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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第二章『クラエスの森―辺境の変人―』
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(36)『受呪繋ぎ‐カースド・ゴースト‐』

魔眼の魔女と呼ばれていた少女は、ただ一人になってもずっと考えていた。

自分が今できること、自分が今すべきこと、自分が今どうあるべきか。

その目に宿る力とその心に宿した想いがきっと全ての答えをくれる。

たとえそれが、自分の物語のエンディングだとしても――。

 人的不利、地理的不利に加えて武装解除、所持品没収、拘束と幾重にも戦闘能力を削がれ、仲間であるはずの≪道化の王冠(クラウン・クラウン)≫にまであっさり見捨てられたミキリは、俺とアンダーヒルが没収品の確認をしている間もずっと口を噤んだまま床を見つめていた。

 まだ自ら潰した左目の痕が痛むのか、時折身動ぎしては痛みを堪えるように唇を噛んで震えている。見かねてちゃんと治療してやろうともしたのだが、ミキリは要らない必要ないの一点張りで終いには口を利いてもくれなくなった。取り付く島もないとはこのことだ。


「コイツはこの後どうする?」


 敵によって囚えられ、仲間にも見捨てられた孤立無援の現状、上位環境に身を置いていたプレイヤーとしては惨めな程のあられもない姿――――それら二つの理由からミキリを直視できなくなった俺は、そのどちらの理由も直接的な原因が俺であるという事実から来る心地の悪さを誤魔化すようにアンダーヒルに話を振っていた。本来なら本人の前で迂闊に出すべき話ではないのだろうが、言ってからそこに気付く辺り我ながら冷静ではないらしい。それが≪道化の王冠(クラウン・クラウン)≫への怒りからか、ミキリへの同情から来るものなのか、あるいはまた別の要因なのかはわからないが、とにかくはっきりと心が定まらないままでも話を進めようと思ったのだ。


「……と、いうと?」


 しかし、アンダーヒルから返ってきたのは何処か素っ気ないというか、そんな不安感を煽る反応だった。


「いつまでもこのままってわけにもいかないだろ」

「ここは新たに増設した空間ですし、部屋の使用感は増設前に比べて不都合はありませんが……」

「そっちじゃねえ」


 アンダーヒルは俺の言葉に疑問顔で首を傾げる。

 この状況でまさか何を言っているのかわからないとでも言うつもりだろうか。まるで目の前にあるものが見えていないかのような、無意識にその選択肢から目を逸らしているような――――ミキリのことをまるで考慮していない反応だった。


「お前の部屋の使用感なんて気にしてない。ミキリ本人……その、なんだっけ。身柄のことだよ」


 俺の意図を示すに適した言葉を何とか絞り出すと、アンダーヒルは珍しくやや眉を歪める形で感情を表した。


「私のことなんて……ですか。……彼女は拘禁するとあなたは知っているはずですが」

「いや、だからいつまでも――」

()()()()()、です」

「……は?」


 今コイツ何て言った?


「ですから、彼女はこのままです」

「え……、このままって……」

「……? 彼女に情報提供の意思はないようですので、このままです」

「それで補足したつもりかよ……」


 アンダーヒルは腑に落ちないといった表情で首を傾げるが、腑に落ちないのはこっちの方だ。アンダーヒルが何を考えているかどころか、何を言っているのかすら上手く飲み込めない。俺なんかよりずっと聡い情報家はその動揺を察したのか、再び口を開いて言葉を続けた。


「正確には我々が最終的な目的を達成し、この空間から解放されるその時まで、となりますが、その程度のことであればわざわざ私に確認を取らずとも自明でしょう」

「こんな子供をこんな狭い部屋にずっと閉じ込めておくってのか? 攻略にどれだけかかるかもわからないのに」

「認識を間違えないで下さい。彼女は子供であるより優先して私たちの敵として扱うべき立場、なおかつそうあることを自ら選んだ者です。最低限の環境はこの先整える予定ですが、それ以上の配慮は特別考慮していません」


 アンダーヒルは目の前に本人(ミキリ)がいるにも関わらず遠巻きな言い方で冷たくそう言い放つと、唖然としている俺を後目(しりめ)にミキリの前で片膝を突いてしゃがみ、尚も彼女ではなく俺を諭すような言葉を続ける。


