(4)『普通に嬉しいです』
新たな敵の出現は彼らの心にも影を落とす。
されど寓意の王冠は象徴たりえる、道化を喰らう最たる剣。
些末な敵は食い破り、巨大な塔を上る。それが彼らの使命なれば。
「例の三人、とりあえず確保できたみたいやね。無事に、とは流石に言われへんけど」
新たな敵の出現を鏡越しに目の当たりにしてからおよそ二十分後、ドナ姉さんとメッセージを交わしていたらしいトドロキさんが部屋の空気を払拭するように乾いた笑みを浮かべてそう言った。
あれから部屋の中にいた面々は自然と頭の中を整理するかのように揃って黙りこくり、映像で見た連中の追求や考察も特に共有しない何処か気まずい時間が流れていた。アンダーヒルだけはデータウィンドウを注視してずっと何かを確認していたが、他の映像でも探していたのか、さっきの映像を精査していたのか、あるいは保護されるまで今現在の映像をリアルタイムで監視していたのか、それすら共有されていなかった。
とはいえ、正直無理もないだろう。それだけショッキングな映像だったし、刹那に至っては≪道化の王冠≫以外に攻略を妨害しに来る敵がいるということ自体が理解の範疇になかったようだった。
「アンダーヒル、コイツらが誰なのか、個人を判別できないか?」
トドロキさんに倣ってアンダーヒルに話を振ると、アンダーヒルはデータウィンドウから顔を上げ、しかしふるふると首を横に振った。
「率直に言って、データが少ないです」
「だよな……」
路地が薄暗い上に赤装備の連中は巧妙に顔を隠している。口包帯の奴だけは最後の台詞を見てもおそらく男だろうとわかるものの、個人の特定となるといくらアンダーヒルでも流石に無理があるのだろう。
映像データに名前が映っていれば話は早かったのだが、アンダーヒルの【言葉語りの魔鏡台】はあくまで鏡に映ったものをそのまま映像として記録するスキルだ。プレイヤーの名前やモンスターの体力値バーのようにプレイヤーの視界内でのみ表示される情報は実際の景色に映り込むこともない。
後の頼みの綱は今回襲われた三人だが、今の時点で新たな情報が来ていないならおそらくまだまともに話せる状態ではないようだ。
「強いて言えば、分かるのは彼らが本来のFO環境下でPK慣れしているプレイヤーであり、少なくともこの五人はごく最近になってから合流し、組織化した集団というくらいでしょうか」
あの映像からそんなに読み取れるのか。
アンダーヒルの言うことだからそれなりの確証があるのだろうが、何処をどう見ればその情報が取れるのかは正直さっぱりわからない。
「アンダーヒル、今回の巨塔攻略はウチらに任せて、ナナに協力したってくれへんか? “言葉語りの魔鏡監視網”なしで連中の足取りを追うんは流石に酷やし、逆にあんな目立つ格好でトゥルムにいたらどっかの鏡に引っかかるやろ。あれがただのカモフラージュだとしても何かしらの手掛かりは得られるやろし」
「それは構いませんが……であるなら、十分に気を付けてください。先程の台詞は≪竜乙女達≫というギルドに対する警告――宣戦布告になります。彼らの目的がこの[DeadEndOnline]による継続支配なら必ず巨塔攻略を公言している我々≪アルカナクラウン≫も標的となっているはずです」
アンダーヒルは再びメニューウィンドウを操作すると、巻物状のテキストデータをその手に実体化させ、それをトドロキさんに差し出した。
「なんこれ?」
「ちょうどいい機会ですので、貴方方にも渡しておきます」
同じように俺と刹那にも渡してきた巻物をデータウィンドウに放り込むと、瞬時に読み込まれたデータがウィンドウに表示される。
それは何かの――おそらくプレイヤー名のリストだった。
