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FreiheitOnline‐フライハイトオンライン‐  作者: 立花詩歌
第二章『クラエスの森―辺境の変人―』
90/351

(35)『開けていいのか?』

遅れ参じたアンダーヒルの部屋で、シイナはミキリと再会する。

囚われながらも魔眼の魔女の語りは止まらず、対峙する隠者はその全てを奪わんとする。

それでも、二人の物語は終わらない。

 ギルドハウス二階、行き止まりのL字廊下――――俺はとある部屋の扉の前を行ったり来たりしながら頭を抱えていた。


「……ヤバい。マジヤバい」


 我ながら大分語彙力が減衰していた。

 というのも、現在の時刻は二十一時半を回ったところ――――つまりアンダーヒルと約束していた時刻に三十分も遅刻しているということだ。トドロキさんから聞いた話によると、あの生真面目な情報家はこういうケースを遅刻とは考えないらしい。待ち合わせの時刻はそもそも遅れないことを前提に設定されたものであり、それを違えた場合はトラブル云々よりも真っ先に設定自体に偽りがあったと見做すのだそうだ。杓子定規も真っ青の悪い冗談としか思えない思考回路だが、短い付き合いの俺でも彼女ならありうると思うくらいには彼女の個性は突出している。

 それでももし弁解の機会があるなら、刹那を振り切るために逃げ込んだ風呂場でギリギリまで時間を潰した結果その行動自体を怪しんだ刹那にその後も絞られたと答えるだけの話なのだが、この本末転倒っぷりを果たして信じてもらえるかどうか。しかしこれでもわざと機嫌を損ねるという最終手段まで持ち出して何とか振り切ってきたのだ。これで思いの外どうでもいい話だったらアンダーヒルとて責任を取ってもらいたい。

 具体的には刹那を宥めてもらいたい。

 しかし、あれこれ扉の前で無駄に考えていても仕方ない。結局は何をするか、その結果どうなるかなど決まっている。

 そう、最初から決まっているのだ――


「それで何故来なかったのですか?」

「申し開きもございません」


 土下座。アジア諸国を始めとする一部の文化に見られる、人に許しを乞うためのある種のパフォーマンスである。


「シイナ、私があなたの都合のいい時間を訊いた際、あなたは何時と答えましたか? それと顔を上げてください」

「九時と申し上げました」

「今何時か確認できますか? それと顔を上げてください」

「九時四十三分でございます」

「当初の予定とおよそ四十二分五十六秒のズレが生じています。原因は何でしょうか? それと顔を上げてください」

「申し訳ございませんでした!」

「頑なに顔を上げないのには何か理由があるのでしょうか。わかりました、何があったか細かい追求はしないでおきます。ただし次は予定変更の旨を連絡するようにしてください。いつ来るかもわからないので、待機時間を無為に費やしてしまいました」

「その手が通用するだと!?」


 この時、この部屋に入ってから初めて見るアンダーヒルの顔は、以前俺が彼女にした忠告に従ったのかその整った可愛らしい素顔を惜しげもなく晒していた。相変わらず感情らしいものがあまり表に出ていないが、少なくとも包帯覆面付きの時よりは付き合いやすい。

 アンダーヒルは約束を反故(ほご)にされると躊躇(ちゅうちょ)なく報復に走ることがある、というのは彼女と付き合いが長いトドロキさんからの話だから間違いないだろう。それだけ聞けば取り扱い注意な部類(タイプ)の人間だが、今の言からするとこの堅物の情報家は別に融通が利かないわけではないらしい。つまり正当と見做せる理由があれば看過もするし、連絡さえすれば遅刻や前倒しなどで時間に変更があっても大丈夫、ということだろう。要するに口約束とはいえ共有した情報に反し、その後始末(リカバリー)すら放棄した人間に対しては苛烈な程に厳格になるだけなのだ。