「そもそも彼女を拘束する必要性があったのは情報源となりうるからではありません。あくまでも彼女が全攻略側(プレイヤー)の敵を公言している道化の王冠(クラウン・クラウン)の構成メンバーだったからであり、つまりは()()()()の無力化が主たる目的です。攻略側(われわれ)にとって彼女を今この時点で拘束できたことはイレギュラーながら幸運です。それは間違いありません。彼女に情報提供の意志があれば、成果としてはより大きかったのも事実です。しかし、そもそも現時点で我々攻略側(プレイヤー)に提示された解放の条件はFOにおける最終到達エリア――層の巨塔最終層――すなわち第五百層への到達、攻略のみ。そもそも我々攻略側(プレイヤー)の目的は攻略であり、その点で同じ一プレイヤーに過ぎない今の彼女と我々では知りうる情報量に大差はありません。よって彼女を拘束している限り最低限の目的は果たしているというわけで、故に彼女を拘束してさえいればそれで十分です」


 アンダーヒルは優秀だ。その発想は極めて現実的であり、その思考は極めて論理的だ。その行動は基本的に無駄がなく、その意見は誰よりも的を射ている。しかしこと今回に限っては往々にして正しいなんて言っていられない。まるでシンのような悪癖が祟ったように、効率だけを過剰重視した判断だった。

 確かに組織(ギルド)として、攻略側に立つ≪アルカナクラウン≫と敵対する≪道化の王冠(クラウン・クラウン)≫との対立を考えれば間違った意見だと頭から否定することはできない。だがミキリに対してあまりにも容赦がなさすぎると感じるのは確かだった。


「お前……それ本気か?」

「私個人の意見としては本気です。しかし、アルカナクラウンのリーダーは私ではなく、シイナ――あなたです。故に捕虜の処遇に関する最終決定権はあなたに帰属すると考え、あなたに賛同を求めています。許可と言い換えても構いませんが、私はこの判断が妥当であると強く打診します」


 アンダーヒルは一度も俺の方を見なかった。

 ただ俯くミキリを正面から見据え、まるで何かを待っているかのようにその一挙手一投足を観察しながらさらに言葉を続ける。


「勿論彼女が情報提供の意思を表明した場合にはその時点から随時情報源として協力していただく立場になるわけですから、処遇の再検討は行います。不本意ながら時間はまだまだあるので、まずは二十四時間、その後は四十八時間毎に彼女に意思表明の機会を与える予定です。幸いこの世界では彼女の維持に我々から何か与える必要はありません。多少デバフの発現はあるでしょうが、それで彼女が絶命することは()()()()()()()()()()


 無感情で冷たいその言葉にミキリの身体がびくっと強張る。

 いくら年相応らしくない彼女でも、アンダーヒルのこの言葉には流石にビビったらしい。かくいう俺も背筋が震える程の狂気を感じたし、思わず身を引きかけたのも事実だ。それも無理からぬ話だろう。何せアンダーヒルが言っているのは正直人間の発想とは思えない()()だからだ。

 問題はこの世界においてデバフという形で擬似的に再現されている原始的欲求――“食欲”、それに連なる“空腹”そのものだろう。空腹(スターヴ)のデバフは最後に食べ物を口にしてからの時間が長くなればなるほどその程度は上がっていく。しかし、いくらデバフが強力になっても、この世界には本来の意味での“死”は存在しない。あるのはゲームの仕様上存在している死亡判定(デッドエンド)のみ。デッドエンドによって継続性のないバフ・デバフは一度リセットされるが、極限の飢えから解放された後も待っているのはまた徐々に酷くなる飢えのプロセス。幾度と無く繰り返されるじわじわと蝕むような苦しみのループ、そんなものいつまでも耐えられるわけがない。

 普通なら苦しくなる前にアイテムボックスから食べ物を取り出して食べれば済む。しかし両手を拘束されて監禁され、さらにアイテムボックスのものを全て奪取されているミキリに食べ物を得る手段はないのだ。

 流石にこれはやり過ぎだ。


「おい、アンダーヒ――」


 ガシャン。

 制止しようとした言葉は喉元に現れた冷たく硬い感触に遮られた。

 視界の下端に映る黒光りする銃身を見る限り、アンダーヒル愛用のスナイパーライフル〈*コヴロフ〉だろう。こんなウォークインクローゼットで出すには大仰すぎるが、使い慣れているだけあってまったく予備動作を見せずにその長物を出現させていた。


「一度外に出ましょう、シイナ。その間に彼女も気が変わるかもしれません」


 アンダーヒルはそう言うと立ち上がって徐ろに〈*コヴロフ〉のオブジェクト化を解除し、俺の腕を引くように共にクローゼットの外に出る。そして引き戸を閉めてT種システムロックで施錠すると、ようやく俺に向き直った。


