(8)『動無き大河の楽園』
一行赴くは世界の中心、世界の頂上、最高峰。
箱庭の天井すらも突き破り、現実へ至らんとする巨大な尖塔ミッテヴェルト。その二百二十三層に謎が潜む。声なき声。姿なき姿。その全てが謎の手掛かり。
「ったく……ヒドイ目に遭った……」
感電と麻痺の感覚から逃れるために一度ログアウトし、再び戻ってきたシンはまだうまく動かない舌の調子を試すように静かにそう呟いた。
「決闘したのが市街エリアでまだ良かったな、シン」
他のフィールドエリアや塔エリアと違って、市街地ならどんなタイミングでもログアウトできるからだ。
当然決闘には負けてしまうが、そもそも乱戦になっていた上に背中に当たった【投閃】は対戦相手の刹那による有効打。どちらにしろ負けに代わりはないのだから妥当な判断とは言える。
ただしログアウト・エスケープはプレイヤー間では好まれるものではないため、シンが逃げたのを見て観衆は呆れたように散っていった。
当然、俺のアバターをいやらしい目で見てた数人は王剣で一撃ずつ制裁処置を下しておいたが。
「流れ弾に当たるなんて気が抜けてる証拠よ。普段のシンなら後ろからでも【抜刀相殺】で回避してるところでしょ」
「あの時は納刀してなかったんだよ。抜刀戦術だけで【剛力武装】のリュウと闘るのはさすがにキツいって」
さっきから二人の様子を見ていても、冷静さを取り戻しているようだ。若干の刺々しさは残っているが。
「それにしてもシイナ、腕上げた? 別に手加減したつもりはなかったんだけど……」
「お前だってそうだろ、また速度上がってんじゃないのか、アレ。まあ、たぶん次も避けられると思うぜ。なんとなくタイミングが掴めてきたからな」
「だからってここでは気、抜かないでよね。三ヶ月無敗記録更新中なんだから」
この世界、FOフロンティアの中心にそびえ立つ巨塔『ミッテヴェルト』。
世界中の何処からでも見ることができるほどの巨大な灰色レンガ造りの古ぼけた塔の中には第一層から第五百層までに分かれ、塔エリアが広がっている。現在、前線プレイヤーの活躍で第二百二十三層まで開放されているが、逆にまだ二百五十七層が閉ざされているのだ。
次層の解放は『塔攻略組』にとって勲章みたいなものだ。
そんなわけで刹那のたっての希望もあり(というのは建て前で、ただ単に無駄な戦闘で注目を浴びてしまったこともあり、恥ずかしい格好を衆目に晒しているのに堪えられなくなっただけ)、≪アルカナクラウン≫総員で次層解放のため巨塔第二百二十三層へ赴いていた。
ちなみに、俺としては最優先懸案事項のアバターの異常は刹那の『ROLからの連絡がないんだから私たちが考えたって仕方ないでしょ』の一言で片付けられた。
このことで集中できなくて、たとえ刹那の記録がストップしても謝らないと心に決めておく。
このフィールド『動無き大河の楽園』の地形は所謂熱帯雨林、最近学校の地理の授業で習ったばかりのセルバというやつだろう。テキストで見たアマゾン川流域の写真にそっくりの風景が続いている。
不気味なくらいに立ち並ぶ木々は20mほどの高いものから10mほどのものばかりで、それより低い木はあまり見当たらない。さっき刹那が解説してくれたのだが、『日光がほとんど遮られちゃうからあまり下には生えないの。河岸にはほんの少しだけあるようだけど気になるほどじゃない』だそうで、今までに映画などからイメージしていたジャングルの丈の長い下草を鉈やなんかで刈りながら歩く光景は見れないらしい。
小気味よく切れていくその様を見ていて一度はやってみたかったのだが、そういったのはアジア辺りの光景だとか。
俺たちは刹那の私物の小型クルーザーに乗ってその中を流れる大河を上っているのだが、さっきからほとんど景色が同じなので少し酔ったようで気持ち悪い。
ちなみに運転の方はさすが仮想現実と言うべきか、都合のいいことに勝手に進んでくれるのだった。