「これは私が収集している情報から抽出した、殺人や決闘外の暴力行為・恐喝等の犯罪行為を行ったプレイヤーのリストです。以前からの情報が含まれていますので、寄生や放置等、現DO環境では必ずしも正当性がないとは言い切れないものもありますが、それは留意しておいてください。加えて、不自然に流布されたと思われる情報とその発信元のリストも付けておきました。最低限、そのリストにある人物には気を付けてください」
「最低限ってこれ十八ページ……千人以上いるじゃないの」
刹那が呆れたように言いながらざっくりと目を通していく。
「データオプションに検索機能も付けてありますので、必要であればご活用ください」
「気が利いてるじゃないの」
俺もリストに目を通していると、ちゃっかり[儚][クロノス][魑魅魍魎]、それに[ミキリ]の名前も入っていた。今や完全に無力化できている彼女だが、思想的・立場的には危険人物に間違いはないし、強ち間違いでもない。
「それとシイナ、ネアを連れていくのでしたら必ず守ってあげてください」
「それは勿論」
ネアちゃんはこの九ヶ月でリスキーな巨塔攻略の戦闘を生き残り、経験値倍化のユニークスキル【全途他難】の効果で飛躍的にレベルアップした。
そのプレイヤーレベルは驚異の683。
そのステータスは中堅クラスとしては十分な数値で、装備次第では巨塔ミッテヴェルトでもある程度安全に立ち回ることができるだろう。
普通に考えればスキルでレベルアップだけを二倍速にしたところで本人の強さが伴うはずはなく、熟練度の成長という意味でもレベルアップに追いつけないため、もうしばらくは高いレベルも宝の持ち腐れになると思われていた。
しかし、ネアちゃん――水橋さんは元々要領がいい努力家の優等生。高い記憶力も相俟って学習能力が高く、コツさえ掴んでしまえば巨塔攻略に必要な立ち回りをものにするのは尋常じゃなく早かったのだ。
驚くことに、彼女の戦技教導を担当したのは[アプリコット]だ。
種族くらいしか共通点がない二人だが、あの気紛れの権化とも言うべきアプリコットはかなり真面目に色々なことを教えていたらしく、ネアちゃんはちゃんと天使種の種族特性に合わせた魔法特化の戦闘スタイルを習得していた。幸いなことに、天使種の癖に回復魔法を取得していないアプリコットのスタイルに惑わされず、その他の攻撃・補助魔法に関してだけおすすめの魔法を聞き出して徐々に覚えている途中らしい。
アプリコット曰く、
「べ、別にネアを育てれば楽できるなんてこと、ボク全然思ってないんだからねッ、とかってボクっ娘ツンデレなんて違和感漂うパラメータ演じればただ面倒くさいだけなのを誤魔化せたりしませんかね?」
知らんがな。とにかくサボりたいから働いているという相変わらず残念な思考回路だった。
ちなみに、アプリコットはプレイヤーレベル1000で間違いなく天使種の進化条件を満たしているにも関わらず何故かどの上位派生種にも進化していない。特に興味もないためその真意を確かめるつもりもなかったが、ネアちゃんが同じように未だ次の進化を保留していると聞いて心配になり、それとなくアプリコットに確認したところ、ネアちゃん自身がまだ迷っているということだった。
何はともあれ、今は引き続き魔法熟練度強化を図りつつ、刹那に護身術程度の近接短剣術を習っているらしい。感受性が強いのか、最近極稀に刹那のような思い込みから来る暴走をするようになり、内心保護者的立場だと思っている俺としては不安を感じずにはいられない。精神衛生上、よくないのだ。あの二人は。
閑話休題。
「というか、皆でドナ姉さんに協力した方が早くないですか? もし捕物になるようなら、連中と戦える戦力は多い方が色々安心でしょうし」
ふと思ったままの提案をすると、トドロキさんは大仰な動作で手を広げ、『これだから素人は』とでも言いたげに頭を振った。
「ナナはあれでもFO第三位の実力者で、最上位級のギルドを率いるリーダーやで、シイナ。ジブンかて自分より下のランカーに心配されたら嫌やろ?」