「もう大丈夫です」


 何処となくさっきより雰囲気の和らいだアンダーヒルにそう告げられ、俺は栓が詰まったように喉に(つか)えていた言葉をようやく口にしたのだが――


「あれは……流石にやり過ぎだろ……」


 ――さっき勢いを削がれたからか何とも情けない声色になってしまった。

 しかしアンダーヒルは至って真面目な表情で「そうかもしれませんね」と平然と曖昧な肯定のニュアンスで返してきた。


「確かに少し脅しが過ぎたかもしれませんが、間違いだとは思いません。確かにミキリはまだ子供です。しかし、あの立場に立った以上さすがに知らないでは済まされません。彼女は、これ以上逃げてはいけない」


 アンダーヒルはミキリの事情をごくわずか知っていると言っていたし、狭義の教育という面では優しいのだろうが……コイツの不器用な器用さはどうにか直らないものだろうか。正直心臓に悪い。


「それに、あれで私の印象操作は九割方完成したと言っていいでしょう」

「印象……って他にも意味があったのか?」


 アンダーヒルは俺の言葉にこくりと頷く。


「『ストックホルム症候群(シンドローム)』という言葉を知っていますか?」

「ストックホルム……? いや、知らない……けど……」

「一九七三年にスウェーデンの首都、ストックホルムで発生した銀行強盗人質立てこもり事件で確認され、その地名から名付けられた精神医学用語です。誘拐・監禁などの長時間の拘束を伴う事件において、被害者が加害者に対して同情や共感・恋愛などの感情を錯覚してしまう心理現象で、これを発症すると被害者は加害者に対し協力的な態度や姿勢を見せるようになり、被害者の庇護によって事件性が失われてしまった事例もあります」

「それを狙ってるのか? ……いや、でもそれじゃやってることが逆なんじゃ……」

「はい。ですからあなたは逆に彼女に優しくして下さい」

「俺が? ……って、アレか? 『良い警官・悪い警官グッドコップ・バッドコップ』ってやつ?」

「応用だと思ってもらって構いません。私が悪い警官(バッドコップ)として明確な恐怖の対象を演じます。対してあなたは良い警官(グッドコップ)として彼女との信頼関係を結んで下さい。ただし、無理に情報を引き出そうとする必要はありません。さっきも言った通り、彼女を拘束しているだけでも十分なのですから。あなたが無闇に策を弄した際のリスクも怖いですし」


 絶対二つ目の理由がメインだな、コイツ。しかし、確かに我ながら変に考え過ぎてボロが出る未来しか見えないのが悲しいところである。


「あなたは性格上彼女に厳しく当たることはできないでしょうし、この役割でうまく籠絡できると思います。……幸い私よりも、今のあなたの方が幼い子供に安心感を与える身体(アバター)ですし」


 チラッと一瞬アンダーヒルの視線が落ち、釣られるように俺もその先に視線を落とす。視界に映るのは正直邪魔に思う意識の方が勝りつつある二つの大きな膨らみだった。


「……おい、まさか(コレ)のことか……?」

「一般的に胸の大きい女性は母性的とされることが多いと聞いています」


 聞いています、じゃねえよ。


「中身は男だぞ。そもそも母性なんて身体で決まるようなもんじゃないだろ」

「しかし因子の一つであるのも事実です。あなたは私を見て母性を感じますか?」

「アンダーヒルを見て……?」


 改めて上から下までアンダーヒルを見つめてみる。


「まあ……ないな」

「私の身体では間違いなく不可能です」


 いや、それ以前の問題だと思います。

 年齢が年齢だけにそもそも母性とは比較的縁遠い存在とは思うのだが、それを差し置いても発展途上な幼児体型は確かに安心感とか包容力なんてものを内包しているとは言いがたい。しかしアンダーヒルの場合、それ以上に黒い包帯(ブラック・バンデージ)とボロボロの黒いローブから構成された普段のスタイルや彼女自身の性格に問題があると思うのは俺だけなのだろうか。無論俺はこの世界のアンダーヒルしか知らない訳だから現実の彼女を見ればまた違う印象を受けるのかもしれないが、今回対象になるのはこの世界での姿――――アンダーヒルのそれは何処からどう見ても母性と真逆のベクトルだ。


「構えずとも自然体で構いません。あなたは素のままでとても優しい。彼女は敵であり、義は我々にある。それを正しく認識した上で尚も、無垢で無力で無防備な彼女を糾弾できないのがあなたの本質ですから」