 それは寧ろ融通の一点においては非常に柔軟な対応を取ると言っても過言ではない。

 トドロキさんももっとわかりやすくその辺りを教えておいてくれればいいのに――。


「……」


 その時、アンダーヒルの目が(にわか)に戸惑いの光を帯びて揺れた。俺が驚きの余り伏せていた顔を上げてしまっていることに気付いたのはその直後――――手遅れもいいところだった。


「シイナ、一つ聞いても構いませんか」

「あ、いや、これは……」


 視線を逸らして誤魔化したい空気を醸してみるが、情報家の追求は止まらなかった。


「その頬の痣は?」

「……最終手段の代償」


 刹那がキレた時飛んでくるのは平手打ちどころじゃない。良くて今回のような体重を乗せた右ストレートだ。ちなみに悪いと投擲スキル使用のダガー、最悪で刹那に忠実な召喚獣の面々との乱闘まである。

 アンダーヒルは俺の言葉の意味が理解できないのか何かを察したのか判別しにくい無表情で視線を泳がせたものの「何があったか細かい追求はしないでおきます」とさっきと同じ台詞を繰り返した。


「じっとしていてください」


 アンダーヒルはそう言うと懐から取り出した小さな二枚貝を手に一歩間を詰めた。

 見覚えのあるそれは見舞い貝の軟膏(バイヴァルヴ・サーヴ)――巨搭第十二層『静穏の海底神殿ミッシング・サンクチュアリ』のボス〔コキャージュ・プルプ〕がドロップする、その名の通り軟膏タイプの回復アイテムだ。割れ易い小瓶のポーションと違ってオブジェクト化したまま持ち歩けるため使い勝手がよく、俺も重宝していた。


「か、貸してくれれば自分でやるよ」


 中の軟膏を少量指先で掬い取って手当てする気満々のアンダーヒルにそう言うと、無言のまま首だけで拒否された。


「いや、でもこの程度なら放っておいても治るくらいだし――」

動かないで(フリーズ)


 咄嗟(とっさ)に両手を肩より上に挙げる。その声は威圧的でも恫喝的でもなく、寧ろ穏やかなものだったが、抑揚の薄い喋り方のせいか緊迫感に満ちて聞こえた。

 アンダーヒルは大人しくなった俺の左頬に薬を付けた指で触れると、円を描くように痣になっているだろう部分に優しく薬を伸ばしていく。やや熱を持っていた患部が少ししっとりとした感触に覆われじわじわと痛みの余韻が薄れていく中、同時にそれとは別の熱が顔全体に伝播していた。

 単なる手当て――――しかしそれも、部屋で年下の女の子が手ずからというシチュエーションが入るだけで気恥ずかしさは最高潮に近いところまで上り詰めている。これが何処かのフィールドで相手が刹那だったりすればここまでは緊張しないはずだ。いや確かに客観的には刹那も年下の女の子ではあるはずなのだが、物怖じしない言動のためか長幼の序どころか最早年少を感じさせない域に達しているのだ。単に戦友の認識が先行しているというのもあるし、刹那の手当てはここまで優しくないというのもある。


「あなたはこんな痣を残したままミキリと会うつもりですか?」


 アンダーヒルは薬を塗る手を止めないまま予想していた本題に触れた。


「我々は≪アルカナクラウン≫。謂わば≪道化の王冠(クラウン・クラウン)≫の目論見を覆すために配されたもう一つの王の駒、すなわち白の(キング)です。そして彼女は黒の駒、たとえ瑕疵(かし)でも付け入る隙を見せてはいけません」

「そのミキリは今――」

「フリーズ。塗りにくいです」


 丁寧な処置ありがとうございます。


「ミキリは今この部屋にいます。あなたからは見えないでしょうが、入り口の扉の陰にウォークインクローゼットを増設しました。ミキリはその中です」


 なるほど。それならちょっとした用事でドアを開けてもまずわからないだろう。

 ギルドハウスの管理権限を持つ刹那なら部屋の存在自体はいずれ気付くのだろうが、ギルメンではないミキリの存在は管理者の目にも映ることはない。各個人に許された部屋利用の範疇程度にしか思わないはずだ。


