(3)『ドレッドレイド』
巨塔の街に暗雲が立ち込め、赤い影が姿を現した。
強襲する恐怖は獲物を狩るように弄び、消えない傷を刻みつける。
目を背けるなかれ、その影は最早間近に迫っている。
「たが?」
トドロキさんの言葉に刹那が怪訝な表情で反芻するように聞き直すと、トドロキさんは目をぱちっと瞬かせて何故かパッとアンダーヒルの方を一瞥する。
「今時の普通の子は箍とか知らへんのか……。要するに“リミッター”――この場合は心理的なリミッターのことやね。基本悪い意味でしか使わへんけど」
アンダーヒルは確かに今時の普通の子ではないだろうな。
「今のフロンティア――[DeadEndOnline]はウチらからしたら異常な世界やけど、まあ言ったらウチらは最初からそこそこ冷静やったから、ちゃんと真っ向からこのゲームを攻略しよう思て動いてる。勿論ウチらだけやない。プレイヤーの大多数はまあ似たようなことは思てるやろうね、今も」
「半年遅れでやっと動けるようになったお姉さんには耳が痛い話ね」
ただ行動に移せんだけで――トドロキさんの言葉の続きを読み取ったドナ姉さんは痛いところを突かれたというように苦い笑顔を取り繕う。
「別にナナが悪いとは思ってへんよ。女癖と手癖と頭とノリと間ァが悪いだけで」
「……お姉さん、泣いてもいい?」
「廊下でなら部屋ん中には聞こえんし、構わんで」
ボコボコだった。
「せやけど、『一定数を超える人の集団があった時、大多数の流れに逆らおうとする者が必ずいる』。これは100年ちょい前の学者さんの言葉なんやけど、この場合は、現実への帰還を拒む者が少なからずいるゆうことやね」
トドロキさんはそう言うと、俺の方にチラっと含みのある視線を向けてくる。
現実への帰還を拒む者――九ヶ月前に俺とアンダーヒルが交戦し、捕らえることに成功し、そしてアンダーヒルに蝕む呪いを刻みつけた魔眼使いの少女[ミキリ]のことを思い出しているのだろう。
彼女はあの後めっきり大人しくなってしまったが、敵として[儚]と関わる決意をした[リコ]とは違って未だに非協力的な態度を貫いている。アンダーヒルの部屋の隠しクローゼットのおかげか、その存在はアンダーヒルとトドロキさん、俺以外のギルメンに知られることもなく、殆どの時間をあの狭い空間で一人で過ごしているらしい。
トドロキさんも頻繁にミキリに会いに行っているようだが、流石のアンダーヒルも自分より年下の彼女を無下に扱い続けるのは疲れるようで、表には出していないものの思うところはあるらしい。ちなみにアンダーヒルのプライベートルームを訪れる口実がない俺は月一で様子を見に行く程度だが、ミキリと話しているとやはり現実に対する忌避、恐怖が大きいように感じている。
彼女も彼女で、何か抱えている問題はあるのだろうが。
「さながら『現実の縮図』やね。どんな集団にも個人の主義主張があって、退屈な停滞を愉快な継続に変えてやろう、ゆう連中がこれからきっと出てくるって」
「つまり、アンタは今回の件が攻略組の邪魔をしたい連中の仕業って言いたいわけね」
「刹那の考えでほぼ合ってると思うで。悪いと、それでも足りんかもしれへんけど」
「足りない?」
「“エヒドナ事件”……覚えとるか?」
当然のように全員が頷く。
VRゲームに対する世間のバッシングが一段と激しくなっていた頃、“ラルフ事件”と共にその発端となった事件だ。
ちなみに“ラルフ事件”というのは若い男が知人の男性をナイフで刺した現実の殺人未遂事件で、その犯人である男が逮捕直後に「自分は[ラルフ]というプレイヤーであり、PKで経験値を稼ぎたかった」と供述したことで『VRMMOにどっぷりハマった男が精神を病み、現実と仮想現実の区別がつかなくなって人を刺した』と世間で騒がれた。実際にはその知人とのトラブルが原因であり、捜査を撹乱するために適当な供述をしたというのが真相らしいが、この手の話でよくあるようにインパクトの強い最初の供述が事件に対する世間のイメージとして固定されてしまった。