 何となく馬鹿にされている気もするが、本人としてはそれでも言葉を選んでいる方なのだろう。似たようなことはリュウや(ハカナ)にも言われたことがあるが、連中は『甘い』という言葉を使っていたくらいだ。俺にだってどちらかと言えばそっちの方がより本質に近いことはわかっていた。


「……あんまり期待するなよ」


 正直アンダーヒルに母性を求める以上に男に母性を求める方が無理があると思うのだが。


 少し間を置いておよそ五分後。

 アンダーヒルは再生していた幾つものCURIOUS(キュリオス) SEEKER(シーカー)の録画映像のウィンドウを閉じると、徐ろにウォークインクローゼットの引き戸の前に立った。


「心の準備はできましたか?」


 視線は手元で進めるシステムロックの解錠作業に落としたまま、アンダーヒルはそう訊ねてくる。一応確認の体を取ってはいるもののその手つきは澱みなく、俺の心の準備ができていようがいまいがまったく関係なしにミキリの尋問を再開するような気もする。


「まあな。何とかなるだろ」


 わざと気楽そうな返事で応えると、アンダーヒルは一瞥振り返って何か言いたげな視線を向けてきた。しかし結局何も言わずに正面に向き直り、解錠された引き戸に手をかける。

 そして、一息にそれを開けた――


「【天涯蠱毒(コールド・ロンリー)】」


 ――瞬間、アンダーヒルの眼前にどす黒い泡のようなスキル表現効果(エフェクト)が散った。

 刹那の間隙。アンダーヒルの目が大きく見開かれ、その身体ががたがたと小刻みに震え始める。間もなく堪え切れないとばかりにその場に崩れ伏したアンダーヒルは床で身体を小さく縮こまらせ、震えの止まらない両手に焦点の合っていない視線を向けていた。


「な……え……」


 突然の状況の変化に対応できずに立ち尽くしていた俺は、自身の口から漏れる無意味な音で我に返った。そしてアンダーヒルを助け起こそうと動いた瞬間、ウォークインクローゼットの中で立ち上がっていたミキリの姿に気付き、ようやく彼女のスキルがこの状況の原因であることを理解した。


「……ぜ、【(ゼロ)】ッ!」


 カシャーンッ……!

 硝子が砕け散るような音と共にアンダーヒルの身体――その体表面で無数のポリゴン片が弾けるように瞬いて消える。同時に魔力消費の喪失の感覚が軽い寒気のように全身を走った。

 この感覚、ユニークスキルか……!


「本当に不思議なの。ミキリの魔眼()、また潰されちゃったの……」


 ミキリは気味の悪い薄ら笑いを浮かべたままぽつりと呟く。一時的とはいえ隙を突いてアンダーヒルの動きを封じ、あるいは脱出できる可能性がある程の隙を俺が見せていたにもかかわらず逃げ出そうという素振りも見せず、まるでアンダーヒルが起き上がるのを待っているかのようにその場に佇んでいた。


「はぁ……はぁ……ッ」


 ミキリの()()から解放されたアンダーヒルは跳ねるように身体を起こし、右手を左胸に当てて荒々しく呼吸を繰り返していた。まだ攻撃の余韻が後を引いているのか、その手は小刻みに震えている。


「大丈夫か、アンダーヒル」

「少し寒い……だけです。……心配いりません……」


 強がってはいるが、明らかに無理をしている様子だった。


「まだ魔眼スキルがあったのか……」

「ミキリの魔眼()は【思考抱欺(ナイトメア・ブルーム)】。相手を幻の、偽りの世界に閉じ込めるスキル。気付かれない間に何人も何十人も何百人もデッドエンドにしてきたの。お姉ちゃんたちはもしかして、お姉ちゃんたちはひょっとして、かけられたことすらわからないスキルが二つ名になるとでも思っていたの?」


 ミキリと俺とアンダーヒルの視線が交錯する。

 目を合わせれば次の魔眼が来るとわかっていても、目を逸らすわけにはいかない。上位プレイヤーであればほぼ確実に持っているであろうスキル(アーツ)の数々も警戒する必要がある。それでも目を合わせ続けるという選択肢が取れるのは偏に【(ゼロ)】というスキルの存在故だ。

 しかし各々の緊張や呼吸のタイミング、思考の揺らぎ、全ての状況が一瞬だけミキリの悪意に味方した。


「【仮名縛り(フレーズド・ロック)】」


 ミキリの左目が黄緑色の電気火花(スパーク)を放った。

 手足が不意に強張り、身体の末端から瞬く間に硬直の感覚が中心へと伝わっていく――――でも!