「すいません。アンタらみたいにそこまでひねくれた育ち方してないんで、心配してくれると普通に嬉しいです」
「ちょっとシイナ。今アンタらの『ら』に誰含めたのか言ってみなさいよ」
自覚があるのか勘が鋭いのかはわからないが流石刹那。
「まあ、いい意味でナナにはあまり関わらん方がいいっちゅうこっちゃ」
「その言葉にいい意味あるんですか……?」
「動かせる人員もウチらより潤っとるわけやしな。こっちはこっちで少数精鋭の利点生かせばええんよ。ウチとシイナはたった200のベータテスター、誰よりも長くFOをプレイしてる貫禄をこーゆーとこで見せたらなアカンやろ♪」
「たった200人ねぇ……」
ゲームの歴史上、現役ユーザー数百万人規模のVRMMO自体[FreiheitOnline]が初めてだが、ROLは従来の比率で言えば数万人規模で行われるクローズド・ベータテストを何故か極めて少ない人数に固定して行っている。その理由も特に公表されておらず、ネット上で飛び交った色んな考察もいまいち説得力が薄かったため、未だに謎が多い話である。
「さてと――」
とりあえず話も纏まった辺りで立ち上がると、隣で何やらウィンドウを操作していた刹那もほぼ同時にベッドの上から立ち上がった。
「とりあえず攻略の話もしないといけないし、戻ってリュウとシンを叩き起こしてこようか」
「そっちは今玖音に行かせたからいーわよ」
「おん、仕事が早いな。でも、玖音一人で大丈夫か?」
「いつも適当言ってサボってるんだから、たまには苦労もさせておかないとね。それに二人だって玖音たち本気で困らせるようなワガママ言わないでしょ」
NPCのメイドは便宜上雇用主に当たるプレイヤー――この場合は刹那やギルドメンバーに対して、強く逆らうことはできない。勿論メイドの性格や親密度合いによってある程度遊びの余地はあるが、ギルドメンバーがある意味お約束の『あと五分』なんて言おうものなら、文句を言ったり呆れたりしながらも甘やかすように五分待ってしまうのだ。たとえそれが冗談半分の『一時間』でも素直に聞き入れるだろう。
それがわかっているから、リュウもシンも正常な思考判断ができるようになっていたら多少眠くても起き出してくる、というわけだ。
ただそれでも、二人が本気で寝惚けていたら無意味なのだが。
「ゆーて刹那が部屋のドア叩いた方が爆速で起きるんちゃうかな」
「それはある」
「どういう意味よ」
恐怖に勝る目覚ましはない。
刹那に睨まれながらも四人揃って部屋を出た後、アンダーヒルが「ドナドナに連絡して捜索態勢に入ります」と言って自分の部屋に戻っていくのを見送り、刹那・トドロキさんと共にロビーに向かう無駄に広い廊下を歩き始める。
「そう言えばトドロキさんってドナ姉さんと知り合いなんですか?」
「ん? ああ、まあそやね。知り合いっちゅーか、リアルの関わりやね。ナナにFO勧めたんはウチなんよ。言うても最初はグダグダごねとったからデバイスごと送りつけて無理矢理引き込んだんやけど」
だから名前が売られる子牛なんじゃないだろうか。
「だからアンタたち無駄に親しげなのね。遠慮も容赦もない距離感だったし、妙に変な呼び方してると思ってたけど、リアフレなら当然か」
「ナナとリッちゃんってやつ?」
「そ、それは別にええやん。忘れといてや」
ドナドナとスリーカーズだと思って妙な雰囲気を感じてはいたけど、この反応もしかしてトドロキさんの本名ってトドロキリッ――
「そ、そうゆう二人はリアフレとか面割れとるヤツはいないんか? そーゆーヤツこそ協力させやすいねんけどなー」
「いたら最初に声かけてるでしょうが」
「そ、そやね……アハハ」
トドロキさんは乾いた声でそう笑うと、「まあ九ヶ月経ってもよう決心つかんようなヤツはいらへんか……」と一息ついて呟いていた。
「面割れてるって意味なら、まあネアちゃんくらいですかね。……九ヶ月前の時点で友達だったかは怪しいけど」