そして、“エヒドナ事件”というのはラルフ事件よりもより俺たちにとって身近な[FreiheitOnline]が関わっていた事例で、[エヒドナ]というプレイヤーが他のプレイヤーを拘束し、ダメージ無効化スキル【未必の故意】を使って延々戦闘経験値を荒稼ぎしていたという事件だ。
これは市街エリアを除く無差別エンカウント地帯ではログアウトにメニューウィンドウの直接操作を必要とし、独立フィールドエリアではそもそもログアウト自体が不可能という仕様を利用したもので、被害者の家族がいつまでも仮想現実世界から戻ってこない被害者を不審に思い、外からPOD及び神経制御輪を停止させたことで発覚した。今の[DeadEndOnline]の仕様に比べれば発生する痛覚刺激はかなり軽減されていたとはいえ十時間以上も痛めつけられていたらしく、現実の刑法に抵触する犯罪として扱われることはなかったものの世間で大きな反響を呼んだ。
ちなみに、この事件の後、当時は戦闘スキルだった【未必の故意】は市街エリアでしか使用できない基本スキルに変更されている。本来のFOの仕様であれば市街エリアで何をされようが、意識するだけでログアウト処理が行えるからだ。
「アレを今こんな世界でやられたらどうなるか、考えてみればわかるやろ」
トドロキさんの言葉の意味を理解した時、同時に頭の中を彼女がこの場で口にした全ての言葉が駆け巡り、その凶悪な危険性に身体が震えた。周りを見ると、刹那やドナ姉さんも同じ思考に至ったようで、特にドナ姉さんは恐怖よりも怒りの感情が表に漏れ出すような凄みを纏っている。
「でも、まだそうと決まったわけじゃ――」
「いえ、シイナ。残念ですが、やはりその予想は正しかったようです」
俺の言葉を遮るように聞こえた声の主――アンダーヒルの方を見ると、彼女の前に展開されていたデータウィンドウはただ一つを残して全て閉じられている。
「どうぞ」
アンダーヒルが手元で投げるように指を滑らせると、そのウィンドウから分裂した三つのクローンウィンドウが空中を移動して俺と刹那・トドロキさん・ドナ姉さんの前でそれぞれ停止した。
「記録された時刻は昨日の四時十三分です」
[トゥルムNo.35634]というデータ名が表示された映像データには何処かの路地が映っている。4m程の高さから路地を見下ろすように撮影されたその画面奥側にはNPCショップの看板らしき輪郭や街灯が見える。おそらくトゥルムの東西南北にある四つの商店街の何れかだろう、落ち着いた雰囲気で飾り立てた店舗が並ぶ風景は見覚えがある。
「多分北部商店街……ノースフリップの辺りね」
俺と同じクローンウィンドウを覗き込んでいた刹那がぽつりと呟く。街全体のことなら俺よりも遥かに詳しいし、おそらく見たことがある風景なのだろう。
「再生します」
アンダーヒルが再び手元のデータウィンドウに触れると、三つのクローンウィンドウも同期して映像データの再生が始まる。
画面が動き始めると間もなく、店の陰からそこそこの人数の人影が現れた。
竜乙女の偵察隊の象徴色である白黒に揃えられた装備の女性プレイヤー三人と全身赤を基調にした装備の五人の人物。路地が薄暗いのと顔を巧妙に隠しているのもあって誰かはわからないが、体格からして少なくとも赤装備の五人の内三人は男だろう。残念ながら、残り二人はどちらか判別することができない。
「あの子たちっ……」
ドナ姉さんの息を呑む声が聞こえる。
どうやら探している三人で間違いないようだ――――この羽交い締めにされている子たちは。
赤装備の五人は口々に何かを言い合い、その間も偵察隊の三人はガタイのいい三人の男の腕から逃れようともがいている。その時、拘束に参加していなかった口元をボロボロの包帯で隠している性別不明の一人が小さなダガーを手の中でくるくると回すと、偵察隊の一人の口を右手で塞ぎつつ、その腹にダガーを深く刺し込んだ。
鏡越しの映像に音はない。