「それにしても――」


 ズボッ。

 口の中に何かが侵入してきたと思ったら、呆れたようなジト目で見上げてくるアンダーヒルの人差し指だった。第二関節辺りまで突き入れられたその指は容易に俺の舌を捉えて硬直させ、同時に貝の出汁にわずかな清涼感をプラスしたような味が口の中に広がる。見舞い貝の軟膏(バイヴァルヴ・サーヴ)がこんな味だったとは驚きだが、それを表に出すほどの余裕はなかった。


「お静かに」


 最後通牒のように研ぎ澄まされた言葉に自然頷くことになると思っていたが、口の中の指がまるで鋭いナイフの刃先のように思えて動けなかった。しかし仕方なく指で丸を作ると、侵入者はあっさりと退いた。

 その後アンダーヒルは俺の唾液が付いた人差し指を一瞥し、懐から取り出した小布で軽く拭って見舞い貝の軟膏(バイヴァルヴ・サーヴ)の容器と共に懐に戻した。


「もう塗り終わったなら口利いてもよかったんじゃないのか……?」

「聞こえてはいないと思いますが、ミキリに不用意な会話を聞かれるのは困ります」

「そうか。ちなみにこの薬、貝の出汁みたいな味がするぞ」


 聞かれてもいい会話として今知ったばかりのどうでもいいネタを提供してみると、懐から抜かれる寸前だったアンダーヒルの手がぴたりと止まった。


「本当ですか?」

「そこに現物があるのに嘘吐いてどうする。というか知らなかったのか」

「はい」


 アンダーヒルは再び懐から見舞い貝の軟膏(バイヴァルヴ・サーヴ)を取り出すと貝殻を手の上で開き、さっき拭ったばかりの人差し指で中の軟膏を少量取って――


「あ」


 ――平気で指先を口に含んだ。


「すみません。不作法でしたか?」

「いや……」


 人の口にいきなり指突っ込んでおいて今更不作法も何もないだろう。

 アンダーヒルは首を傾げているが、彼女が気にしないというなら特にこっちが騒ぎ立てるほどのことでもないだろう。もし気付いていないだけだとしても、やはりわざわざ気付かせる意味はない。


「確かに貝類の味に近いですね。情報提供ありがとうございます。軟膏タイプの回復アイテムを食べる発想はありませんでした」


 俺もさっきまでなかった。


「それはさておき、頬の痣も治ったようなので本題に入りましょう。ミキリのことは早めに済ませておきたい案件です」

「ああ」


 アンダーヒルは静かに部屋の隅――入り口の扉の裏に隠れるように設置されたウォークインクローゼットの前に俺を案内する。装飾のないシンプルな木製の引き戸には、部屋の使用者に許されたT種システムロックが掛かっていることを示す緑色の幾何紋章だけが小さく浮かび上がっていた。

 ちなみにシステムロックとは物理的な強制解錠が不可能な仕様上の開閉制限システムのことで、この世界にはKOHTと四種のシステムロックが存在している。T種はその中で最も弱いものだ。とはいえシステムロックの特性上どんなに強力な攻撃を加えてもその守りを正当な手段以外で物理的に破ることは不可能。その正当な手段の一つであるギルドのマスター権限保持者の俺なら当たり前のように開けることが可能なのだが、開けられるからといって部屋の主を差し置いて開けるかといえばそれは別問題だ。

 しかし、アンダーヒルは傍に控えるばかりで自らロックを外そうとはしなかった。


「……開けていいのか?」

「開ければ中に彼女がいます。最初からそのつもりで来たのでしょう。ではこの戸を開けずに私と何をするつもりですか?」


 言い方は引っ掛かるが、要するに開けていいということだろう。

 望み通りに引き戸の手前に浮かぶ緑色の幾何紋章に指で触れると、一瞬光を増した紋章はピシリと音を立てた割れるように消えた。こんな演出の割に再び扉を閉めればシステムロックが復活するのだからROL(ロル)の考えることはよくわからない。