「それにしても芸が細かいっつーのか、ほんとリアルだよな」
俺の手の中にあるのは、切断された太い木の枝だ。
クルーザーの後部を覆う屋根の上に登ったリュウがスキル習得のために剛大剣で素振りをやっていたところ、その切先が斬り落とし、甲板に降ってきたものだ。手触りはもちろん、表面に生えた苔も擦ればグジュグジュと剥がれ落ちる。
地面以外は後で設置する形で用意したオブジェクトなのかもしれない、と最初の頃に思った時も似たようなシチュエーションだった気がする。
いつもなら気分が壊れるのであまり考えないような、フィールド内のゲーム的裏事情にまで思考回路が突入しているのは、四人が四人ともかつてないくらいやることがないからだった。
「暇と言うか……あれだ、モンスターの影すら見えないとはな。ここ、ほんとにモンスターいるのか? もしかしてここにきてこのエリアのモンスターデータまで破損してるってことないよな……?」
シンが船縁から釣糸を垂らして早くも三十分が経過。ピクリとも動かない浮きを恨めしそうに見つめながら、シンが現実的な意見をぼやく。
「一応、今数人がここに入ってるらしいけど……何やってるんだろ……?」
基本性格が自己中絶対君主の刹那がギルドメンバーでもない奴らを敵愾心以外で気にするのもかなり珍しい。
ストレスのせいだろうか。
「あー、暇。何もやることないんだもん。皆、トランプやらない?」
「やらない」
「やめとく」
「やらないね」
「うん、私もやらない」
提案者含む満場一致で暇潰しトランプ案却下。
刹那さん、何故提案しました?
「そーいや、シイナ。ホントに王剣使うの?」
「なんかくれるんならそっちにするけど、魔弾銃か魔刀あったら下さいな。刹那お嬢様」
「あんなめんどくさいの、スキルもないのに集めるわけないでしょ」
「使いこなせれば強いんだけどな……」
「使いこなして弱かったら、そもそもカテゴリの選択とパラメータ配分した開発側が間違ってる」
そんな身も蓋もない。
「僕には魔刀はどうも合わないみたいだからね。それでもドロップしたやつは大抵トレードに出したから、弱いのしか残ってないんだ」
と言ったのは、とうとうシビレを切らして釣竿を引き上げ、釣糸を巻き始めたシンだ。同系統武器の太刀や大刀を使うシンになかったらギルドメンバーから貰うのは絶望的だろう。
皆ガンナーは使わないし。
「俺は――」
「ああ、リュウはいい。わかってるから」
【剛力武装】入手以来、リュウが装備品ボックスの剛大剣と一部の大剣だけを残して他の武器を売りに出してしまったのは周知の事実だ。
俺もその時に数点購入しているが、言うまでもなく消滅している。
今までの努力を鑑みると泣けてくるのであまり考えないようにしていたことまで無駄に一考。
「どうする? 河じゃなくて、森の中に入ってみるか?」
シンの提案にリュウと俺は一も二もなく賛成したが、刹那はあまり乗り気じゃなさそうな感じで、
「私は船に残りたい」
「なんで?」
「だって……へ、蛇とか虫とかいるかもしれないじゃない!」
もっとグロくてデカいウネウネしたモンスターまで短剣一本で串刺しにしてる奴の台詞とは思えねえ、とは俺の心中である。
表情を見る限り、シンも似たようなことを考えているのだろう。
リュウに至っては「またか……」と呟きを漏らしているぐらいだった。
「今さら蛇系モンスターくらいどうってことないだろ。こんだけ木が密集してるし、なんなら木の枝を飛び移っていけば――」
「それでも虫はいるでしょ。ヤなものはヤなのッ。生理的に受け付けないわよ、あんなもん! 私はこのまま船で行くからッ」
ワガママなやつだな……。
河に出るまでの道中、妙に神経質になって挙動がおかしかったのも、河に出た途端、妙に張り切ってクルージングを提案してきたのも、今さらながらに考えればそれが理由か。
結構――というか相当付き合いは長いのだが、刹那はこれほど蛇・虫嫌いを表に出したのはこれが初めての気がする。