だが、まるでその口から漏れ出す悲痛な叫びが聞こえてくるような程痛々しくもがいていたその子は、三十秒経つか経たないかという頃に手足がだらりと脱力し、ピクピクと痙攣しながら動かなくなった。
レベルは4~500ぐらいだろう。装備を見ても、ようやく中堅入りした程度のプレイヤーだ。
「ミナ……」
ドナ姉さんがポツリと呟く。
今殺された子の名前だろう。直後、DOの無慈悲なルール“自演の輪廻”によって時間が巻き戻されるようにその少女――ミナが息を吹き返す。
しかし、その格好は最早ただのインナー装備だ。
そして、未だ腹に刺し込まれたままのダガーの継続ダメージが、レベル1となった少女のライフを一秒で削り切り、ミナは再び断末魔を上げて動かなくなった。
痛みと死が交互に訪れる凶悪な無限ループを前にして、赤装備の連中は笑っていた。
映像にはその嘲笑の渦のただ中に残された他の二人は恐怖に怯え、もがき暴れることもできずに震えている様子が映っている。そのデータを時間差で見ている俺たちの前で他の2人も残虐な方法で殺され、その無限ループの被害者になるまでが克明に撮影されていた。
「アンダーヒルちゃん……ここは……」
「北部の商店街ノースフリップの中央東寄りに位置する路地裏です」
「そう……。ごめんなさい、みんな。失礼するわ……」
ドナ姉さんはふらりと立ち上がると、打ちひしがれたような、あるいは怒りに震えるような危なっかしい足取りでふらふらと部屋を出ていった。
「……アンダーヒル、他にこの連中の情報はないんか?」
ドナ姉さんが出ていった部屋のドアが閉まるのを待って、トドロキさんが躊躇いがちに訊ねる。
アンダーヒルは言葉の代わりに無言で首をふるふると横に振ると、再びデータウインドウを操作し始めた。
「こちらは、その時間からおよそ六時間後の映像、彼らが全てを終えて立ち去る時の映像になります」
アンダーヒルはさっきと同じようにクローンウィンドウを俺たちの前に展開すると、再び手元で映像データを再生する。
そこには同じアングルで、暴虐の限りを尽くされて動かなくなった少女たちとその傍らに立つ口包帯の赤装備――最初の映像でミナを殺していたプレイヤー、そして満足したように去っていく他の四人の赤装備の集団が映っていた。
「六時間……か」
「その間の映像は見ない方がよいかと」
「ナナにはこっちも見せれへんわ」
映像の中で最後に残った口包帯の赤装備が壁際に転がるミナの顔の前でしゃがみ込み、その髪を掴んで彼女の顔を自分と同じ高さまで強引に持ち上げ、もう一方の手で自分の口元の包帯を引き千切るように外した。
「ここからです」
アンダーヒルの操作で、画面がその赤装備の口元を大きく映し出す。
「コイツ、何する気……?」
刹那が画面を凝視しながらそう呟いた瞬間、その口の動きと重なるようにアンダーヒルの声が聞こえてきた。
「『楽しかっただろう、狂っちまった世界をその身に刻まれる恐怖は。俺たちの欲望の捌け口なんかに付き合ってもらって悪かったなぁ』」
読唇術ってやつか……?
「『安心しろよ、お前らの大事なお姉様もいずれ俺たちの玩具になるさ。だからそのお姉様に伝えてやりな。俺たちはドレッドレイド。お前らの現実はここだ。俺がお前らの目ェ覚まさせてやる。その点、最強サマに感謝しようぜ、ってな』」
Tips:『トゥルム四方商店街』
巨塔ミッテヴェルトの街トゥルムの東西南北に存在する四つの商店街『東部商店街イーストバッファ』『西部商店街ウェストレジスタ』『南部商店街サウスクロック』『北部商店街ノースフリップ』の総称。それぞれの商店街は十字に交差する大通りを中心とする正方形の敷地内にNPCが経営する店舗が立ち並び、多数の裏道がその間を通り抜けている。基本的にアイテム・武器・防具等戦闘に直接関連する重要な店舗は同様に揃っているが、飲食店やアクセサリー等に関連するその他の店舗は商店街ごとに違った特色が出ていて、どう利用するかは人それぞれ。