 そしてやや緊張気味にその引き戸を開けると、何もない二畳ほどの狭い部屋の中央に確かにミキリはいた。


「ミキリを倒したお姉ちゃん。いらっしゃい、それとこんばんは」

「え、ああ……こんばんは」


 なにこの子礼儀正しい。

 左目が包帯で隠されたミキリは手狭な床に両膝を立てて座り、残った右目で俺をじっと見上げていた。両手を後ろに隠すようにしているのにアンダーヒルが何も言わないところを見ると、後ろ手に拘束しているのだろう。そうでなければ膝を抱くようにした方が姿勢としては楽なはずだ。


「足は縛らなくていいのか?」

「平時は外側からシステムロックが働いているため、内側からは絶対に開きません。不必要な拘束は精神的抑圧を誘発し、無用な抵抗が円滑な拘禁の妨げになる可能性を生むと判断しました。必要性を感じるのであれば検討しますがどうしますか?」

「黒のお姉ちゃん。ミキリはこれ以上縛られると痛いから嫌なの」

「あなたには選択権はありません」

「……黒のお姉ちゃん、冷たいの」


 アンダーヒルに素気なく返されたミキリはわずかに頬を膨らませて唇を尖らせる。その年相応の子供らしい振る舞いに少し安堵を覚えた時、さっきから感じていたあまりいい気のしない緊張が消えた気がした。


「まあ、このままでいいだろ。さすがにこんな姿(なり)じゃどうこうしようにもできることは限られてくるだろうし、少なくともここから出ること自体が難しいしな」

「わかりました」


 どう小利口に纏まっててもミキリは普通の子供と何ら変わらないということをようやく頭が理解したのだろう。時折陰を感じるせいで無邪気とまでは言えないが、子供と接するのは久しぶりだからかこんなもんだろうと適当に納得もできてしまっていた。


「本当に何も話す気はありませんか?」


 改めてミキリに向き直ったアンダーヒルがいつも以上に平淡な冷たい声色で問う。

 刹那の尋問ほど直接的な恐怖は感じないものの、その黒く澄んだ瞳に射抜かれると全てを見透かされているような気がしてじわじわ不安と焦りが募っていく。風体や感情の薄さも相俟って、その考えの底知れなさについては随一だろう。

 しかし――


「ミキリは何も知らないし、ミキリは何も言わないの」


 ――ミキリはまるで動じることなく、焦点が合っていないような目でアンダーヒルを見つめ返してそう言った。


「ミキリは“魔眼の魔女カースドアイズ・ウィッチ”、“結末知らずの語り手(ノンストップ・テラー)”。ミキリはミキリがどうなろうと、語り続けることを止めないの。ハカナちゃんにそう言われたの」

「……アイツの言いそうなことだな」


 (ハカナ)語は大抵意味不明だが、語るというのは尋問されて洗いざらい喋るという意味ではないだろう。おそらくたとえ一度死亡(デッドエンド)したとしても『魔眼の魔女(ノンストップ・テラー)』として振る舞えということだ。一見激励にも聞こえるが、力を失ってさえそれを支えに虚勢を張り続けろというのは子供でなくても酷な話だろう。誇り高くという意味では間違いではないが、やはり何処か歪んでいる。


「だとさ、アンダーヒル。どうする?」

「時間は十二分にあります。今無理に聞き出す必要もありません。それより今はやるべきことを済ませてしまいましょう」

「やるべきこと? 他に?」


 その問いに無言の頷きを返してきたアンダーヒルはストレージを開き、虚空からやや太めのワイヤー束を取り出した。

 両端に湾曲した獣の爪のような形の金具が付いているそれは『人狼縛り(ライカンズロープ)』――命令に対してある程度の精度でそれを実行する捕縛用の自動アイテムだ。命令さえ通れば相手がプレイヤーであろうと縛り上げることができるが、口頭命令の意図を正確に汲み取ってくれないことも多く、正直使い勝手は悪い。