今は友達だと信じたい。
「顔ってことならいないじゃないけど……」
刹那の珍しく言い淀む反応を不思議に思ってちらっとその顔を見ると、一瞬視線が重なった瞬間刹那はパッと顔を背けた。
何だったんだ、今の。
「ほなま、とりあえず皆で攻略の準備でも始めよか。竜乙女の偵察隊にも連絡付けといたから、その内フィールド情報も届くやろ…………って――」
先頭を歩いていたトドロキさんのわざとらしい明るい声が、ロビーに通じるドアを押し開いた瞬間に固まった。
「――何やの、これ」
トドロキさんの急落した声のトーンを聞き流し、反射的に俺も立ち止まる彼女の身体の横からロビーの中を覗く。
その光景は、一言で言って異常だった。
二十弱ある円テーブルはほぼ全て薙ぎ倒され、中央にあった長方形の大きなテーブルも階段付近の柵まで吹き飛ばされ、その両側にあった重たいソファも両方後ろに倒れている。
そして、そこにいたはずのネアちゃんと四人のNPCメイドたちの姿も見えなかった。
「何これ……何があったってのよッ!」
刹那の焦りの混じった怒声と同時にさっき見たばかりのPK映像が脳裏を過る。
そして、慌てて三人同時にロビーに飛び込んだ瞬間――
「む、やっと戻ってきたか、貴様ら。おかえりなさい、ご主人様」
――その疑念を打ち砕くように、リコがカウンターの中の死角から手を上げながら顔を出した。同時に、その握った手に引かれるようにネアちゃんもぴょこんと顔を覗かせる。
「二人とも大丈夫か!?」
「何を言っているんだ、シイナ。見ればわかるだろう」
「いや、そりゃそうなんだが……」
一応訊いておきたいじゃん。ていうか、なんでコイツこの嵐の後みたいなロビー前にしてうちのNPCメイドと同じメイド服着てるんだよ。
はっ……!
「まさか、この惨状ってお前が久しぶりにメイドの仕事したからじゃ……ぶっ」
「失礼なことを言うな。私はそこまで酷くはない。殴るぞ」
もう殴ってるんだよなぁ。
「で、結局何があったんだよ」
「うむ、妹が出たのだ」
コイツは何を言ってるんだ……?
Tips:『天使種』
[FreiheitOnline]における種族の一つで、『天上の意志を表象する役割』を帯びた神性存在。低レベルの内はどの種族も武器を用いた物理攻撃に頼ることが多いため単独でのレベリングが難しいものの、高い魔法性能と防御性能、飛行能力を併せ持つ非常に強力な種族で、特に魔法の運用を効率化・高速化することで魔法自体の実用性を向上させる能力に長けた汎用魔法戦闘のエキスパート的存在。
上位種として、神性派生種の『聖天使系』、魔性派生種の『堕天使系』、異端派生種の『融天使系』の三種類の種族分岐が存在する。
[天使種の進化条件]
・聖天使
⇒Lv400以上、魔力上限6000以上、特殊攻撃力11000以上、魔法熟練度100以上
種族称号“天輪の邂逅”=ミュトスの神殿で邂逅イベントを発生させる
種族称号“神意の語り手”=邂逅イベントでミュトスの質問に『世界』と答える
種族称号“聖天の加護”=ミュトスの神殿で『ミュトスの鏡』に翼を捧げる
・堕天使
⇒Lv400以上、魔力上限6000以上、特殊攻撃力12000以上、魔法熟練度100以上
種族称号“天輪の邂逅”=“ミュトスの神殿で邂逅イベントを発生させる
種族称号“叛意の詠み手”=邂逅イベントでミュトスの質問に『翼』と答える
種族称号“堕天の罪業”=ミュトスの神殿で『ミュトスの鏡』を攻撃する
・融天使
⇒Lv400以上、特殊攻撃力11000以上、特殊技能400以上、魔法熟練度100以上
種族称号“天輪の邂逅”=ミュトスの神殿で邂逅イベントを発生させる
種族称号“禁忌の解き手”=邂逅イベントでミュトスの問いに『愛』と答える
種族称号“混沌の相反”=ミュトスの神殿で『ミュトスの封書』を見つけて読む