「――【(ゼロ)】ッ!」


 再び硝子の砕け散るような音と共に体表面から霧のような物が瞬くように霧散して消える。


「無駄な抵抗は止せ、ミキリ。何度やっても同じだ。俺にはどんなスキルも通用しない!」

「ハカナちゃんが言ってた通りなの……」


 ドクン――。

 ミキリの口から(ハカナ)の名が出たことで一拍心臓の鼓動が乱れた。無条件に心が揺れ、一瞬とはいえアンダーヒルのことすら思考から弾き出されていた。


「……ハカナが何だって?」

「シイナちゃんは強いから、ミキリでは勝てないかもしれない、なの。でもシイナちゃんは優しいから、負けても酷いことはしない、なの。シイナちゃんは優しいから、きっとミキリも守ってくれる、なの」

「ハカナがそんなことを……」


 確かに今の明確な反抗に対して俺がやったのは【(ゼロ)】を使った対抗処置だけ。ユニークスキルを以後使用不能にする効果付きとはいえ、痛めつけて反抗心を削げばあるいは頑なに閉ざしている口ももう少し開きやすくなるかもしれない。

 それでもそうしないのは、相手が子供だから、ミキリ自身にはそこまでの敵意を持っていないから、アンダーヒルがそうしないから、幾つか理由はあるだろうがやはり『優しいから』なのだろう。

 この状況下でより正しくは『甘い』と言うべきだろうが、(ハカナ)はそれでも『優しい』と言った。何故ミキリに俺のことを話したのかはわからないが、(ハカナ)が好印象な言葉を選んだだけでも少しは希望を持っていいのだろうか。


「ハカナは他に何も言ってなかったのか? 他のギルメンのこととか、アルカナクラウンのこととか……」

「……黒いお姉ちゃんのこと」


 ミキリは少し躊躇いがちに視線を泳がせながらそう言った。


「アンダーヒルの? お前、ハカナと前から交流あったの?」

「ありません」


 本人は即答だった。だとすると、まさかアンダーヒルこそが情報家“物陰の人影(シャドウ・シャドウ)”だということを知っていたのだろうか。

 (ハカナ)は特別勘がいいとかそういうことはなかったが、観察力に関しては侮れる相手じゃない。偶々見かけた程度の情報からパッチワークのように物陰の人影(シャドウ・シャドウ)の正体に辿り着く可能性も否定できない。


「ハカナは私のことは何と言っていましたか、ミキリ」


 さすがに自分の正体に関わるとなると静観はできなかったのか、アンダーヒルは一歩ミキリに詰め寄って問う。その気配は冷たい殺気――アンダーヒルが戦闘体勢に入ったということだ。あくまでも威圧が目的なのか、あるいは焦りから来たものなのか、どちらかはわからないが、これでミキリも安易なことは言えなくなった。

 しかし対するミキリはプレッシャーなんてまるで感じていないように逆に身体から力を抜いて、静かにぽつりと呟いた。


「アンダーヒルちゃんは受呪繋ぎ(カースド・ゴースト)、なの」

「カース……何だ?」


 アンダーヒルに呼ばれ名があるとしたらそれは物陰の人影(シャドウ・シャドウ)くらいで、もし他にあったとしても物陰の人影(シャドウ・シャドウ)との繋がりは確認できないような表向きの二つ名だろう。しかしそれにしても『カースド・ゴースト』なんて名前は一度も聞いたことがない。


「シイナ……」


 アンダーヒルが俺の名を呼んだ。


「逃げて……」

「え?」


 振り向いて言葉を失った。


「くだ……さ……」


 俺の隣やや後方の死角気味の位置に立っていたアンダーヒル――その左胸から鋭く湾曲した何かが突き出していた。それが何かに気付くより早く、アンダーヒルの背後に佇む異形の存在も視界に飛び込んでくる。全身を覆うボロボロのローブ、骸骨の身体、空虚な眼窩の奥にぼんやりと揺らめく光を灯し、凶々しい光沢を放つ大鎌(デスサイズ)を携えたその姿――――大多数がイメージするだろう西洋の()()だった。

Tips:『スキル(アーツ)


 [FreiheitOnline]における、格闘スキルのプレイヤー間での通称。元々は公称である格闘スキルで呼ばれていたが、技名の宣言と自分の動作をトリガーにした体術であることを想起しやすい点や口触りの良さから、VRゲームならではの近接戦闘の爽快感を好むプレイヤー界隈で生まれ、広く用いられるようになった。

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