 しかしついさっきこれ以上の拘束はしないことになったはずだが、ライカンズロープなんて持ち出して何をするつもりだ――――と静観していると、アンダーヒルは先端を垂らすようにライカンズロープを左手に持ち直し、「命令(オーダー)」と指示待機を表す符丁を口にした。


完全駆動操作パーフェクト・コントロール


 いつも以上にはっきりとした発音でアンダーヒルがそう言い放った途端、先端から跳ねるようにその手を離れたライカンズロープは瞬く間にミキリに絡みつく。


「……っ!」


 息を呑むも悲鳴までは上げないミキリの後ろ手の拘束を端の金具で器用に引き千切ったライカンズロープは、囚われの少女に両手を胸の前で抱くようなポーズを取らせて縛り直し、最後に湾曲した両端の金具同士が噛み合って動きを止めた。それがアンダーヒルの意図を完全に汲み取った結果なのかはわからないが、あの一言だけでこうなったというのならやっぱりライカンズロープは大分適当で強力だ。


「……で、何する気なんだ?」


 俺が一人勝手に一アイテムへの評価を新たにしたところで改めてアンダーヒルの真意を問うと、


「彼女を一時的に≪アルカナクラウン≫に入団させる必要がありますので、承認手続きの準備をお願いします」


 事も無げにそう言った。


「まあ、そのくらいならお安い御……じゃねえよ。ちょっと待て」

「……そうですね。やはり儀礼上ボーダーチェンジは必要でしょうか」

「いやそうじゃない」


 否定の言葉を重ねる度にアンダーヒルは一瞬だけ怪訝な表情を見せるが、そんな顔をされても困るのは俺の方だ。


「……それはミキリをうちに――≪アルカナクラウン≫に入れるってことか?」

「わざわざあなたに来ていただいたのはそのためですし、これは必要なことです。一時的なものなのでミキリのことが露見するリスクも最小限です。よろしくお願いします」

「一時的……」


 嫌な予感しかしないんだが。

 ちなみにボーダーチェンジとは本来入団資格を満たしていない者をギルドに入れるために一時的に入団資格(ボーダー)の方を変えてしまうことを指し、あまり褒められた行為ではない。しかしアンダーヒルが儀礼上と言った通り、元々入団資格自体がシステムによる規制が為されているわけではないため、賛否両論あれど裏事情を除けばどのギルドでも割りとよくある話である。


「ちなみに具体的には何をするつもり?」

「万が一の事態に備え、彼女の武器・防具を全て鹵獲しておきます」

「ただの強奪(ロブ)じゃねえか!」


 嫌な予感はずっと感じてたが、躊躇なく準犯罪行為(グレーゾーン)に突入したぞ、コイツ。

 ギルドメンバーであれば多少条件はつくものの、通常の商取引に比べれば実質無条件みたいなものだ。特に武器防具等の装備の類はやろうと思えば譲渡することもできる。譲渡することができるということは、一方的に譲渡させる――すなわち強奪することもできるということだ。


「強奪ではなく没収です。現時点でこちらには正当な主導権と純然たる理由がありますので、特殊な現状況下に於いて個人に与えられた裁量の範囲内で許される最低限の緊急措置とご理解ください」

