世界の真理について考えつつ目の前の戦争をどうすることもできず傍観していると、
「とりあえず三人共ええ加減にせぇや」
パシィ、パシィッ、スパーンッ!!!
頭上から降ってきたトドロキさんの武力介入によって強制停戦の運びとなった。
「あんまおイタが過ぎるとこうなるで、お三方」
「何よ、そのハリセン、この馬鹿威力!」
「トドロキさん、ただ巻き込まれただけの人一人いませんか、ほらここに!」
というかマジで痛かった。いちごタルトもあまりの痛みからか声も出せず、掠れるような呼吸音を漏らしながら頭を抱えて床に転がるように悶えている。
「ほんでほんとのところは何の用やねん、[いちごタルト]。も・と・い♪ ――――元竜乙女の偵察隊所属の対人諜報官“血塗れ苺”」
Tips:『メンバーカード』
[FreiheitOnline]において、各ギルドがそれぞれのギルドメンバーに対して発行することができる可視化されたメンバー証明証。プレイヤープロフィールとは異なり、基本的には所有者が提示しなければ公開されない情報だが、所属ギルドだけでなくギルド内での役職や達成した功績等の記録を任意に記載できるため、知名度が高い大きなギルドのメンバー等の場合自己紹介の代わりとして使用しているプレイヤーも多い。




