(2)『箍-たが-』
訪問者ドナドナは仲間のために思い、自分のために動く。
上位ギルドから出た行方不明者に諜報部の二人は不穏な気配を感じ取っていた。
「お姉さんはご立腹よ、リッちゃん」
その言葉の割には大して感情の乗っていない声で恨み言を漏らしつつ、ドナ姉さんは神妙な面持ちで赤くなった頬を擦る。そこに残る打撃痕は、そんなドナ姉さんの正面辺りの椅子に乱暴に腰を下ろして彼女に忌々しそうな視線を送るリッちゃん――トドロキさんの手にある紙槌によるものだ。
なかなか本題に入らないドナ姉さんに業を煮やしてか、あるいはアンダーヒルを変態の魔の手から救うためか理由はわからないが、結局実力行使に至るまでドナ姉さんの暴走は止まる気配がなかったのである。
「ジブンのこと棚に上げてよう言うわ。ウチが怒ってない思うんか。いい加減本題に入らんかい、アホ」
「リッちゃんはいつも怒ってるじゃない、いえやっぱり何でもないわ」
にこにこと笑顔を貼り付けたトドロキさんの手がすっと上がり、その手の紙槌が俄にギラつくと、ドナ姉さんは言葉を翻して再び神妙な顔に戻される。
そして、すっと目を閉じて一拍置くと再び彼女が纏う空気感が変貌し、やや緊張した表情で目を開いた。
「あまり急ぐことでもないから、って言えればお姉さん的にも万々歳だったのだけど、どうやらそううまくも行かなくてね。ところで、≪アルカナクラウン≫って確かここにいる女の子達で全員だったかしら?」
「……他にもまだ二人いますけど、多分まだ寝ています。起こしてきますか?」
こっちに顔を向けたことで俺に対する質問だと捉え、一瞬考えてそう答える。正確には他にリコもいるが彼女はプレイヤーではないし、公表しているわけではないものの元≪道化の王冠≫という立場はややデリケートな存在だった。後は何故かずっとうちのギルドハウスに居座っているアプリコットくらいだ。
「ううん、いいわ。それより本題なのだけれど……ごめんなさい。少し情報を制限しておきたいの。シイナちゃん、リッちゃん。悪いんだけど一人ずつ手伝ってくれる子を選んで、それと部屋も用意して貰えるかしら。続きはそこで話しましょう」
そう言うと、椅子には座らずスタスタと早足で二階ロビー奥のドアに向かって歩き出す。
「刹那、今空いてる部屋は?」
「ゲストルーム11以降なら使ってないけど……それよりシイナの部屋にしましょ。システムセキュリティあるし、わざわざ一階に降りなくていいしね」
ギルドハウスの仕様上、ギルドリーダーの使用する部屋だけはプレイヤーに帰属するあらゆる攻撃・効果による外的干渉を受けないシステムに護られている。その防護はプレイヤーが使えるセキュリティとしては最上位に位置する強固なもので、例えばドアや壁を強引に突破するどころか、覗き見スキル【透眼鏡】や盗聴スキル【潜入聴唆】の影響も受けず、人の出入りに合わせて透明化スキル【着触令】等を使って潜入しようとしてもその効果を無効化してしまう。
つまり、部屋のドアの鍵をかけてさえいれば、部屋の外への情報漏洩の心配をしなくて済むというわけだ。
「部屋はそれでいいとして、後は“手伝ってくれる子”一人ずつだっけ。どうもキナ臭いし、俺が選ぶなら順当に言ったら刹那一択だな」
頭脳的な意味ならネアちゃんでも十分だろうが、戦闘が絡むなら不安要素が強い。リコは逆に戦闘能力は高いが、基本的に頭脳労働には向いていない。アプリコットも戦闘能力は化け物級だが、そもそも気紛れな性格のアイツがたまたま素直に手伝ってくれるなんてことはまずないだろう。
そして、アンダーヒルは――
「ウチもアンダーヒル一択やね。頼りにしてるで、相棒」
――こうなると一番に予想できる。
「それでは行きましょうか。ネア、もし誰か起きてきたら適切に、軽く事情を説明しておいてください」
「うん、皆いってらっしゃい」
話が纏まって間もなく。
俺たち四人はネアちゃんやメイド達に見送られて二階ロビーを後にすると、ドナ姉さんを2階の俺の部屋まで案内し、全員で中に入って内側からシステムロックをかけた。
「ふふふっ、こうして見ると桃源郷ね~……一人を除いて」
「聞こえとるで、ナナ」