「いや、緊急って……だからってお前やっていいことと悪いことが――」

「リーダーであるあなたが看過できないと言うのであれば一先ず従いますが、捕虜に武器を与えたまま放逐しておくことの危険性についてはご理解いただけるかと」


 これ以上意見するならダメだからダメだとかアホな理屈ではなく、倫理的以外の明確な理由を上げろということだろう。

 無論無理。

 アンダーヒルを論破すること自体俺の頭では困難な上、そもそも自身が最初から具体的な理屈を持っているわけでもないから反対し続けることに意味はなかった。

 それなら俺にできることは――


「わかったよ、好きにしろ。代わりに使えそうなものは俺にも回してくれ」


 ――共犯になってやることぐらいだ。


「いえ、鹵穫品は全て貴方のストレージに保管してください」


 俺が主犯と見做されそうな所業だった。


「現状彼女がアイテムを使用する機会はまずありませんので、利用できる物は貴方の判断で自由にして構いません」


 やっぱり一時的に預かるだけとかそういうつもりでもないらしい。つまり完全に俺のものとしていい、ということだろう。恐るべしアンダーヒル権限。


「でも鹵穫って言ったって素直に渡すとは限らないだろ?」

「彼女のストレージは私が操作しますので、特に問題はありません」

「……はい?」


 他者のポップアップウィンドウには基本的に触れられない。それはアンダーヒルも例外ではなく、ミキリが可視化処理するまでは触れることはおろか見ることすらできない。可視化と同時に接触操作もある程度は可能になるが、それでもプレイヤーのステータスに関わる部分など重要な操作は本人以外できないようになっているはずだ。

 とりあえず言われた通りにボーダーチェンジの作業を進めながら隣の動向を見守っていると、アンダーヒルはいきなりミキリの額に手を当てて無遠慮に押し倒すと、反射的に浮いたその足首をがしっと掴んだ。


「おいまさかそれでミキリの窓開くなんて言うんじゃ――」

「そのつもりですが」


 そのつもりなのかよ。


「ポップアップウィンドウの初期出現位置はプレイヤーの両目の位置から算出された一定の相対位置で統一されていますので、理論上この方法で操作が可能です」

「見えないものを操作できるのか?」

「可視化さえできれば十分です」

「マジかコイツ……」


 アンダーヒルの言はもっともだが、無論言うほど簡単ではない。

 アンダーヒルの言う通り、メニューを開いた際そのポップアップウィンドウはプレイヤーの目の前――視界の真正面に出現する。つまり少し顔を傾けただけで開かれる位置はずれてしまうのに、ミキリ以外はそれを確認することすらできないのだ。

 プレイヤーの意識のない状態ではメニューを開くことはできないし、没収だろうが鹵獲だろうが、されるがまま強奪を許すやつはまずいないだろう。


「こちらの準備は出来ました。ボーダーチェンジの用意はできていますか?」

「ああ、こっちもできてる。とりあえずギルドの加入申請を――――って早いな!」


 気が付くと、アンダーヒルは既にウィンドウの可視化からアイテムや素材、装備品の各種ウィンドウを全て開いて待機していた。まるで本来ミキリにしか見えていないはずのものが見えているかのような手際良さだ。正直人間業じゃない。

 その後三十分ほどかけてミキリのストレージの中身の、武器・防具・アクセサリーやアイテム、素材など一部を除いたほぼ全てを俺のストレージに移し終えると、装備していたものまで根こそぎ剥ぎ取られたミキリは相変わらず目の遣り場に困るデザインのインナー姿になっていた。


「引き続き脱退申請を送りますので、受理をお願いします」

「あ、ああ……」


 ミキリのポップアップウィンドウを操作するアンダーヒルからミキリの脱退申請が届く。それを受理すると、ついにミキリは無所属(フリーランス)になってしまった。


「そう言えばコイツ……一時でもアルカナクラウンに入れたってことは――――やっぱりそういうことなんだよな」

「はい。既に道化の王冠(クラウン・クラウン)からは除名されているでしょう」


 つまり今回の敗北で彼女は完全に見限られ、見捨てられ――見切りを付けられたってことなんだろう。ミキリだけにな。プロフィールでちらっと見た“≪道化の王冠(クラウン・クラウン)≫創立メンバー”の称号が今はもう虚しく響くばかりだ。

 ようやく元の姿勢に起こしてもらったミキリはぼんやりと床を見つめていた。

Tips:『完全駆動操作パーフェクト・コントロール


 一部の『口頭命令制御』を受け付けるアイテムに実装された『有意識制御』での操作を有効にするオプションとそれを利用する符丁。符丁を使った後は文字通り、言葉を発することなく意識的に考えるだけでその操作を制御することができる。命令の隠蔽や精密操作のようなメリットもあるものの、そもそも『有意識制御』自体が慣れないと使いこなせない技術に当たるため、非常に難しい。

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