実際、同じギルドに所属していても、リアルの都合がなかなか合わない刹那と攻略に出ることはそれほど多いわけでもなかったし。
虫系のボスといえば第二層『白闢洞』の蟻翁、第九層『愚鈍の王の祭祀場』のドレッドホール・ノームワーム、それと虫系モンスターではないが第六十三層『蠱惑の処女林』の虫を呼ぶ竜、バグスリード・ワイバーン辺りが有名どころか。
勿論、巨塔以外にもFOフロンティアには無数のフィールドがあるが、塔以外のフィールドは基本的に単独で潜ることが多かったから刹那がどうしていたかなんて知る由もない。
「あれ? 刹那。お前、百十三層のボスとは普通に戦ってたじゃん。あのでっかいカマキリみたいなヤツ」
シンが言っているのは、第百十三層『死霊城』の〔グレイブヤード・マンティス〕のことだろう。
言われて見るとアイツも虫系モンスターだったな。巨大な日本刀のような両腕を持ち、頭が朽ちた骸骨のような形をしている好戦的なボスだった。
「は? 何言ってんのアンタ。後ろからずっと状態異常スキル付加した【投閃】撃って援護してたじゃない」
「後ろにいたのか。アイツ強かったし、お前の方見てる余裕なかったからな」
「やけに怯むなぁ、とは思ってたけど刹那がやってたのか」
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるのよ。後方支援から近接戦闘までこなす――」
「――蛇・虫嫌いの棘付き兵器……」
「私の黒歴史を持ち出してくんじゃないわよ、シン! アンタ、死にたいの!?」
シンはぶんぶんと激しく首を振ると、屋根に手をかけ、その上に逃げる。
ホント、コイツらときたら……仲がいいのか悪いのか。
ちなみに今さらだが、儚のことはシンと刹那には話していない。余計な心配をかけたくないし、余計な期待も抱かせたくないし、余計な緊張も感じさせたくないからだ。
もちろんリュウも納得し、同意してくれた。
今考えるべきは普通に搭攻略についてだが、このフィールド、第二百二十三層はどうすればクリアできるんだろうか。
もちろん最終的にはこのフィールドの何処かにいるボスを倒すことだ。ただしボスが出現する条件は層によってまちまちで、毎回フィールド内を探し回ってその手がかりを探さなければならない。それがある特定の場所への移動だったり、ある特定の物体の破壊だったりするわけだが、これの調査で次層解放が難航しているといって過言ではない。
河を上ってどうなるとわかっているわけでもないこの現状、結局は手頃な場所を見つけて船を接け、森の中に入ることになるだろう。
そう思って河岸に目を遣り、いい場所を見繕っていると、
「ねぇ、シイナ」
刹那の声に振り返ると、彼女は船縁に手をかけ身を乗り出すように並行する森の中を睨み付けていた。
「どうかしたのか?」
立ち上がり、彼女の隣に立って同じように森に意識を集中する。
「森の中……さっきから気づいてはいたんだけど、何か動いてる」
「大きさは?」
「よく見えないけど……。私たちを追っかけてきてるみたい。どうする?」
「とりあえず二人に知らせてくれ」
刹那はわかった、と素直に頷くと素早く屋根の上に上がってリュウに声をかける。
視線を森に戻し、目を凝らす。
確かに何かが動いているようだった。草が、不自然に揺れている。
その時、近くでパシャと水音がし、咄嗟に水飛沫のあがった方に目を遣るが、既にモンスターは水中に逃げたようだった。
Tips:『巨塔ミッテヴェルト』
FO世界の中心に聳える、雲を貫くほど巨大な塔。全周3kmの大きさの円塔で、地上階には16個の入り口と各階層のキャンプエリアに移動できる最大級のテレポート用設備――移動紋が設置されている。塔の大きさと内部のフィールドの大きさには関係なく、階層次第では塔の内部以上に広いフィールドもある。階層数は500層あり、100階層ごとに段階的に強力になる。