「お、お姉さんは何にも言ってないわよ」
「もうそれはええて。シイナ、これ借りるで。ナナもほら」
トドロキさんはベッド脇に置かれていた一組の一人掛けソファに腰を下ろし、ドナ姉さんも促されるまま残っていたもう一方のソファに腰かける。
この部屋にある椅子といえば、二人が座った一人掛けソファ二脚と夜中たまに俺の部屋に来る刹那が窓際で本を読む時に使っている木製の椅子ぐらいだ。その椅子も、既にアンダーヒルが持ち前の危機管理能力を発揮して素早く確保している。
残された俺と刹那はちらっと顔を見合わせると、仕方なく空いているベッドの端に間を空けて並ぶように座る。
「で、何があったんや?」
それを待っていたようにトドロキさんが本題を促すと、ドナ姉さんは真剣な表情でこくりと頷いて俺たちの顔を再度見回してから口を開く。
「ごめんなさい、まず巨塔の攻略のこと。今回の第三百四十九層はうちの担当だったでしょう? 今回だけ攻略を代わって欲しいの」
「≪アルカナクラウン≫で攻略して欲しいってことですか?」
「ええ。勿論今までにうちの偵察隊が集めた情報は全部渡すわ。アイテムとか、必要な資源があれば物資調達隊から回すように言っておくから。昨日帰ってきたばかりなのは承知の上だから申し訳ないのだけれど」
元々高いステータスと多様な攻撃手段・対応力に優れた戦闘能力を要求されていた巨塔ミッテヴェルトだったが、最近では更にボス討伐やフィールド探索のギミックが複雑になり、更に出現するモンスターも強化傾向にある。それも相俟って、安全マージンを確保するための事前調査や慎重な探索に時間を取られるようになり、二日三日の攻略遠征も当たり前のようになってきていた。
持ち回りで≪アルカナクラウン≫が担当した前層第三百四十八層『凋落の白夜城』もその傾向に違わず、日が昇らないフィールド全域で好戦的な霊体モンスターたちが騒ぎ、だだっ広い城では出現と消失を繰り返しながら一方的な攻撃を繰り返す霊体系ボスモンスター〔閉ざされし玉座の暴虐〕に追い回される。そんな城の中や周囲の森・村々を回って情報を集め、最終日となった四日目には一晩の間にランダム生成された四つの祠の封印を乱す中ボスを一体ずつ倒し、最後に城の中でやっと攻撃でダメージを与えることが可能になったボスモンスターとの戦闘だった。
今朝もドナ姉さんの話がなければ、昨日に引き続き今日明日もその疲労と眠気を解消するための完全自由時間としてギルメン全員と共有していただろう。
「調整の時間は必要でしょうけど、うちとしては構いませんよ」
他の三人の反応を見ながら代表してそう答える。
皆には悪いが、完全自由時間を今日の昼か今日中までに大幅短縮すれば何とかなるだろう。あるいは参加できる者だけを募って、アプリコットを強制招集すれば戦力的には問題ない。アイテムリソースも供給してもらえるなら、調達にかかる時間も気にしなくていいだろうし。
「せやけどそこまでして攻略投げなあかん理由でもあったんか?」
「そうね……。別段隠すことでもないし、もしかしたら共有した方がいいだろうから言うけど、うちの偵察隊の子が昨日から行方不明でね」
「それって、あの[アルト]がですか?」
≪竜乙女達≫は三百人以上のギルメンを擁するかなり大規模なギルドだ。特にリーダーであるドナ姉さんの側近に当たる四人は“四竜”と呼ばれ、ギルメンがその役割に応じて配置される四つの部隊をそれぞれ仕切っている。その知名度はギルドに付随したものでもあるが、四人共個人名が広く知られている程度には高い戦闘能力を有しているプレイヤーだった。
その中でも、高い諜報能力を持つ竜乙女の偵察隊とそれを率いる『無影』の二つ名を持つ[アルト]はかなり有名だ。
「ううん、アルトは今も居なくなった子たちを探してくれているわ。居なくなったのはSPAの説得に動いてくれていた子たちでね。昨日もSPAに直接赴いて向こうの幹部格との調整を進める予定だったのだけど、連絡もないまま消えてしまって……」
SPAと言うのは正式名称≪ジークフリート聖騎士同盟≫という、これも有名な上位ギルドの一つだ。“聖騎士”の二つ名を持つ元ベータテスターの[ガウェイン]をギルドリーダーとして、彼と数人の幹部格に実力を認められたレベル650以上のユニークスキル持ちというFOフロンティア内でも特に厳しい入団条件を提示している。GLのガウェインやその旧知である幹部格は人格者揃いなのだが、その入団の難しさから来る一般メンバーのエリート意識の高さは有名で、それ故の細かいトラブルは絶えず、実績の割に評判はあまりよろしくない。
「こんなことは初めてだし、この先何があるかわからないから一旦全戦力を手元に確保しておきたいのよ」
「まあ、今はその方がええやろね」
「SPAに向かったのは間違いないんでしょ? 向こうは何て言ってるの?」
刹那の当然の問いにドナ姉さんは残念そうに首を横に振った。
「来てもいないそうよ。ウェイン君の言うことだし、それは嘘じゃないと思う」
SPAのメンバーも若干対人コミュニケーション能力に問題があるだけで、別にバッドマナーや犯罪行為が横行しているわけでもない、基本的に善良なプレイヤーだ。ギルド内で巨塔攻略に参戦しようという動きがある今の状況で、同じ目的を共有する≪竜乙女達≫を敵に回すようなことをするとは考えにくい。
「シイナ、私は【言葉語りの魔鏡台】で該当地域を探してみます」
アンダーヒルはそう言って立ち上がると座っていた椅子を部屋の窓際に移動させ、背後のカーテンを閉めて再び椅子に腰を下ろし、淀みない操作で次々と大量のデータウィンドウを展開し始める。
「ミラー・オブ・テラー……?」
「刹那、どう思う?」
首を傾げながらアンダーヒル独自の情報網の名を反芻するドナ姉さんをそれとなくスルーして、刹那に話を戻す。ドナ姉さんを信用するしないは別にして、基本的にユニークスキルの情報は隠すように立ち回るのが定石である。
「消えた連中の人となりを知らないから何とも言えないけど、この変態女の話通りならギルドを出てSPAに着くまでの何処かで何かあったってことでしょうね。襲われたか、捕まったか、後は……」
途中まではっきりとしていた刹那の声色がワントーン落ちる。言い淀んだ先がどの言葉だとしても、最悪の状態を想定しているのは間違いないだろう。おそらくそれはドナ姉さんもわかっていることだろう。
「何にせよ何処かの誰かとトラブったのは間違いないでしょうね」
刹那はぼかすようにそう結論付けると、居心地が悪そうに足を組み直し、ベッドがぎしっと音を立てる。
「……アンダーヒル。どうやろね?」
「ええ、私も可能性は高いと思います」
トドロキさんも窓際で膨大な動画データをじっと見つめているアンダーヒルに似たような質問をしたかと思えばその時、トドロキさんの妙に確信めいた表情やアンダーヒルの声色からややニュアンスの違うやり取りだと気付いた。それはこの九ヶ月で同様に生活を共にしてきた刹那も気付いたようで、訝しげに二人の様子を注視している。
「そろそろ来てもおかしないとは思っとったけど……もしそうなら遅かったくらいやね」
「ちょっと……二人だけ分かったような顔してないで、何かあるなら説明くらいしなさいよ」
刹那がそう訊ねると、トドロキさんは少し俯くように視線を落とし、
「アンダーヒルが何か見つけるまではまだ確定やないけど、もしそうやったとしたら多分……箍が外れたんやろな」
Tips:『犯罪行為』
FOフロンティアにおける文字通りの犯罪行為であり、発覚するとシステムやNPCから“犯罪行為者”として認識され、ショップでの売買等のNPCに関連する行為や一部のシステムに関連する行為に制限が発生し、短い期間に繰り返すとシステムによって召喚された召喚獣による処刑等が発生することもある。現実における犯罪性とは無関係ではあるが、正当性のないプレイヤーキル行為や強奪行為等も普遍的な犯罪行為として見做されており、その他にも立入禁止区域への侵入のような地域に則した犯罪行為が設定されている場所も存在する。ただし、あくまでも制限や罰則レベルであるため、犯罪者としてのロールプレイングも十分可能なシステムであり、本来のFreiheitOnlineにおいてはそれを楽しむ層も一定数存在していた。




